1年秋から注目を浴びた神村月光、センバツ出場後に襲われた不調

 第99回全国高校野球選手権滋賀大会は21日に3回戦が行われ、彦根東が滋賀学園を3-2で下した。

 初回から慌ただしく動いた3回戦の屈指の好カードは、彦根東の好左腕・増居翔太が3回に高村真湖人のホームランで得た1点リードを守り切り、何とか逃げ切った。滋賀学園は、2番手としてマウンドに上がった2年生左腕・島邊太成が5回からのイニングを完璧に抑えたが、あと1本が出ず。滋賀学園の春夏連続甲子園出場は叶わなかった。

 滋賀学園のマウンドに、この夏は最後まで背番号1が立つことはなかった。1年秋からチームを支え、最速140キロを超える直球を持つ神村月光は、ベンチの最前列で最後まで大きな声を出して仲間を鼓舞し続けた。攻守交代時は道具を持っていったり、飲み物を手に選手に駆け寄る。「ベンチで出来るだけのことはしないといけないと思って」。投げられなくても自分が出来ることはやろう――。そう堅く誓った夏でもあった。

 神村の名が広まり出したのは1年の秋。近畿大会の準々決勝で、報徳学園を相手に延長14回を投げ切って完封勝利を挙げ、チームは準優勝。チームとして初のセンバツ大会出場の原動力になった。そのセンバツ大会でもベスト8まで勝ち進み、当時同じ2年生の捕手・後藤克基と共にバッテリーを組み、チームの屋台骨を支えた。

 だが、センバツから戻るとその輝きが次第に薄くなっていく。これまでの蓄積疲労の影響があった訳でもなく、ヒジや肩を痛めてもいない。それでもなかなか調子が上がらず、投げれば打たれる日々が続いた。秋もエース番号を背負ったが、同じ学年のライバル・棚原孝太が台頭し、登板機会が激減。自身は腰痛を患い、見せ場がないままシーズンを終え、冬場は体重増量を課題に、グラウンド近くの山道のランニングや筋力トレーニング、そして食事の量を増やすなど肉体改造に努めた。

 練習に対しては、とにかくストイックだった。だが、それが仇となって返ってくるとは思わなかった。腰痛は何とか治ったものの、今度は太ももの筋肉に激痛が走った。走ることすらできない。医者に診てもらうと、腰に連動する太ももの筋肉がつきすぎた影響で太ももに痛みを帯びるようになっていたという。練習を3、4か月休めば治ると言われたが、もう、最後の夏の大会が迫る時期。どうすることもできなかった。

最後の夏を前に負傷のエース、山口監督が下した決断とは…

「将来のある子だし、無理はさせられない」。山口達也監督は、登板回避を決断した。だが、棚原もヒジ痛のため投げられず、この夏は宮城滝太、島邊の2人の2年生投手の踏ん張りに賭けるしかなかった。

 相手校の校歌をベンチ前で聞く神村の表情は、最後まで崩れることはなかった。それどころか凛とした表情にも見えた。

「頑張っている仲間を見ていたら、自分が泣くのは…。最後のマウンドに立てなかったのは悔しいですけれど、みんなを信じてここまでやって来られたので」

 いつもと同じようにしっかりとした口調で、こう振り返った。試合前日にはブルペンで30球を投げ、調整もしていた。投げたいという思いは、最後まで持ち続けていた。

 そして最後にこう続けた。

「周りの人の存在に感謝しています。自分は1年生の時から投げさせてもらって、いい思いもしました。でも、春の大会はベンチを外れてスタンドから試合を見て、控えの選手の気持ちも分かったし、ケガをしてから心配してくれる人もたくさんいました。自分がこんな状態になってから、練習後に大阪の病院に連れて行ってもらったり、気に掛けていただいたり…。野球は1人でするスポーツじゃないとあらためて感じました」

 だから、笑って高校野球は終わろうと心から決めていた。涙に暮れる仲間の中で、しっかり前を見つめ続けたエースは、高校野球のユニホームに静かに別れを告げた。(沢井史 / Fumi Sawai)