かつて、ある書籍の対談で、臨床心理学者の河合隼雄氏と語り合ったが、そのとき、人間が身につけるべき「謙虚さ」について話題が及んだ。

学者としてだけでなく、数多くの心理カウンセリングの経験を積んでこられた河合隼雄氏。この対談においても、いつものように飄々とした風情で、様々な洞察を語られたが、この「謙虚さ」について語られた言葉が、いまも心に残っている。

人間、自分に本当の自信がなければ、謙虚になれないのですよ。

その静かな言葉の奥にある人間洞察の鋭さに、深い感銘を覚えたが、同時に、この河合氏の言葉は、逆説的でありながら、たしかに真実であると感じた。なぜなら、筆者は、永くビジネスの世界を歩み、色々な人物を見てきたが、様々な場面で、同様のことを感じてきたからである。

例えば、部下に対して横柄な態度を示すマネジャーを見ていると、その心の奥深くから、自信の無さが伝わってくるときがある。また、声高に「俺は負けない!」と語り、虚勢を張る人物から、逆に、内心の自信の無さを感じるときがある。

その意味で、この言葉、「自分に本当の自信がなければ、謙虚になれない」は、真実であろう。

実際、世を見渡せば、「本当の自信がないため謙虚になれない人物」は、決して少なくない。いま、この一文を目にする読者の心にも、過去に巡り会った様々な人物の姿が浮かんでいるかもしれない。

しかし、筆者の自省を込めて述べるならば、こうした鋭い人間洞察の言葉を、誰かに対する人物批評として使うことには、危うい落し穴がある。

世の中には、パスカルの『パンセ』、ラ・ロシュフーコーの『箴言集』を始め、鋭い人間洞察の言葉があるが、これらは、本来、「他人を評する」ための言葉ではない。それは、どこまでも、「自身の内面を見つめる」ための言葉であろう。

その姿勢で読むならば、我々は、この河合氏の言葉から、深い内省の時間を持つことができる。

例えば、仕事で壁に突き当たり、自分に自信が無くなっているとき、なぜか、周りに虚勢を張っている自分がいることに気がつく。また、自分が価値の無い人間ではないかと悩むとき、なぜか、素直に他人を誉められない自分がいることに気がつく。

もし、そのような内省をされる読者がいるならば、冒頭の対談で河合氏が語った、もう一つの言葉を紹介しておこう。氏は、冒頭の言葉に続き、次の言葉を語った。

人間、本当の強さを身につけていないと、感謝ができないのですよ。

これも、まさに、的確な指摘。例えば、多忙を極める日々においても、部下に仕事を頼んだとき、相手が新入社員であっても、心を込め、「有り難う。助かったよ」と言えるマネジャー。その姿からは、静かな強さとでも呼ぶべきものが伝わってくる。

また、人生において、自分が与えられているものに感謝することなく、自分が与えられていないものに対する不平や不満を漏らし続ける人物。そうした人物を見ていると、どこか、心の弱さを感じる。

では、どうすれば、我々は、その「自信」や「強さ」を身につけることができるのか? 実は、河合氏が語る「謙虚さ」と「自信」、「感謝」と「強さ」の関係は、その逆も真実である。

例えば、自分より若い人や立場の弱い人に対しても、決して驕らず、謙虚に処することを心掛けていると、自然に、心の深いところに「静かな自信」が芽生えてくる。

また、誰かとのトラブルが起こったとき、その相手や出来事に対して、「ああ、この出会いも、出来事も、自分の成長に必要な何かを教えてくれている。有り難い」と、心の中で感謝することを心掛けていると、自然に、心の深いところに「静かな強さ」が生まれてくる。

そして、この「静かな自信」と「静かな強さ」。それこそが、我々が、生涯をかけて身につけていくべき「真の自信」であり、「真の強さ」に他ならない。

田坂広志の連載「深き思索、静かな気づき」
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田坂 広志