スタルヒンは1940年に「須田博」と日本名を名乗るように

 プロ野球選手は毎年、球団を通じて選手名を連盟に登録する。多くは戸籍の名前と同じだが、様々な理由で様々な名前を登録することがある。

 戦前は、台湾や韓国は日本領だったので、その地域の出身者の中には現地の名前ではなく、日本名を名乗る選手もいた。1944年に打率.369で首位打者を取った南海の岡村俊昭は台湾出身で、本名は「葉天送」だったがプロ野球では岡村俊昭で通した。南海ホークスではコーチ、スカウトとして長く活躍した。

 ヴィクトル・スタルヒンは、ロシアの貴族階級の出身で、日本に亡命した。当初はスタルヒンと名乗っていたが、日中戦争が始まるとカタカナ名前の選手は遠征先で警察の取り調べを受けることが多くなったために、1940年に「須田博」と日本名を名乗るようになった。

 昭和の時代は「養子縁組」が多かったので、戸籍の名字が変わったのにともなって登録名を変えることも多かった。史上最多の1773勝を挙げた大監督、鶴岡一人は結婚して夫人の姓を継いだため、1946年から1958年まで「山本一人」だった。夫人が病死して鶴岡姓に戻っている。

 こうした事情とは関係なく、姓名判断や名前の画数を気にして登録名を変える例もしばしばみられる。2000本安打、200勝を記録した大選手でも、前述のスタルヒン以外に石井忠徳→琢朗、山本浩司→浩二、山内和弘→一弘、有藤道世→通世、加藤秀司→英司、別所昭→毅彦、村山実→昌史、皆川睦雄→睦男、山本昌広→山本昌、中尾輝三→碩志と改名した選手がいる。

セ・リーグ初代本塁打王の小鶴誠は一時期「飯塚誠」を名乗った

 中にはプロ野球に進んだことを知られたくないために、本名と異なる選手名を名乗った例もある。1950年、セ・リーグ初代の本塁打王に輝いた松竹の小鶴誠は1942年に名古屋軍に入団したが、軍需工場からのプロ入りで、軍部や地元にそれを知られないようにするため出身校の飯塚商業にちなんで一時期「飯塚誠」を名乗った。

 野球史家泣かせなのが、中利夫だ。1967年の首位打者で、通算1820安打、中日監督も務めた名選手だが、1955年、入団時は「利夫」、1964年に「三夫」、1965年に「暁生」と改名。中日監督時代は「利夫」。コーチ時代は「登志雄」だったこともある。解説者としては「利夫」だった。

 松坂世代の後藤武敏も中々、面白い。2003年の西武入団時は「後藤武敏」、そこから12シーズンそのままだったが2012年にDeNAに移籍後、2015年から「後藤武敏 G.」、2016年は「後藤 G 武敏」、2017年は「G. 後藤武敏」、2018年は「G 後藤武敏」と登録名を変えた。Gの位置と「.(ピリオド)」の有無だけで毎年登録名を変えている。Gはゴメスという愛称に因んだもの。

 外国人選手の場合は、日本人に読みやすいように球団側で名前を変えることがしばしばある。1967年南海に入団し、のちには南海、阪神の監督も務めたドン・ブラッシンゲームは、日本人には読みにくいため「ドン・ブレイザー」と登録された。

 1975年、広島に入団したスイッチヒッターのリッチー・シェインブラムも「シェーン」という名前で、1983年、阪急に入団したグレッグ・ウェルズは、アメリカ時代のニックネームから「ブーマー・ウェルズ」、1986年に同じく阪急に入団した救援投手のブラッド・レスリーもニックネームから「アニマル・レスリー」と登録されている。2000年に中日に入団したデーブ・二ルソンは出身地オーストラリアの野生犬ディンゴにちなんで「ディンゴ」となった。

南海のフランク・オーテンジオは語感が似ているからと「王天上」と登録

 南海ホークスは、外国人にしばしば不思議な登録名を付けた。1979年に南海に入団したフランク・オーテンジオは、語感が似ているからと「王天上」と登録された。当時現役だった巨人、王貞治にあやかった名前だったが、本塁打は2年で24本に終わった。1982年に入団したジーン・ドットソンは、俊足の外野手だったので自動車の銘柄にあやかって「ダットサン」とつけられた。しかし成績は快走とは言えず、1年で消えた。

 近年は、あまり変わった外国人の登録名はなくなった。NPBの情報がアメリカでも報道されるようになったため、当の外国人選手が難色を示すこともあるという。

 1994年、オリックスの仰木彬監督は、若手の鈴木一朗と佐藤和弘を「イチロー」「パンチ」と登録した。この年にイチローが大ブレークしたために、以後、ロッテの「サブロー(大村三郎)」、ヤクルトの「克則(野村克則)」など名字なしの下の名前だけの登録名が流行した。

 現在も楽天の「銀次(宇部、赤見内銀次)」、ヤクルトの「雄平(高井雄平)」などの例がある。銀次のようにプロ入り以来一度も名字を名乗っていない選手もいる。

 女子プロ野球では、2012年、試合での選手名をすべて名字抜きの下名前だけとした。「1番・美加」「2番・沙保里」という形だったが、選手の特定が難しいと不評で元に戻された。

 アメリカなど欧米系では、ミドルネームなど長い本名を持つ選手が多い。エンゼルスのマイク・トラウトは、「Michael Nelson Trout」が本名だが、ファーストネームにちなむ名前とラストネームを取って「Mike Trout」が登録名になっている。

 しかし、登録名のつけ方はまちまちだ。ベーブ・ルースの本名は「George Herman Ruth」だが、ニックネームから「Babe Ruth」が登録名となっている。イチローは、MLBでも「Ichiro!」という大声援を浴びていたが登録名は「Ichiro Suzuki」だ。日本人選手の場合、本名の英語名が登録名になることが多い。MLBでは選手の改名はNPBほど多くはないが、BJ・アップトンは、2015年からメルヴィン・アップトン・ジュニアと改名している。

 人気商売であるプロ野球にとって「名前」は、看板である。大活躍することで名前は大きくなっていく。今年も名前を大きくする選手が出てくるだろう。(広尾晃 / Koh Hiroo)