20代で超えられなかった150キロ「社会人の時も最速は149キロでした」

「僕らの時代の140キロが、今の150キロですよね。この20年くらいでプラス10キロ。2軍でも今は150キロを投げる投手はゴロゴロいますから」

 そう語るのは、阪神OBで元メジャーの藪恵壹氏だ。1994年に阪神に入団した右腕は、同年に新人王を獲得。その後もエースとして、先発ローテーションを支えた。

 今では、エンゼルスの大谷翔平投手やソフトバンクの千賀滉大投手など、公式戦で時速160キロを計測する投手が現れ、時速150キロは珍しい数字ではなくなった。だが、藪氏が入団した当初、今から26年前は別の話だった。

「僕が入った時は球が速い人は少なくて、今ほど速球派はいませんでした。久保田(智之)の頃になると150キロを投げる人は多かったですね。福原(忍)、安藤(優也)、藤川(球児)。それまでは郭李(建夫)くらいでしょう、球が速いなって思ったのは。ただ、あの頃はまだ外国人枠が2人だったから、オマリーとディアーの野手2人に弾かれちゃって、なかなか出られませんでしたけどね。郭李はいいピッチャーでした」

 当時、藪氏にとっても「時速150キロ」は越えられそうで越えられない壁だったという。

「僕は日本で投げた最後の年、35歳の時に最速151キロが出たんですよ。それまで20代の頃にも150キロは一度も出たことがなくて、社会人の時も最速は149キロでした。2004年に横浜スタジアムで投げた時に『これは速い』と思って電光掲示板を見たら『151キロ』。おぉ出た〜!って思いましたよ(笑)」

 最速149キロと150キロでは「全然響きが違いますよ」と笑う藪氏だが、メジャーで挑戦したのは「時速95マイル(約152.8キロ)」の壁だった。

「こだわりたいですよね。1球出ればいい。1球95マイルが出せればいいと思っていたら、アスレチックス時代の2005年に一度出ました。アトランタ遠征の時で、打者はロッテにもいたフリオ・フランコ。95マイルで見逃し三振に仕留めたんだけど、フランコはボールだって怒っていましたね(笑)。今年は菊池雄星(マリナーズ)が98マイル(約157.7キロ)出ています。みんな本当に進化していますね」

井川慶を怖がらせた藤川のストレート、藪氏が怖さを感じたウィリアムスとのキャッチボール

 今では時速150キロを越える速球派投手が増え、目指すは160キロの大台という現実がある。同時に、投手はボールの回転数にも大きく注目し、回転数を多くすることで“キレ”を補い、実際の球速以上に速く感じるような努力をしている。藪氏が現役時代、その回転数に驚かされたのが、藤川球児だったという。最初に藤川の凄さを教えてくれたのは、当時チームメートだった井川慶氏だった。

「球児が1軍に定着したのは2004年。僕の最後の年です。それまでは2軍と行き来していた。ある時、井川が言うんです。『球児の真っ直ぐは違いますよ。回転数が多くて、回転軸があまり傾いていないから伸びてくる。キャッチボールをしていて怖いです』って」

 藤川は150キロ超のボールを投げ込むが、打者の手元で見せる伸びや圧倒的な球威から「火の玉ストレート」という異名を執った。マウンド上で投げる球だけではなく、キャッチボールで投げる球から回転数高く投げているこだわりに、40歳を超えた今なお現役を続けているヒントが隠されているのかもしれない。

 藪氏がキャッチボールをして怖さを感じたのは、藤川と「JFK」トリオを組んでいたジェフ・ウィリアムスだという。

「僕がキャッチボールしていて怖かったのはジェフ。左投手で下から投げますからね。まず見慣れないフォームだし、ボールがウワッと迫る感じでやってくる。今でも多分、キャッチボールをしたら怖いんじゃないかと思います。

 実際にはキャッチボールしたことはないけど、近距離なのに強く投げていて驚いたのが、米ジャイアンツ時代のチームメート、(ティム・)リンスカムですね。たまに近距離でも軽く投げられない投手がいるんですよ。彼は多分そのタイプ。ピッチャーゴロを一塁にフワッと投げられないタイプいますよね。アレです。リンスカムはいつも(マット・)ケインとキャッチボールをしていたけど、とにかく速い。近距離なのに速球派で、あれは見ていて怖かったですね(笑)」

 球場に出掛けたり、キャンプを訪れたり、プロの投手がキャッチボールをする姿を間近で見るチャンスがあったら、どんな球を投げているのか観察してみるのも面白いかもしれない。(佐藤直子 / Naoko Sato)