今年2023年6月、中公文庫は創刊50周年を迎えます。その記念企画として、本連載では〈中公文庫の顔〉ともいうべき作家が自身の著作について語ります。さらにイチ押しの中公文庫のおすすめも――。レジェンドが明かす創作秘話とは? 今回は、経営学者で一橋大学名誉教授の野中郁次郎さんの登場です。
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野中郁次郎『失敗の本質』
『失敗の本質』は、博士論文をベースに発展させた『組織と市場』(1974年)以降、私にとっては5冊目の著書で、戦史に関する研究プロジェクトによる最初の本です。
研究プロジェクトは、当時防衛大学校長だった猪木正道先生からのお誘いで、私が防衛大に移り80年秋にスタートしました。メンバーは戦史研究の杉之尾孝生と組織論の鎌田伸一と私、そこに戸部良一(政治外交史)が加わり、さらに村井友秀(軍事史)と寺本義也(組織論)が参加し全6名。研究テーマはノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナル、インパール、レイテ、沖縄の6作戦を失敗事例とした日本軍の組織特性の分析でした。
大別すれば、メンバーは組織論と歴史の研究者であり、研究分野の手法の違いからしばしば意見が対立しました。個別性、特殊性を重視する歴史研究者と、普遍化、理論化を目指す組織論者の間で、何度も妥協なく知的コンバットを積み重ねました。異質同士のぶつかり合いが創造性を触発します。これこそ、異なる専門を持つ研究集団の共同研究の面白さであり、研究の深化をはっきりと認識できました。そして84年5月、ダイヤモンド社から『失敗の本質』を刊行しました。
刊行当初、反応はあまり芳しくありませんでした。しかし、『週刊文春』(1984年7月5日号)の岡崎久彦氏の書評を受けてベストセラーになります。岡崎氏は当時、外務省調査企画部長で、『戦略的思考とは何か』(中公新書)の著者としても知られていました。氏の書評は《特に、独創的とさえ言えるのは、各作戦の敗因の大きな部分を「日本的集団主義」に見出し、またそれが現代日本社会に内在する欠陥とも相通ずることを指摘した点にある》という、『失敗の本質』の肯綮〔こうけい〕に中〔あた〕る見事なものでした。『失敗の本質』の中にも『戦略的思考とは何か』についての言及がありますが、私たちが岡崎氏の発想に共鳴したのだと思います。
『失敗の本質』はその後91年に中公文庫版が刊行され、さらに多くの読者に手にとっていただくようになりました。『失敗の本質』以降、企業のイノベーションと戦史に関わる研究が私の研究の二本柱となりました。研究プロジェクトは『戦略の本質』(2005年)、『失敗の本質 戦場のリーダーシップ篇』(2012年)、『国家経営の本質』(2014年)、『知略の本質』(2019年)へと結実しました。また、『失敗の本質』で分析した日本軍が負けた相手ともいえる「最強の軍事組織」であるアメリカ海兵隊の組織論的研究である『アメリカ海兵隊』(1995年、中公新書)、さらに『知的機動力の本質』(2017年、中公文庫23年1月刊)へと展開しました。
こうした研究を続けるなかで、しばしばなぜ戦史に学ぶのかと聞かれることがあります。それは戦後の日本で最も欠けていたのが戦略と戦争の研究ではないかと思うからです。日本が平和を望むのなら、悲観論や過去の戦争にとらわれず、歴史的構想力を発揮して過去に学び、しっかりと検証して教訓を引き出したうえで、リアリズムをもって激動のなかで動いている現実を直視し、イノベーションにつなげるべきだと考えています。
『失敗の本質』は初版刊行から約40年になりますが、この本はその後の私の研究のスタイルを確立した原点のひとつです。
『失敗の本質 日本軍の組織論的研究』
戸部良一・寺本義也・鎌田伸一・杉之尾孝生・村井友秀・野中郁次郎 共著(1984年5月 ダイヤモンド社/1991年8月 中公文庫)
●内容紹介
戦争原因ではなく「戦い方」「敗け方」を究明し、「日本はなぜ敗けたのか」を問う日本的組織論・戦略論の名著。大東亜戦争での諸作戦の失敗を組織としての日本軍の失敗ととらえ直し、これを現代の組織一般にとっての教訓とした、戦史の初めての社会科学的分析である。