貧困、ジェンダーの不平等、虐待、過重労働や格差の拡大……。いま、国内外のさまざまな社会の歪みに対峙した小説が相次いで世に出ています。同時期に連載された角田光代さんの『タラント』、中島京子さんの『やさしい猫』も、「現実から目をそらさないで」という声が聞こえてくるような作品。題材とどう向き合うかを同世代の作家同士で語り合います(構成:内山靖子 撮影:宮崎貢司)

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<前編よりつづく>

なにかを訴えたいと思って書き始めてない

角田 「いま、こういう問題が起こっている」とストレートな形で伝えたいなら、ノンフィクション作品のほうが適しているでしょうね。

中島 さっき角田さん、モヤモヤを感じたとき、それを「考えたい」っておっしゃいましたよね。そのことに、すごく共感しました。「これを小説にしたい」と思うときは、「これを考えたい」ってことなんだって。

角田 私は、小説を書くことではじめて違和感について深く考えることができる気がします。

中島 よく取材で、「この小説を通して訴えたいことはなんですか」って聞かれますよね。でも私はたぶん、なにかを訴えたいと思って書き始めてないんだと思う。小説を書くことと政治的な発言をすることは全然違っていて、『やさしい猫』にしても、「この小説を読んで、日本の入管のやり方が悪いとわかりました」という読者はいるかもしれないけど、私にとって移民や入管制度の話はあくまで題材であって、テーマじゃないんです。

角田 わかります。いろいろな題材の設定のひとつにすぎない。

中島 そしてその題材について考えながら書いていると、「これを言いたかった」という声が、小説のほうから聞こえてくる。最初から「これを言いたい」があって、小説にそれを言わせるという感覚ではないんです。むしろ逆。小説のほうが教えてくれる感じ。だから読者も小説を読んで考えたり、登場人物の行動を追体験したりすることで、作者と似たような体験をしてもらえるのではないかと思います。