国内男子ゴルフのツアー制度が始まった1973年より前の記録は、公式にほとんど残されていません。また、73年以降もツアー史に埋もれている輝かしい記録が数多く存在します。本連載では、ゴルフジャーナリストの武藤一彦氏が取材メモや文献をもとに男子ツアーの前史や初期にスポットを当て、後世に残したい記録として紹介します。

米ツアー挑戦を断念して日本へ

日本ツアー初の外国人賞金王は1987年に誕生した。シーズン最多の6勝を挙げた日系三世、当時32歳のデビッド・イシイ(米国)。尾崎将司は3勝(ランク2位)、青木功は4勝(同4位)、中嶋常幸は1勝(同13位)に終わったライバルたちを退け、堂々のマネーキングに輝いた。

1955年7月、ハワイ州カウアイ島生まれ。父親は絨毯(じゅうたん)などを扱う室内装飾業を営む実業家。5歳でゴルフを始め、元プロ野球・毎日オリオンズ野手でプロゴルファーに転身したアレン・ヤマモトの元でめきめきと腕を上げ、ジュニア競技で活躍した。その後はゴルフの名門・ヒューストン大に奨学生として入学し、オールアメリカンに選ばれている。

178cmの長身。飛距離は出なかったが、ドロー、フェード、高低を自在に打ち分けるショットメーカー。1979年に23歳でプロ入りし、本田技研工業のハワイ関連企業が保有するハワイ州オアフ島のパールCCに所属する。米ツアーを目指したものの、Qスクールを3回失敗して日本ツアーへ。ようやく芽が出たのは85年。「東北クラシック」で初優勝を飾ると、86年には「中日クラウンズ」など2勝を挙げた。

賞金ランク統合“元年”につかんだマネータイトル

そして、日本ツアーによる1987年の大改革がイシイの運命を変えた。日本ツアーは73年に賞金シード制を導入するが、対象は主に日本国籍を持つ者だけとし、賞金ランキングは日本人選手(準会員の外国人を含む)と、会員外の外国人選手との2本立てだった。87年にようやく賞金ランクを一本化し、イシイを含む会員外の選手にもシード権を認めたのである。

イシイは同年6月から調子を上げ、「札幌とうきゅうオープン」でシーズン初優勝。2週後の「ミズノオープン」を8打差で圧勝すると、7月「日本プロ」では32歳の誕生日(最終日)を自ら祝う勝利。さらに10月「ブリヂストントーナメント」、11月「カシオワールドオープン」も制した。

そして、賞金ランク1位で迎えた12月の「ゴルフ日本シリーズ」。当時は、大阪と東京の2コース(よみうりカントリークラブ)を使った伝統の日本一決定戦。大阪で行われた1日目は雪で中止となり、2日目の第1ラウンドは青木が首位、イシイは2打差の4位で東京に移動。1日おいた3日目の第2ラウンドは、イシイ「69」、青木「71」として通算7アンダーの首位に並ぶ。賞金王を争う尾崎が1打差で追う、白熱の展開だった。

ところが、36ホールを終えた夜からの降雪によって最終日も中止となり、競技は36ホールに短縮。伝統の日本シリーズは24回目にして初となる2人のチャンピオンが誕生し、常夏のハワイ出身のイシイは、雪だるまの前で青木と優勝カップを掲げた。

イシイは雪にも助けられた6勝目により、賞金ランク2位で追う尾崎との差を約802万円に広げる。尾崎は翌週のシーズン最終戦「大京オープン」で唯一逆転の可能性があったものの、決戦を前に欠場を表明。日本ツアー史上初となる外国人賞金王が決定した。(武藤一彦)