おもしろローカル線の旅76 〜〜北陸鉄道石川線・浅野川線(石川県)〜〜

 

ローカル線の旅を楽しんでいると、なぜだろう? どうして? といった謎が多く生まれてくる。そうした謎解きしながらの列車旅がおもしろい。

 

今回は石川県金沢市とその近郊を走る北陸鉄道の石川線と浅野川線の旅を楽しんだ。両線を乗っているとなぜ? という疑問がいくつも湧いてきた。

 

【北陸謎解きの旅①】そもそも北陸鉄道はどこの鉄道会社なのか?

北陸鉄道は石川県の鉄道会社なのに北陸鉄道を名乗っている。北陸の隣県でいえば「富山地方鉄道」、福井県では「福井鉄道」がある。現在は元北陸本線の石川県内の路線が三セク鉄道の「IRいしかわ鉄道」となっているものの、なぜ、北陸鉄道と規模の大きさを感じさせる会社名を名乗ったのだろう?

 

下記の路線図は北陸鉄道の太平洋戦争後、最も路線網が広がった時代の路線図である。この当時の北陸鉄道の路線本数は計13路線にも広がり、路線の総距離は144.4kmにも達した。

↑昭和30年代初期の北陸鉄道の路線図。ピンク色の路線すべてが北陸鉄道の路線だったが、今は白ラインで囲む2路線のみとなっている

 

創業当時から北陸鉄道という会社名だったわけではない。1916(大正5)年に発足した金沢電気軌道という会社が大本だった。金沢市内の路面電車を運行していた会社が北陸鉄道となっていったのである。

 

1942(昭和17)3月26日に北陸鉄道を設立。翌年の1943(昭和18)年10月13日には石川県内7社の交通会社が合併した。太平洋戦争後の1945(昭和20)年10月1日には、浅野川電気鉄道(現浅野川線)を合併し、北陸地方最大規模の路線網が形作られたのだった。名実ともに北陸地方を代表する私鉄会社となったのである。

 

しかし、〝大北陸鉄道〟時代は長くは続かなかった。モータリゼーションの高まりとともに、鉄道利用者は次第に減っていき、1950年代から路線の縮小が始まる。1987(昭和62)年4月29日に、加賀一の宮駅〜白山下駅間を走っていた金名線(きんめいせん)が正式に廃止されたことにより、北陸鉄道の路線は石川線、浅野川線の2線、路線距離20.6kmとなっている。

 

【北陸謎解きの旅②】なぜ2路線は結ばれていないのか?

石川線の始発駅は金沢市内の野町駅、また、浅野川線の始発駅は北鉄金沢駅となっている。両線はつながっていない。しかも歩いて移動すると約3km強の距離がある。なぜ両線はつながらず、また両駅は離れているのだろう。

↑金沢市の繁華街、昭和初期の尾張町通りを金沢電気軌道の電車が走る。市内線は1967(昭和42)年に全廃 絵葉書は筆者所蔵

 

かつて、金沢市内には北陸鉄道金沢市内線という路面電車の路線網があった。この路面電車は全盛期には市街全域に路線が敷かれていた。路線の中で白銀町〜金沢駅前〜野町駅前という〝本線系統〟があり、路線距離はちょうど金沢駅前から野町駅前まで3.6kmだった。

 

路面電車が走っていたころは、この電車に乗れば、金沢駅から市の繁華街である武蔵ヶ辻(金沢駅から1.1km)、香林坊(金沢駅から2.2km)に行くのも便利で、野町駅へも繁華街経由で行くことができた。

 

この金沢市内線は、国内の多くの都市と同じように、モータリゼーションの高まりで、邪魔者扱いされるようになっていった。そして1967(昭和42)年2月11日に廃止された。

 

北陸三県では富山市、福井市が、路面電車の新たな路線を整備し、低床の車両を導入するなどして、路面電車を人にやさしい公共交通機関として役立て、また市内を活性化させている。対して金沢市は廃止し、バス路線化の道をたどった。まさに好対照と言って良いだろう。

↑今回紹介の北陸鉄道石川線(左)と浅野川線(右)の路線図。両線は離れていることもあり、一日で巡るには乗り換えが必要

 

地元に住む人たちはバスでの移動に慣れてしまっているのであろうが、観光で訪れた時には市内電車があれば、駅から金沢の繁華街へ行く時にも、より分かりやすいかと思われる。何より市内電車があったならば、石川線の始発駅・野町駅も今ほどの〝寂れ方〟はなかったようにも思う。

 

外部の者がそんな感想を持つぐらいだから、地元の人も危機感をもっていたようだ。実は今年の春に市内にLRT(ライトレールトランジット)路線を設けて北鉄金沢駅と野町駅を結ぶ計画が検討され始めていた。2021年度中には方向性を決め、導入に向けて環境を整えていくべきとしている。もし金沢市にLRT路線が生まれるとなれば、より便利になり、観光にも有効活用されそうである。期待したい。

 

【北陸謎解きの旅③】走っている車両は東急と京王の元何系?

ここからは石川線の概要と走る車両に関して見ていきたい。

 

◆北陸鉄道石川線の概要

路線と距離 北陸鉄道石川線/野町駅(のまちえき)〜鶴来駅(つるぎえき)13.8km
全線単線直流600V電。
開業 1915(大正4)年6月22日、石川電気鉄道により新野々市駅(現新西金沢駅)〜鶴来駅間が開業、1922(大正11)年10月1日に西金沢駅(後に白菊町に改名、現在は廃止)まで延伸。1927(昭和2)年12月28日に神社前駅(後の加賀一の宮駅)まで延伸開業。
駅数 17駅(起終点駅を含む)

 

石川電気鉄道の路線として開業した石川線だったが、開業8日後には「石川鉄道」という会社名となっている。石川鉄道を名乗る会社が大正期にあったわけだ。

 

現在、北陸鉄道石川線を走る電車は2種類ある。

 

◆北陸鉄道7000系電車

↑石川線の主力車両7000系。正面の下には大きな排障器(スカート)が取り付けられる。小柳駅付近では写真のように水田が広がる

 

北陸鉄道の7000系は、元東急電鉄の7000系(初代)だ。東急7000系(初代)は日本の鉄道ではじめて製造されたオールステンレス車両で、1962(昭和37)年に誕生した。

 

当時、日本ではステンレス車両を造る技術を持っておらず、アメリカのバッド社と技術提携した東急車輌製造によって134両が製造された。東急では東横線、田園都市線などを走り続け、北陸鉄道へは1990(平成2)年に2両編成5本が入線している。導入前には石川線に合うように電装品が直流1500V用から直流600V用に載せ変えられている。

 

今も石川線の主力として走る7000系。初期のオールステンレス車両らしく、側面には波打つコルゲート板が見て取れる。また正面下部には、東急時代には無かった大きな排障器(スカート)が付けられている。

 

7000系は、細かくは7000形、7100形、7200形と分けることができる。その中の7200形は中間車を先頭車に改造した車両で、正面に貫通扉がなく、凹凸のない顔のため他の7000系との違いが見分けしやすい。

 

◆北陸鉄道7700系電車

↑鶴来駅の車庫に停まる7700系。元井の頭線の3000系の初期型を利用した車両で、3000系の後期車とは正面の窓の形が異なる

 

元東急7000系以外に石川線を走るのは7700系。こちらは元京王電鉄の井の頭線を走っていた3000系で、東急7000系と同じく東急車両製造で製造、また誕生も1962(昭和37)年と、東急7000系と同じ時代に生まれたオールステンレス車両だ。要は同時代に同じ東急車輌製造で作られたオールステンレス車両が北陸の地で再び出会ったという形になったわけである。

 

なお、石川線が直流600Vで電化されていることから、2007(平成19)年の入線時に7700系の電装品は変更されている。石川線に入った編成は2両×1編成のみで、7000系に比べると沿線で出会うことは少なめだが、変更予定はない模様で、この先しばらくは走り続けることになりそうだ。ちなみに石川線も、市内のLRT路線計画に合わせてLRT化しては、という声も出てきている。そうなれば、現在の石川線の車両も大きく変わっていきそうだ。

 

【北陸謎解きの旅④】JR北陸本線にも野々市駅という駅がある

だいぶ寄り道してしまったが、石川線の旅を始めよう。北陸鉄道の旅をする時には事前に「鉄道線全線1日フリー乗車券(1100円)」を購入するとおトクだ。野町駅、鶴来駅、北鉄金沢駅、内灘駅、北鉄駅前センター(金沢駅東口バスターミナル1番のりば近く)で販売されている。

 

石川線の起点は野町駅。金沢市内にある駅だが、駅前はひっそりしている。路線バスが到着しても、バスから電車へ乗り換える人の姿は見かけない。筆者が訪れた時にも駅前は閑散としていた。同駅で「鉄道線全線1日フリー乗車券」を購入して電車に乗り込んだ。

↑石川線の起点となる野町駅。路線バスが駅舎に横付けするように停まる。同駅から金沢の繁華街、香林坊へはバスを使えば10分弱の距離

 

野町駅では到着した電車がそのまま折り返す形で出発する。列車の本数は朝夕が30分おき、日中は1時間おきと少なめだ。乗車の際にはダイヤを良く調べて乗車したい。

 

さて、野町駅を発車してしばらくは金沢の市街地だ。西泉駅、新西金沢駅と駅間の距離はそれぞれ約1.0kmで、駅を発車すると間もなく次の駅に到着する。

 

2つめの新西金沢駅で乗客がずいぶんと増えてきた。この新西金沢駅は、すぐ目の前にJR西金沢駅があり、同駅がJR北陸本線との接続駅になっていて、JR線からの乗り換え客が目立つ。野町駅から乗車する人よりも、この新西金沢駅から先の区間を利用する人が圧倒的に多いことが分かった。

↑新西金沢駅に入線する野町駅発、鶴来駅行きの7000系7200形。左上は同駅の入口で、乗降客が多いものの質素なつくりだ

 

ちなみに、新西金沢駅とJR北陸本線の西金沢駅の間には屋根付きの通路が設けられている。そのため雨の日でもぬれることなく乗り換えが可能となっている。

 

この新西金沢駅と、西金沢駅、また野々市駅という駅名の推移が興味深い。実は、JRにも石川線にも野々市駅があるのだ。北陸本線では西金沢駅の隣の駅、石川線では新西金沢駅から2つめの駅だ。両駅は直線距離でも2.5kmほど離れている。なぜ、2つの野々市駅がこんなに離れた場所にあるのだろう。他所から訪れる人は間違いそうだが、野々市駅が2つあるのには複雑な理由がある。

 

最初に野々市駅を名乗った駅は現在のJR西金沢駅で、1912(大正元)年8月1日のことである。その後、1925(大正14)年10月1日に現在の駅名、西金沢駅と改名した。西金沢駅は金沢市内にある駅なのに、当初は隣の市の名称である「野々市」を名乗っていたことになる。この改名と入れ替わるかのように金沢電気軌道(現・北陸鉄道)が、1925(大正14)年10月1日に上野々市駅の駅名を野々市駅に変更した。

↑北陸鉄道石川線との乗り換え客が多いJR西金沢駅。開業時の駅名は野々市駅だった

 

では、JR野々市駅はいつ開設されたのだろう。こちらは1968(昭和43)年3月25日と、ぐっと新しくなる。地元からの要望があり請願駅として駅が開設された。

 

北陸鉄道の野々市駅も、JR野々市駅も同じ野々市市内にあるが、規模はJR野々市駅の方が大きい。2面2線のホームと北口・南口がある。路線バスも野々市駅南口を通る本数が多い。

 

一方の北陸鉄道の野々市駅は、1面1線でホーム上に小さな待合施設があるだけで、規模は圧倒的に小さい。1日の乗降客もJRの野々市駅2000人に対して北陸鉄道の野々市駅は104人(それぞれ2019年の場合)と少ない。バスも通らない。こうした差もあり、地元では単に野々市駅といえば、JR北陸本線の駅を指すようになっているようだ。

 

そんな野々市駅まではひたすら市街地を電車が走る。次の野々市工大前駅付近からは徐々に水田も点在するようになる。

 

【北陸謎解きの旅⑤】雪にいだかれた背景に見える山は?

石川線の7000系は懐かしい乗り心地だ。台車はだいぶ上下動し、スピードアップするとその動きが体に感じられるようになる。

 

石川線の郊外の趣が強まるのは四十万駅(しじまえき)付近からだ。陽羽里駅(ひばりえき)、曽谷駅(そだにえき)と読み方が難しい駅名が続く。このあたりになると駅前近くには民家、周辺に田園風景が広がるようになる。そして小柳駅(おやなぎえき)へ。この駅の周囲は水田のみで、車窓からは遠くに山景色が楽しめた。

 

空気の澄んだ季節ともなると標高の低い山の向こうに、白い雪に抱かれた白山(はくさん)が見えるようになってくる。〝たおやかで気高い〟と称される白山は、地元の人たちに長年、親しまれてきた。小柳駅付近は同線で最も景色が楽しめる区間と言って良いだろう。ちなみに陽羽里駅からは白山市に入る。白山がより近くに見えることもうなずけるわけだ。

↑小柳駅から次の日御子駅(ひのみこえき)方面を望む。雪が降り積もった白山の姿が遠望できた

 

小柳駅を過ぎれば、次は日御子駅(ひのみこえき)。この日御子とは駅近くの日御子神社の名前に由来する。ちなみに日御子とは旧白山の中心部にあった、火御子峰の神に由来する名称で、白山に縁の深い地にある神社らしい。日御子駅の次は終点、鶴来駅だ。駅到着の手前、進行方向右手に石川線の車庫がある。

 

【北陸謎解きの旅⑥】終点鶴来駅の先にある線路はどこへ?

終点の鶴来駅は玄関口があるしょうしゃな駅舎で、石川線の駅の中でもっと風格のある駅といっていいだろう。1915(大正4)年に開業、現在の駅舎は1927(昭和2)年築と古い。駅舎内には石川線の歴史を紹介するコーナーや、同社関連の古い資料や備品なども陳列されていて、さながら北陸鉄道の博物館のような駅だ。

↑石川線の終点駅・鶴来駅。大正ロマンの趣を持つ駅舎では古い鉄道資料(左上)などの展示もされ、鉄道ファンには必見の駅だ

 

鶴来という駅名、「つるぎ」と読ませるだけに、この駅名にも何か白山に縁があるのか調べてみると、やはりそうだった。駅の近くに金劔宮(きんけんぐう)という神社があり、ここは白山七社の1つにあたる。この神社の門前町の地名が劔(つるぎ)でこの劔が鶴来と書かれるようになったのだそうだ。

↑鶴来駅から発車する野町駅行き電車。同駅構内には1、2番線のほか側線もあり構内は広い。駅舎はこの左手にある

 

鶴来駅で気になるのは駅舎内の古い資料だけではない。ホームの野町駅側だけでなく、南側のかなり先まで線路が延びているのである。同駅で終点なはずだが、なぜ線路があるのか、この線路はどこまで延びているのだろうか。

 

実はこの先、過去には2つの路線が設けられていた。駅から線路は右にカーブして伸びている。たどると鶴来の街中を南北に通り抜ける県道45号までは線路が敷かれ、県道の手前に車止めがあった。ここまでは鶴来駅にある検修庫用の線路からホームや本線へ入るために折り返し線として使われている。さらに県道をわたるように線路は残るが、先はすでに使われていない。緑が覆う廃線跡には入れないように柵が設けられていた。

 

調べるとこの先、実はいくつかの路線があった。まずは石川線が2.1km先の加賀一の宮駅まで延びていた。この加賀一の宮駅は今も旧木造駅舎が残り、登録有形文化財に指定されている。加賀一の宮駅の先からは金名線(きんめいせん)という路線が16.8km先の白山下駅まで延びていた。

↑鶴来駅の先に延びるレール。県道の先には旧線の架線柱と線路がまだ残っている区間(右上)が続いている

 

さらに、延びた線路の先に違う路線がもう1本あり、県道45号線のすぐ先に本鶴来駅(ほんつるぎえき)という駅があった。本鶴来駅は能美線(のみせん)という北陸鉄道の路線の駅で、この先はJR北陸本線の寺井駅(現・能美根上駅/のみねあがりえき)に接続する新寺井駅まで16.7kmの路線があった。

 

金名線は1987(昭和62)年4月29日に、能美線は1980(昭和55)年9月14日に正式に廃止されている。1980年代に入ってからの廃線とはいえ、調べるとすでに両線とも1970(昭和45)年には昼の運行を休止していたようで、なんとも寂しい終わり方だったようだ。

 

ひと昔前には、鶴来駅はターミナル駅として賑わっていたのだろう。その先に列車が走っていた時代に訪ねてみたかったと強く思った。

 

【北陸謎解きの旅⑦】浅野川線に元京王電車が導入された理由は?

ここからは金沢駅に戻り、北鉄金沢駅から走る浅野川線の旅を楽しんでみたい。まずは路線の概要と、走る車両の紹介から。

 

◆北陸鉄道浅野川線の概要

路線と距離 北陸鉄道浅野川(あさのがわ)線/北鉄金沢駅〜内灘駅6.8km、全線単線直流1500V電化
開業 1925(大正14)年5月10日、浅野川電気鉄道により七ツ屋駅〜新須崎駅(しんすさきえき/現在は廃駅)が開業、1926(大正15)年5月18日に金沢駅前までまで延伸。1929(昭和4)年7月14日に粟ヶ崎海岸駅(あわがさきかいがんえき/現在は廃駅)まで延伸開業。
駅数 12駅(起終点駅を含む)

 

まずは、浅野川電気鉄道により歴史が始まった北陸鉄道浅野川線。終点となる内灘駅へは大野川を渡る必要があり、橋の架橋に時間がかかった。新須崎駅開業の4年後に現内灘駅の先の粟ケ崎海岸まで路線が延びた。粟ケ崎には粟崎遊園があり、金沢市民の憩いの場として賑わった。後に粟崎遊園は軍の鍛練用地となり、戦後は内灘砂丘に米軍の試射場計画のため、また港湾整備などのため路線は縮小。現在は内灘駅が終点となっている。

 

北陸鉄道との合併は1945(昭和20)年10月1日のことで、太平洋戦争後のこと。戦時統合でなかば強制的に合併が決定され、戦後も計画は頓挫することなく、合併が進められた。

 

現在、この浅野川線を走る北陸鉄道の電車は2種類ある。

 

◆北陸鉄道8000系電車

↑北鉄金沢駅の地下化に伴い導入された元京王井の頭線の3000系。写真の片開き扉車両で8800番台に区分けされている

 

元京王井の頭線を走っていた3000系で、2001(平成13)年3月28日に起点の北鉄金沢駅が地下化されるのを機会に、地下化に向けて1996(平成8)年と1998(平成10)年に譲渡された。それまでの浅野川線の電車は吊り掛け式の旧型車両が多く、地下化に伴う火災対策、不燃化基準を満たさない車両とされていた。

 

京王3000系はオールステンレス車ということで地下化の基準に合致したこと、また売り込みもあり、同車両の導入を決めたのだった。同じ時期に浅野川線の電化方式を直流600Vから直流1500Vへ変更されたこともあり、この昇圧にも見合った電車でもあった。3000系は計10両が導入され、北陸鉄道8000系となった。8000系には2タイプあり、乗降扉が片開きの車両が8800番台、また両開きの扉を持つ車両が8900番台と区分けされている。

 

◆北陸鉄道03系電車

↑東京メトロ日比谷線を走った03系が浅野川線を走る。オレンジの帯で日比谷線を走っていた当時に比べると華やかな印象を受ける

 

浅野川線にとって四半世紀ぶりとなる〝新車〟が2020(令和2)年の暮れに導入された。その電車は03系。元東京メトロ日比谷線を走っていた03系で、日比谷線では銀色の帯だったが、8000系に合わせたオレンジの帯に刷新された。2021年秋までに2両×2編成がすでに走り始め、2024年度までに5編成が導入される予定だ。これが計画どおりに進めば、既存の8000系は消滅ということになりそうだ。

 

【北陸謎解きの旅⑧】そもそもなぜ浅野川線という路線名なのか?

金沢駅といえば兼六園口(東口)広場に立つ鼓門(つづみもん)が名物になっている。いつも記念撮影をしようという多くの観光客で賑わう。そのすぐ横にあるバスのロータリーのちょうどその下、地下フロアに浅野川線の起点、北鉄金沢駅がある。訪れた日、駅に停車していたのが03系だった。日比谷線を引退して以来、はじめて乗る03系だ。車内はリニューアルされてきれいに。それぞれのドア横に開け閉めのボタンが付く。

 

北鉄金沢の地下駅で見た03系は、帯色がオレンジで華やかになり、編成が短くなったものの、地下鉄日比谷線の電車として見慣れた印象があり、地下駅にしっくりと合っているように見えた。

↑金沢駅の兼六園口の地下にある浅野川線の起点・北鉄金沢駅。6時7時台と、17時台は20分間隔、他の時間はほぼ30分間隔で発車

 

ところで、なぜ浅野川線と呼ばれるのだろうか。開業時に浅野川電気鉄道という名の鉄道会社が開業させたこともあるのだが、同路線の名前にした理由は本原稿の最初に掲載した地図を見ていただくと良く分かる。

↑北鉄金沢駅からは地下を走り、IRいしかわ鉄道線をくぐり抜け地上を走り始める。次の七ツ屋駅から先はほぼ浅野川に沿って走る

 

浅野川線は北鉄金沢駅の次の駅、七ツ屋駅から大河端駅付近までほぼ平行して浅野川が流れている。車窓から川の土手を見る区間も多く、したがってこの路線名になったことが良く分かる。「金沢城の東側をゆったりと流れる浅野川では風情ある景観に出会える」と金沢市の観光パンフレットにもある。地元では金沢市街の南を流れる犀川を「男川」と呼ぶのに対して、浅野川を「女川」と呼ぶ。それほど、市民になじみの川であり、身近な川の名前だったわけである。

 

浅野川線は、しばらく半地下構造の路線を走り、北陸新幹線とIRいしかわ鉄道線の高架橋をくぐり地上部へ。そして次の七ツ屋駅へ到着する。先に乗った石川線に比べると、より都会的な路線という印象が強い。

 

路線はこの先、金沢市街を走る。磯部駅を過ぎると、進行右から川の堤が近づいてくるが、この堤を越えた側が浅野川だ。堤防の上には浅野川左岸堤防道路が走っている。電車からは道を走るクルマをやや見上げる形でしばらく並走する。

↑大河端駅〜北間駅間を走る浅野川線の8000系。この左側に浅野川の堤防がある

 

途中駅の名前を何気なく書いてきたが、意外に難読駅がある。まずは大河端駅。おおかわばたえき? と読みそうだが、こちらは「おこばたえき」だ。

 

さらに分かりにくいのは蚊爪駅。蚊に爪と書く珍しい駅名だ。いわれも気になるところなので、調べてみた。

↑ホーム一つの小さな駅・蚊爪駅。駅名の読みはホームに立つ駅名標にしかなかった。さてどのようないわれがあるのだろう?

 

「蚊爪」とは「かがつめ」と読む。この地域が金沢市蚊爪町(かがつめまち)という町名から由来する。さらに金沢市に併合される前には東蚊爪村、西蚊爪村という村があったとされる。蚊爪という名の起源は「芝地」や「草地」の意味で、そうした土地には蚊が多いということもあったのだろうか。そこまで明確な答えは導き出せなかったのが残念だった。

 

難しい読み方の蚊爪だが、金沢市民にはおなじみの地名なようだ。東蚊爪に運転免許センターがあるせいだろう。

 

【北陸謎解きの旅⑨】大野川橋りょうの形は何か意味があるの?

蚊爪駅を過ぎると、いよいよ同線の人気撮影ポイントの大野川を渡る大野川橋梁にさしかかる。ちなみに橋の手前には新須崎駅があったが、現在はもうない。橋の先に粟ヶ崎駅(あわがさきえき)があり、その先が終点の内灘駅となる。

 

大野川橋梁は少し不思議な形をしている。橋の前後に勾配があり、電車はこの橋を登って中央部からは下る。時速15kmに落としてゆっくりと渡るのだ。よく見るとガーダー橋なのだが、前後は線路が鉄製のガーダーと呼ばれる鋼製の構造物の上に線路が敷かれる。この構造を「上路線」と呼ぶ。中央部では線路がガーダーの下部に付く「下路橋」という構造をしている。単一でなく、複雑な構造をしているわけだ。また中央部には架線柱が設けられる。前後のガーダーの下は水面までのすき間があまりない。中央部のみ小さな船が通り抜けられるようにすき間をあけた構造となっている。

↑大野川橋梁を渡る03系。中央部を見ると、ここのみ橋の下の上下の隙間が広くなっていることが分かる

 

大野川には前述した浅野川が流れ込む。また大野川の上部には河北潟(かほくがた)がある。河北潟は昭和期まではフナ、ワカサギ、ウナギ、シジミなどの漁業が行われていた。しかし、干拓などの影響があったのか、漁獲量は減っていき、昭和中期に漁業権が消滅している。また河北潟から出る川はかつて大野川のみだったが、今は北側に日本海に直結した河北潟放水路が設けられている。放水路の出口と大野川を結ぶ所にはそれぞれ防潮水門があり、水量の調節も行えるようになっている。

 

大野川橋梁はそうした河北潟でかつて漁業を営んだ人たちが、小船が出入りすることができるように、こうした特殊な構造にしたのであろう。

 

【北陸謎解きの旅⑩】旧粟ケ崎海岸駅へのルートはどこに?

大野川橋梁を渡って間もなく浅野川線の終点、内灘駅に到着した。北鉄金沢駅から乗車時間17分と近い。ちなみに内灘駅という駅名となったのは1960(昭和35)年5月14日のこと。かつては内灘駅近くに粟ヶ崎遊園駅があり、その先は海岸に近い粟ヶ崎海岸まで路線が設けられていた。旧路線はどのように敷かれていたのだろう。気になるところだ。

↑内灘駅構内の左にカーブする線路が見えるが、この先に粟ヶ崎海岸駅があった。旧地図を見ると海岸まで路線が延びていたことが分かる(右上)

 

 

内灘駅には車庫があり8000系や03系が並ぶ。この駅の構造には、少し疑問に感じることがある。駅の手前でやや左カーブしてその先にホームが設けられている。古い地図を見比べてみると、この左にカーブする理由が分かった。

 

太平洋戦争前の時点では、内灘駅はまだ無く、左カーブして、その先に粟ヶ崎遊園という駅があった。さらに駅の先で右カーブ、海岸まで線路が敷かれ、海水浴場前に粟ヶ崎海岸駅があった。内灘駅開業当時の地図を見ると、左カーブしたその曲がった地点が駅となっていた。

 

今の内灘駅の検修庫に入る線路の左側にカーブした線路が敷かれるが、このカーブこそ、かつては粟ヶ崎海岸まで延びていた路線の名残だったのである。金沢にも近いことがあり、内灘駅周辺は住宅も多く、路線バスが多く発着している。石川線の鶴来駅に比べると、とても賑わっているように思われた。

↑浅野川線の終点・内灘駅。裏には車庫がある。左上は搬入された当時の03系。現在とは異なり当初は銀色の帯が巻かれていた

 

前述したように北陸鉄道の両線間にはLRT路線の建設プランも浮上してきている。LRT計画が成就したとすれば、北陸鉄道の両線は大きく変わる可能性を秘めている。その時に、また旅をしてどのように変わったのか見てみたいと思った。