出版不況下、未曾有の危機に陥っていた『週刊少年サンデー』を復活させた市原武法・前編集長。「少年マンガは農業。新人作家や若手編集者を育てるのが仕事」という信念を貫徹することで誌面に活気を取り戻し、「古見さんは、コミュ症です。」「葬送のフリーレン」など数々の大ヒット作を世に送り出した。その市原さんが4月半ばに小学館を退職。マンガ原作者としての再出発を宣言した。なぜ、この時期に転身なのか。その真意について伺った。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:木村光一)

市原武法●いちはら・たけのり 1974年、東京都生まれ。成蹊大学経済学部卒。1997年、小学館入社。『週刊少年サンデー』編集部に配属され、あだち充、西森博之、満田拓也、田辺イエロウ、モリタイシら人気マンガ家を担当する。2010年より月刊誌『ゲッサン』編集長として新人作家育成に注力。2015年7月、『週刊少年サンデー』編集長就任。「古見さんは、コミュ症です。」「あおざくら防衛大学校物語」「魔王城でおやすみ」「葬送のフリーレン」などを大ヒットさせた。2022年4月15日付で小学館を退職。マンガ原作者として再スタートを宣言した

 

培ってきたキャリアのすべてを懸けて、愛するマンガ界に報いたい

──市原さんは4月15日付で小学館を退職したのと同時にマンガ原作者としての再出発を宣言されました。マンガ業界を驚かせた転身と、それがこのタイミングであったことには何か理由があるのでしょうか?

 

市原 再出発がこの時期であったことについてはとくに理由はありません。たまたまです。マンガ原作者への転身にしても、僕も48歳、あとは好きなように楽しく生きていきたいと、そう思っただけのことで(笑)。

 

──会社に留まったとしても、マンガに関連する仕事は続けられたのでは?

 

市原 元々、僕は「来世もこの仕事がやりたい!」と思うくらいマンガ編集者という仕事が好きでした。でも入社して5年、10年と経つうち、会社内での自分の行く末がなんとなく想像できるようになってきて。問題はマンガ編集の現場からいつか退かなければならない日が必ず来るということで、そうなったときにどうすべきかについて、実は20代後半からずっと考えていたんです。

 

──なるほど。第一線でマンガを作り続けたいという思いが強かったのですね。

 

市原 はい。2020年10月に『週刊少年サンデー』『ゲッサン』『月刊サンデーGX』『サンデーうぇぶり』を統括するプロデューサーの役職(小学館第二コミック局プロデューサー)に就いたんですが、そのとき初めて外に出る決心を固めました。編集長を務めた6年間、さまざまな改革を行って業績は改善させたものの、まだまだ『少年サンデー』は復活の途上。このまま会社に残って陰ながら支えていくという選択もありました。でもそれより、これまで自分が培ってきた“マンガ力”をフル活用し、魅力あるマンガを作って提供する側に回った方がより貢献できるのではないか、と、最後はそういう結論に達したわけです。

 

編集長になったことで失われた貴重な10年間

──一般的にマンガ編集者は黒子の存在というイメージがあります。実際、週刊少年誌の現場ではどういった役割を担っているのでしょうか?

 

市原 第一は新人作家の育成。ダイヤモンドの原石探しみたいなものですね。どのメジャーマンガ誌にも2、3名はいるエース格の主力編集者たちは、有望な新人作家の新連載を次々立ち上げていくのが使命です。作家さんの場合、週刊誌の連載は1本抱えただけで限界ですが、主力編集者は1人で数本の週刊連載を担当できますし、つねに新連載企画を4本くらい同時に進められます。自分で画を描いたりシナリオを書いたりはしませんが、世の中の面白そうなことを絶えず探しまわり、365日、それを作品にどう落とし込むかという作業にひたすら没頭しているのがマンガ編集者です。

 

──市原さんは『ゲッサン』『週刊少年サンデー』の編集長を歴任されました。編集長ともなれば掲載作品の決定権もあり、仕事の自由度や充実度はかなり高かったのではありませんか?

 

市原 いえ、これはちょっと語弊があるかもしれないんですけど、本音を言うと、編集長をやっていた十数年は、1人のマンガ編集者としてはもったいない時間でした。

 

──もったいない時間?

 

市原 普通、出版社に入社して22歳か23歳で編集者になれば、大体40歳ぐらいまで新人作家さんを担当できます。実はこの22歳から40歳までの18年間がマンガ編集者にとって勝負の時期。言い換えればマンガ編集者の仕事というのは、この期間内に全力で新人作家の育成をして、何本の新連載を立ち上げられるかというゲームなんです。ところが、僕は30歳で新雑誌創刊の準備に入ったため、残りのプレータイムを10年も損してしまった。もったいない時間だったというのは、そういう意味です。

 

──編集長になると新人作家を担当してはいけないんですか?

 

市原 ダメです。チームとして公平性を欠くので。でも、正直、才能のある新人作家が編集部に持ち込みにくるたび、心の中で「俺にやらせてくれ!」と叫んでました(笑)。けれど、そこはぐっとこらえて「どうなってる? 新人育成っていうのはこうやるんだよ」と、あくまで編集者のアドバイザーに徹して…。自分で担当した方が絶対に上手くやれるのはわかっていても、5年先、10年先を見据えて次世代の編集者を育てるのも、編集長の重要な任務なので。

 

マンガ編集者のあるべき姿は“構え”を持たないこと

──作家の領域にまで踏み込み、作品を思い通りにコントロールしているマンガ編集者も少なくないと聞いています。市原さんは作家を担当した際、どれくらい作品の方向性に関与していたのでしょうか?

 

市原 編集者にもそれぞれ“構え”みたいなものがあるんですが、僕の場合は“無”です。作家さんがどういうタイプなのかを見極めた上でやり方を決める。例えば、すごく画が上手くてキャラクター作りも演出も巧みなのに、縦軸の大きなストーリー作りが苦手という作家さんもいればその逆の方もいる。僕は彼らの得意なところは徹底的に伸ばし、足りていないところは手助けするというやり方をつねに心がけていました。

 

──まずは作家の長所を伸ばすことに専念すると。

 

市原 そうです。編集者側が自分のやり方を作家さんに強要すると、そのやり方に合っていない作家さんは絶対にうまくいきません。なので、自分の成功体験にだけしがみつく編集者はとても危険です。百戦錬磨のマンガ編集者は、作家さんのスタイルに応じて役割を自由自在に変えるべきだと僕は考えていました。それと、物語を作る際には、作家さんと編集者は対等じゃないと意味がない。どんな大御所が相手でも打ち合わせするときは対等。当然、敬語は使いますけど(笑)。逆に新人だからといって下に見ることもない。完全に対等でなければ決して良い結果は出ないんです。そういう独立した関係性もマンガ作りの面白いところでした。

 

──編集者として経験してきたことは、マンガ原作の仕事にどれくらい役立ちそうですか?

 

市原 僕は25年間、若いマンガ家さんの長所や個性、才能がどこにあるのか、どうすればそれを最大限引き出せるのかを考え続けてきました。その編集者としての経験や感覚はマンガ原作者としても確実に役に立つと思います。なのでパートナーになるマンガ家さんの資料(今まで描いた読切や連載作品など)はなるべく全て読んでから原作の構想に入るようにしています。そのマンガ家さんの画力や長所を完全に理解した方が絶対にいい原作が書けるからです。そう考えると、原作を書くという仕事にも3割ぐらいは編集者のスキルが役立ちそうな気がします。

 

マンガ原作者に求められる3つの能力

──市原さんは原作者転向宣言直後のインタビューで「描きたい題材はいくらでもある」と語っていました。現時点で話せる範囲で結構です。これから作家として、主にどんな物語や世界を描いていきたいとお考えですか?

 

市原 原作者に求められるものは大きく分けて3つあります。1つ目は、マンガ家さんだけではとても手に負えないような何らかの専門知識。2つ目は、キャラクターの人格が滲み出る生きたセリフや力強いドラマを書ける筆力。そしてこれは15年前くらいからの傾向なんですが、近年、マンガの“常識領域”がものすごく広くなってきている。つまり、どんどん拡大を続ける「読者が何を面白いと思えるのか」という感覚を察知する力=時代を読む力が要求されている。それが3つ目のポイントになっています。加えて、マンガの表現もいよいよ成熟してきて、ある程度完成したスタイルを踏まえた上での新しい差別化が求められている。僕の場合、その辺の感覚をうまく使って作品を生み出していきたいと考えているので、「このジャンルしか描かない」「こういうキャラしか描きたくない」という変なこだわりは一切ないですね。

 

──具体性がないからこそ、逆に物語の種は尽きないとも言えますね。

 

市原 そうかもしれません。とにかく、さきほども話したように編集者は365日24時間、何か面白いことはないかと探し続けるのが仕事でしたから、まとまった構想というより自分が面白いと思ったこと、これなら絶対に当たると思ったアイディアの欠片が50冊を超えるアイディアノートに書き留めてある。それ自体は欠片でしかありませんが、そこに肉付けしたり、キャラクターやドラマを組み合わせたりすると一つの物語が出来上がっていく。そういった面白さの欠片が使えきれないくらいストックされていて、それをこのまま墓まで持っていきたくない、使いきれなかったものを世に出したいという思いをずっと抱えていたんです。

 

──それらの可能性の活用は、もう始まっているのでしょうか?

 

市原 取材に入っているものもあれば、パートナーのマンガ家さんが決まって編集部のOKが出ているものもあります。しかし、新連載企画は構想から掲載まで1年ぐらいかかりますので、実際に作品が日の目を見るのは、もう少し先の話になりますね。

 

ビジネスモデルが激変した少年マンガ誌と紙媒体の存在意義

──市原さんは『週刊少年サンデー』が1959年の創刊期以来初の赤字転落に見舞われようとしていた2015年、編集長に就任。わずか数年で立て直した功労者といわれています。いったい、どうやって売り上げの減少を食い止め、大幅なV字回復を達成したのですか?

 

市原 どんな雑誌でも例外なく発行部数は減り続けていますし、おそらくこの流れは止まらないと思います。『少年サンデー』の業績回復も部数を伸ばした結果ではありませんから。そもそも1970年代から少年マンガ誌は雑誌単体では大きな利益が出ない仕組みになっており、コミックスの売上、ライツ(版権)収入などと合算することで利益を生み出すようになっていました。実質、雑誌は読者をコミックスの購買へ誘導するための宣伝冊子のような位置付けだったんです。

 

──なるほど…。

 

市原 それでも1990年代までは他にマンガを知る手段がなかったため雑誌もよく売れていたわけです。が、ゼロ年代からはネットが普及してマンガの読まれ方が激変します。それに伴って発行部数も急降下していったんです。逆にスマホで読める電子コミックが年々売り上げを伸ばし始めてからは、「サンデーうぇぶり」(『少年サンデー』『ゲッサン』『月刊サンデーGX』の3誌のマンガが読める合同Webコミック配信サイト/2016年配信開始)を立ち上げるなどしてトータルな収益の強化を図り、以来、雑誌の販売部数に一喜一憂することはなくなっています。雑誌発行部数が成功の目安だった時代はずいぶん前に終わっていたんですよ。

 

──そうだったんですか。では、いよいよ紙媒体の少年マンガは役割を終えようとしていると?

 

市原 いえ、そんなことはありません。紙に印刷された少年マンガ誌は『週刊少年サンデー』『週刊少年マガジン』『週刊少年ジャンプ』『週刊少年チャンピオン』といったマンガ界における“ブランド”のフラッグシップです。よって、まだまだ発行をやめるわけにはいかない。いわゆる総本店が存在するからこそ誰もがメジャーブランドだと認めるのであり、それは読者さん、あるいは持ち込みに来る新人作家さんにも共通する価値観なんです。

例えば『少年サンデー』の増刊号には新人の読み切り作品を載せる小冊子が付いてるんですが、それに作品が載った新人の子たちはものすごく喜んでくれる。普段、好きなマンガをスマホで読んでいるネイティブなデジタル世代の彼らも、いざ自分の作品が紙媒体に載ると、嬉々としてその冊子を友達に配ったり両親に送ったりしているんですよ。そんなふうに作家さんが盛り上がってくれるわけですから、それだけでも紙の雑誌の発行には意味があるんです。

 

少年マンガ誌の“ブランド”を守るためにやらなければいけないこと

──この先、少年マンガ誌の“ブランド”を維持し続けるためには何をすればいいのでしょうか?

 

市原 重要なのは「面白い作品がそこにはたくさんある」と読者さんに信頼されること。それから、新人作家さんには「このマンガブランドに作品を持ち込めば自分も人気作家になれる」という希望を与える。そうすることで編集部には才能のある新人が集まって来ますし、その際、編集者の人材育成にも手抜かりがなければ、おのずとヒット作は生まれます。結局、このサイクルを繰り返していく不断の努力のほかに、ブランドを守り、発展させていく道はないんです。

 

──今後、市原さんはマンガ原作者として、いずれのブランドを活躍の場にするおつもりですか?

 

市原 個人的には世話になった『週刊少年サンデー』と古巣である『ゲッサン』のお手伝いができればと思っています。あとはお声掛けをいただく側の立場なので、その先はご縁かと。いずれにせよ、この先、30年も40年もバリバリやれるわけではないので、自由に動き回れる間はできるだけ好きなことをしていたいです。新たなチャレンジも成功するかどうかはまだ始まったばかりでわかりませんが、進んでいる道が間違ってないことだけは自分でもはっきりわかっています。今は大好きなマンガのことだけをひたすら考えていられるのが楽しいし、最高に幸せだと感じています。