新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、休園や事前予約などの対応に追われる動物園。「非日常」を楽しむはずの動物園は、むしろ「日常」を思い出すよすがとなっている。そもそも動物園はどのように生まれ、どのような歴史を歩んできたのか。関西大学教授の溝井裕一さんによると、日本初の動物園・上野動物園は開園当初、少々地味だったようで…… 本稿は、溝井裕一著『動物園・その歴史と冒険』の一部を再編集したものです

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日本初の動物園ー上野動物園の成り立ち

1882年、東京上野に日本初の動物園がオープンした(以下、『上野動物園百年史』にしたがって記述する)。その設立に尽力したのは田中芳男と町田久成(1838〜97)である。すでに述べたように、田中は本草学者の伊藤圭介のもとで学び、パリ万国博覧会(1867)のとき、幕府が出品するのにともなってフランスにわたった。このとき、ジャルダン・デ・プラント(世界初の動物園。詳しくはこちら)を見学し、ラッフルズ同様、これとおなじものを日本に設立したいと願うようになった。

やがて幕府が倒れ、明治政府となったあとも、田中はその経験を買われ、やはりヨーロッパ滞在歴のある町田とともにウィーン万博(1873)出品の準備をおこなうことになる。そのために収集された物品はまず国内で展示されたが、そのなかにはオオサンショウウオやクサガメ、ウシ、シマフクロウ、キツネ、クマ、ワシなど動物も含まれていた。このとき、博物館、動植物園、図書館がセットになった施設をつくる構想も生まれ、内山下町でこれが実現する。

同館は、大久保利通が設置した内務省に所属することになり、やがてそのバックアップを受けて、上野公園に移転する。そのさいに、動物もいっしょに移って上野動物園の歴史がはじまった。なお同園は農商務省、宮内庁、東京市(当時)と所属先をつぎつぎかえてゆくが、その紆余曲折は省略したい。

上野動物園は、出発当初は「鳥獣室」「猪鹿室」「熊檻」「水牛室」「山羊室」に鳥類や魚類の飼育施設をくわえた、地味なものだった。なお魚を飼っていたのは「観魚室(うおのぞき)」といって、日本初の水族館にあたる。

ヒグマ以外にはいわゆる「猛獣」もいない状態だったが、1886年にイタリアの「チャリネサーカス」がやってきて、トラが3頭の子を産んだとき、うち2頭をヒグマ2頭と交換して手に入れた。これがきっかけで、前年より35.8%増の24万人の入園者を記録する。