22歳でスターへの歩もうとしている選手たち、名手たちの22歳は?

 今季のオールスターゲームは、若手選手が非常に多いのが特徴だ。最年少は、今年22歳になる1995年生まれの選手。5人も選ばれている。

二木康太(ロッテ)8月1日生まれ
上林誠知(ソフトバンク)8月1日生まれ
田口麗斗(巨人)9月14日生まれ
山岡泰輔(オリックス)9月22日生まれ
松井裕樹(楽天)10月30日生まれ

 22歳と言えば一般社会では大学なら4年生、社会に出ようとするタイミングだ。その時点で、すでに彼らは若くしてスター選手への道を歩もうとしている。

 球史に残る大選手たちは、22歳を迎える年の夏、どんな状況にいたのだろう。

○沢村栄治 1917年2月1日生まれ
20歳にして創立2年目のプロ野球、巨人で春シーズン24勝4敗の無敵の活躍でMVPに輝いたが、1939年、22歳の夏は、徴兵されて中国大陸で従軍。手りゅう弾の投げ過ぎ、銃による負傷などで右肩を壊し、以後、本格的な投球はできなくなる。

○川上哲治 1920年3月23日生まれ
熊本工から巨人に入団。当初は投手だったが、打撃の良さが注目される。21歳までに首位打者2回、本塁打王1回、打点王2回、戦前屈指の強打者になっていた。1942年、22歳の夏には投手をあきらめ打者に完全に転向する。

長嶋氏は新人で「1番・三塁」で球宴出場、王氏は「一本足打法」で本塁打

○金田正一 1933年8月1日生まれ
享栄商業を中退して16歳で国鉄スワローズに入団。1955年、22歳の夏(7月15日時点)には、すでに116勝をマーク。セ・リーグの大エースとして川上哲治など巨人の打者に異様な闘志を燃やしていた。

○長嶋茂雄 1936年2月20日生まれ
立教大学時代、新記録となる8本塁打をマークし、スーパースターとなる。1958年、22歳の夏は、巨人のゴールデンルーキーとして人気沸騰中。7月27日のオールスターゲームには「1番・三塁」でスタメン出場する。

○王貞治 1940年5月20日生まれ
1962年、22歳の夏は、早稲田実業から巨人に入団して4年目。長嶋茂雄と主軸を組む大型打者への期待があったが、成績は上がらず。「王、王、三振王!」とやじられる。7月1日の大洋戦、王貞治は荒川博コーチと特訓していた「一本足打法」を初めて実戦で試し、本塁打を打つ。この年38本で初の本塁打王。これが「世界の本塁打王」への第一歩となる。

○落合博満 1953年12月9日生まれ
秋田工業高校から東洋大学に進み、強打が注目されるも大学を中退。プロボウラーを目指すも挫折。アルバイト生活を経て、22歳になる年の夏は1975年。東芝府中工場の臨時雇いの工員をしながら社会人東芝府中で野球を再開して2年目。ロッテからドラフトで指名されたのは3年後の1978年、25歳の時だった。

22歳がルーキーイヤーとなった野茂、松坂はプロ入り初の挫折の年に

○野茂英雄 1968年8月31日生まれ
22歳の夏は1990年。前年ドラフトで、新日鐵堺から8球団が1位指名で競合する騒ぎを経て近鉄に入団。4月29日にはNPB記録の1試合17奪三振をマーク。7月15日時点ですでに9勝。この年、MVP、沢村賞、新人王、最多勝。5試合連続2桁奪三振のNPB記録も打ち立てる。

○イチロー 1973年10月22日生まれ
22歳の夏は1995年。前年に登録名を鈴木一朗からイチローに改め、210安打のNPB記録を樹立するなど大ブレーク。2年目のこの年は1月に阪神淡路大震災が起こり、所属するオリックス・ブルーウェーブも被害を受ける。「がんばろう神戸」のスローガンでチームは復興を励ます。イチローもこの年、首位打者、打点王、盗塁王、最多安打を獲得。2年連続でMVPに選ばれる。

○松坂大輔 1980年9月13日生まれ
甲子園優勝投手として鳴り物入りで西武ライオンズに入団。1年目から3年連続で最多勝。高校野球のエースからプロ野球のエースに。22歳になる年の夏は2002年。プロ入り4年目、開幕から6連勝を飾り、4年連続最多勝は確実化と思われたが、右ひじを負傷。6勝どまり。野球生活初めての挫折の年だった。

○ダルビッシュ有 1986年8月16日生まれ
22歳の夏は2008年、前年、奪三振王を獲得し、エースとなる。8月の北京五輪では先発として活躍が期待されたが0勝1敗に終わる。しかしペナントレースでは圧倒的な投球を見せ、16勝4敗、防御率1.88を記録するが、21勝4敗、防御率1.87の楽天、岩隈久志に僅差で敗れ、タイトルを逸する。(広尾晃 / Koh Hiroo)