〜玉袋筋太郎の万事往来
第14回焼き芋店「阿佐美や」店主・いも子

 

全日本スナック連盟会長を務める“玉ちゃん”こと玉袋筋太郎が、新旧の日本文化の担い手に話を聞きに行く連載企画。第14回目のゲストは、埼玉県戸田市で焼き芋店「阿佐美や」を経営しながら、後進の育成や、開業サポートも行ういも子さん。今から16年前、何のノウハウもなしに焼き芋店を始めた彼女が、商売を軌道に乗せた裏側には人情があった。焼き芋店のイメージを刷新したいも子さんの経営哲学に玉ちゃんも共感の嵐!

【阿佐美やHP】

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:猪口貴裕)

 

開店当時はニセモノの壺で焼き芋を焼いて味の評判は最悪

玉袋 焼き芋屋を始めたきっかけは何だったんですか?

 

いも子 始めたのは16年前で28歳のときだったんですが、ずっと自分でお店を出したいと思っていたんです。ただ、お店の開業資金に1000万円ぐらいかかると言われていて、そんなお金はない。当時は調理士の仕事をしていたんですが、自分でメニューを考えられるほど腕がある訳でもないし、お店をやるなんて夢のような話だなと。そんなときに移動販売の本を読んだんですが、焼き芋屋さんだったら100万円もあれば素敵なお店ができると書いてあったんです。しかも今は食品衛生責任者の資格がいるんですけど、当時は何の資格もいらなかったんですよね。

 

玉袋 昔は焼き芋屋って言えば、スポーツ新聞の三行広告で日払いの募集があったんだ。おそらく焼き芋を引く人たちの組織みたいなのがあったんでしょうね。その組織によってテリトリーがあってさ。今日までそういうイメージがあったんだけど、そういうものとは関係がなかったんですか?

 

いも子 そういうのとは関係なしに一人で始めました。

 

玉袋 俺が子どものころ、今東京ドームがある場所の脇にドヤがあってさ、そこに石焼き芋屋がズラッと並んでいた訳よ。たぶん、そこで寝泊まりして暮らしていたんだろうね。

 

いも子 へ〜!

 

玉袋 そういう人生のサバイバーがやる仕事だと思ってたからさ、それを女性が一人で始めるなんて驚きだよ。昔ながらの移動販売って言えば、他にラーメン屋だとかおでん屋があるけど、最初から自動車販売で始めたの?

 

いも子 それが私は運転が苦手だったので、自動車はやめておこうと思ってリヤカーで始めたんです。

 

玉袋 出た! かっこいいね。覚悟がいるから、なかなかリヤカーは引かないよ。親御さんからの反対はなかったんですか?

 

いも子 なかったですね。私は、当時としては珍しかったんですけど両親が高齢のときに生まれた子どもなんです。父はアルコール依存症でお酒ばかり飲んでいて、母は耳があまり聞こえない。父が飲んだくれてちゃぶ台をひっくり返すような、しょっちゅう夫婦喧嘩をしている家庭だったんです。なので逆に自由な環境だったというか、あまり親は私に関心がないし、私も何かをするときに、親に報告して決めることもなかったんです。ずっと自分で決めて、自分でやってきたので、そのときも「焼き芋屋さんを始めるので、よろしく」みたいな感じでした。

 

玉袋 リヤカーはどこで買ったんですか?

 

いも子 三ノ輪にムラマツ車輌というリヤカーを作っている会社があるんですけど、そこにお願いしてオーダーで作ってもらいました。今は分からないんですけど、当時はリヤカーを作っている会社が都内で一軒しかなかったんです。

 

玉袋 お幾らだったんですか?

 

いも子 当時で30万円でした。

 

玉袋 そのほかに焼き芋を焼く道具も必要だろうし、どういう風に販売車を作っていったんですか?

 

いも子 何の知識もなかったので、インターネットで検索したり、周りに相談したりしたら、壺焼きというものが世の中にはあると。見た目も可愛かったので、リヤカーも可愛くすれば、可愛い焼き芋屋ができると思ったんです。それでネットで15万円する壺を買ったんですが、セットで練炭コンロと焼き芋を入れるホルダー、それにマニュアルが付いてきて、その通りにすれば上手に焼き芋が焼けると書いてありました。

 

――一度に何個ぐらい焼けるんですか?

 

いも子 マニュアルによると1時間に10本でした。そのはずだったんですけど、今思うとそれはニセモノの壺で、2時間経っても、3時間経っても上手く焼けなかったんです。調理士だったので、中の温度を測って75度以上だったら提供していいことは分かっていて、焼き芋の焼き加減も分からなかったんでけど、75度以上だったし、実際に食べてみて、こんなものなのかなと思って売りに行ったんです。

 

玉袋 どこからスタートだったんですか? この界隈(※ 埼玉県戸田市周辺)?

 

いも子 そうです。実家の近所から始めました。

 

玉袋 何時ぐらいに?

 

いも子 午後4時ぐらいに出て行って、8〜9時ぐらいまでやっていました。

 

玉袋 焼き芋屋さんのイメージって言うと、カランカラン、「石焼き芋〜」じゃないですか。トラメガ(トランジスタメガホン)なんかも買ったんですか?

 

いも子 あまり詳しくなかったので適当な拡声器を買って、「石焼き芋で〜す」って言って売り歩いていました。本当に何もかもどうしていいか分からなくて、すべて手探りでした。

 

――近所の人はどんな反応だったんですか?

 

いも子 「新しくできた焼き芋屋さんが可愛い」って好意的な反応だったんですけど、先ほどお話しした通り、ニセモノの壺で焼き加減も分からなかったので、味は散々だったんです。

 

玉袋 改めてニセモノの壺って聞くと、霊感商法かと思っちゃうな(笑)。

 

いも子 あまりにも上手に焼けなかったので、壺の販売元に何回も連絡して「どうしたらいいんですか」って問い合わせたんですよ。でも「マニュアル通りに焼いてください」みたいな要領を得ない答えで……。リヤカーの見た目が可愛いからお客さんは来てくれるんですけど、お客さんからは「友達にも配ったけど、みんな美味しくないと言ってた」と報告してくれて、中には「もう来ないで」と言う方もいました。このままじゃいけないと思って、また周りの人に相談したら、空気の入りが悪いんじゃないかと言われて。その製造元が神奈川県にあったので、原因を聞きに行ったら、アパートからおじいちゃんとおばあちゃんが出てきて、「ごめんなさいね」と謝られて。この人たちには頼れないから、自分で何とかしなきゃと思って、その壺に穴を開けたりして、いろいろ改造をしました。

 

――その壺はどういうシロモノだったんですかね?

 

いも子 おそらく、焼き芋を焼く壺じゃなくて、蒸しかまどという昭和初期によく使われていたご飯を炊く道具だったと思うんです。だから熱量も足りないし、空気も足りない。今思えば火と壺の距離感も合ってなかったんですよね。

 

コミュニケーション不在の家族を焼き芋が繋げた

玉袋 俺がガキのころは、石焼き芋のオヤジが家の近くに来るじゃない。ほんで「ちょうだい」って言うと、薪をくべていた汚ねぇ軍手で石の中から出した焼き芋を秤に乗っけてさ。「これおまけ」なんて付けてくれるんだけど、お勘定すると、すごく高かったんだ。あれって言い値だったじゃない。値段設定はどうしたんですか?

 

いも子 私もそのイメージが、すごく強かったんです。うちはお金がなかったので、焼き芋屋さんが来ても買ってもらえなくて。高校生のときにアルバイト代で焼き芋を買ったら、けっこう高かったんですよ。だから、みんなに買ってもらえるようにしたいなと思ったんです。

 

玉袋 昔の焼き芋屋は言い値だもん。そりゃ高いよ。

 

いも子 だから、お金のない子どもでも買いやすい値段で、幾らなのか明確に分かるようにしようと思って値段表も書いて、「え!? 安っ!」と思ってもらえるようなお店を目指しました。

 

玉袋 本当に焼き芋屋のオヤジは傍若無人だったからね。汚ねぇ新聞紙にくるんで、「はい1500円!」みたいなさ。それを明朗会計にしたんだ。

 

いも子 そうです。サイズに応じて200円、300円、400円と値段を設定して、お客さんが来たら、値段に応じた焼き芋を見せるようにしました。

 

玉袋 グラム売りじゃなかったんですね。

 

いも子 軽トラの焼き芋屋さんが100グラム幾らって書いてあって、親切だなと思ったんですけど、買ってみたらすごく高かったんです。グラムじゃ値段も分かりにくいだろうなと思って、サイズ感で値段を決めました。

 

玉袋 秤もインチキだったかもしれないね。鼻垂らしたオヤジが怪しいザルに、雑に焼き芋を置いて計っていたんだから。そういうイメージを変えたってことですよね。焼き芋革命だ。それにしても屋台を引く、リヤカーを引くって、なかなかすごいことでさ。今やチェーン店になったラーメン屋の創業者でも、屋台から始めたって人が多いけど、あれって人生を引っ張っていると思うんですよ。俺の業界で言うとさ、スナックのママだって、お店っていう屋台を引いているんだ。あと戸田ってエリアも良かったんだろうな。都心だったら「ここは幾ら」ってうるさい輩もいただろうし。

 

いも子 そういうトラブルもゼロではなかったです。組合に入らないのかとか、誰の許可を取っているんだとか、そう言われる場所もあったんです。駅前に行くと、特にそんな感じだったので、危険な匂いのする場所には近づかず、駅から離れて売れそうな場所を探しました。最近増えているキッチンカーと違って、焼き芋屋さんは移動しながらの販売が前提なので、決まった場所代が必要ないんですよね。ふわーっと売りに行って、ふわーっと帰ってくる(笑)。

 

玉袋 いいよね。俺が小学校のころに遊んでいた公園は、夕方になるとオヤジが来て、公園の水道でガンガン水を汲んでラーメン屋をやってたよ。こんな水でラーメン作ってんだって子どもながらに思ったけどね(笑)。さっき言ってた食品衛生責任者の許可が必要になったのはいつごろなの?

 

いも子 2021年6月です。

 

玉袋 最近なんだね!

 

いも子 とはいっても、食品衛生責任者は講習を1日受けたら取得できますし、あとは保健所に届け出さえ出せばいいだけなんですけどね。なので今もハードルは低いです。

 

玉袋 言っちゃった。みんな焼き芋屋を始めちゃうよ。

 

――それが、いも子さんは焼き芋屋さん開業の支援もしているんですよね。

 

玉袋 さすがだね。どれぐらいの弟子が巣立っていったんですか?

 

いも子 2020年から本格的に始めたんですけど、全国各地に20人ぐらいいます。今も焼き芋屋を手伝ってくれながら、開店を考えている子たちが3人います。

 

玉袋 俺の古いイメージで申し訳ないんだけど、志願してくる人たちって寮完備、日払いOKみたいな、人生土壇場の人じゃないんだ?

 

いも子 若い女の子も多いですよ。最近は焼き芋屋の開業が増えていて、SNSを見ると、おしゃれな焼き芋屋さんが増えているんです。私が始めたときは、焼き方によって味が全然変わったんですけど、最近の品種はしっとり系が多くて、しっとり系は多少時間がずれて、温度管理が完璧じゃなくても、美味しく焼きあがるんです。

 

玉袋 あら!

 

いも子 お芋自体も進化しているんですよね。だから、若い人の参入が多いんですよ。

 

玉袋 そもそも、最初はどうやってお芋をチョイスしてたの?

 

いも子 ネットで調べたときに市場で仕入れるのがいいと書いてあったので、市場に連絡をして、卸の方を紹介してもらったんです。お芋にはランクがあって、Aはキレイでしゅっとしていてスーパーに並ぶようなお芋。Bはちょっと曲がっているお芋。あと丸というのがあって、これは丸っこくてBよりも安いんです。さらにCもあって、Cの卸値はAの5分の1ぐらいとすごく安かったので、「じゃあそれで!」ってことでCを仕入れました。

 

――どのぐらいの卸値だったんですか?

 

いも子 私は実績もなかったですし、普通よりも卸値が高かったんですけど、Aは1箱5キロで3000円ぐらい。Bで1500円ぐらい。丸になると1000円で、Cになると500円だったんです。市場の人には「焼けば何でも一緒だから大丈夫。焦がしちゃえばいいんだから、みんな焼き芋屋さんは買っているよ」と言われたんですけど、それが美味しくなかった理由の一つだったんですよね。というのもCのお芋は筋が多かったんですよ。それから丸、Bとお芋のランクを上げたんですけど、それでも美味しくなくて、お客さんから「産地まで行ってないの?」と言われたんです。そのときに初めて産地で買うという選択肢があることを知って、お客さんの紹介でお芋の生産地で有名な千葉県成田市の生産者を紹介してもらいました。ただ、当時は車に乗っていなかったので、お芋を焼くときに使う砂を運んでくれていたダンプの運転手さんが、「ついでに持ってきてあげるよ」って運んでくれたんです。

 

↑写真の紅はるかのような、しっとりして蜜がたくさん出ている芋が今の主流

 

玉袋 人情だね。

 

いも子 本当そうなんです! 人情の中で、ずっとやってきたんですよ。あと、そのときは両親も70歳を過ぎて家でゴロゴロしていたので、父に練炭をおこしてもらって、母にはお芋を洗ってもらったんです。お芋を入れる袋も、新聞を折って作って、糊付けは母がやってくれました。そのときに分かったのは、父はアル中ではあるんですけど、仕事に対してすごく真面目で、練炭の置き方も巻き尺で測って、ちゃんと中心に置いてくれるんです。

 

玉袋 手を震わせながらやってくれたんだ(笑)。

 

いも子 そうそう。演歌をかけて、お酒を飲みながらやってました(笑)。

 

玉袋 いいね〜。最高じゃん。

 

いも子 ところが母は怠け者なところがあって、「今日は足が痛くて袋が折れない」とか言うんですよ。

 

玉袋 袋を折るのに足は関係ねえじゃん。

 

いも子 ですよね(笑)。でも、そうやって家族総出で準備をして、それまでコミュニケーションを密に取る家族ではなかったんですけど、焼き芋屋さんを始めたことで、焼き芋の話題で会話もするようになって。

 

玉袋 芋が家族を繋げたんだね。

 

いも子 父は運転ができるので、たまに仕入れもやってくれたんですけど、それこそ震える手で運転していたので、同乗していると怖かったです(笑)。

 

自分の五感を使って、たどり着いたものこそ美味しい

――産地から購入したことで、味の評判も上がっていったんですか?

 

いも子 美味しくなりました。ただ今度は壺が欠陥商品で数を焼けなかったので、いつも品物がない焼き芋屋さんになってしまったんです。それで新しい道具を買って、それまで1時間10本だったのを、1時間で30本焼けるようにしました。そして開業した翌年に軽トラを買って、運転も練習して。劇団員をやっていた友達に手伝ってもらって、リヤカーと軽トラの両方で売るようになりました。

 

玉袋 軽トラでも相変わらずトラメガで宣伝してたの?

 

いも子 他の焼き芋屋さんと違いを出したかったので、音楽を流すようにしました。最初は、たまたま買いに来てくれた親子が歌っていた童謡「やきいもグーチーパー」を勝手に流していたんですけど、誰かが通報したのか著作権協会から連絡がきたんです(笑)。それで大好きな群馬県在住のご当地バンド「ザ・ウドニーズ」に、「焼き芋の歌を作ってほしい」とお願いをして、オリジナル曲を作ってもらって、今はそれを流しています。

 

玉袋 ポスティングみたいな宣伝活動はしたんですか?

 

いも子 ポスティングはやらなかったですね。

 

玉袋 ちょうどネットが普及した時期だから、それが宣伝になってマッチングしたのかな。

 

いも子 まさにそうなんです。リヤカーで販売すること自体が珍しかったので話題になって、さらに「美味しくない焼き芋屋を立ち直そう」みたいな流れになって、ネットで拡散されていきました。

 

――美味しくなかったことが逆に功を奏したんですね(笑)。

 

いも子 美味しくなかった焼き芋屋が、今度は軽トラで売るようになったということで、またネットで広めてくれて。ネットを通じて気にかけてくれた人たちが、焼き芋屋が成長していく過程を一緒に追ってくれたんです。

 

玉袋 あの焼き芋屋は放っておけねえなと。

 

いも子 どうしたら売れるのか、お客さんが真剣に考えてくれましたからね。お客さんの子どもでホームページを作るのが趣味という男の子がいて、当時、小学5年生だったんですけど作ってくれたんですよ。そんな感じで周りの人に応援してもらいながら、今までやってきました。

 

玉袋 1本の映画になりそうだね。

 

 

――すぐに経営は軌道に乗ったんですか?

 

いも子 そうですね。初年度は初期投資で出ていくお金のほうが多かったですけど、2、3年で軌道に乗りました。

 

玉袋 とはいえ夏場は厳しかったでしょう?

 

いも子 1年目の夏は違うアルバイトをしていました。2年目は軽トラがあったので、他にやることがないかを考えて、生産者から直接とうもろこしを仕入れて、その場で焼いて売ったんです。当時はメルマガをやっていたので、「今日は〇本限定でとうもろこしを売ります」って、いつも焼き芋を売っている場所に行って売って、評判も良かったんです。ただ、とうもろこしって鮮度が命なんです。どうしても雨の日は売れないんですけど、その日に仕入れたとうもろこしは翌々日までぐらいしか売ることができなくて、すごく大変だったので数年でやめました。

 

――今は夏になるとかき氷を売っているんですよね。どういうきっかけがあったんですか?

 

いも子 冬にリヤカーで営業をしていたときに、それまでは車のバッテリーを充電して明かりを点けていたんですけど、すぐに切れちゃうので、暗い中で営業をしていたんです。そしたら付近で溜まっている子どもの一人に、「暗い中でやっていてもお客さんは営業しているのか分からないし、いつも暇しているんだから、自分で発電でもしてみろよ」って言われたんですよ(笑)。

 

玉袋 すごい子どももいたもんだね。

 

いも子 そのときに自家発電ができるんだと知って、人力発電の機械を買ったら、それでかき氷を作れることも分かって。それから夏は人力発電かき氷を売るようになって、イベントなどにも出店するようになりました。

 

玉袋 なんとなくビジネスが見えてきたよ。

 

――人力発電を提案した子どもにはお礼をしたんですか?

 

いも子 もちろんお礼を言って、子ども店長もやってもらいました。

 

玉袋 しっかりと取り込みますね(笑)。正直、ここに来るまではさ、焼き芋屋って聞いてたから、「聞くも涙、語るも涙」みたいなイメージしか湧かなかったけど、全く違うね。それからはかき氷と焼き芋の2本柱でやってるんだ。

 

いも子 そうですね。一時期は両親の介護だったり、子育てだったり、PTAに全力を注いだりで、休む時期もあったんですけど、今は両親も亡くなって、子どもも手がかからなくなって、さらに手伝ってくれる人たちもいて、輪が広がっています。最近は子どもの友達が遊びに来るので、バイトみたいな感じでお芋を洗ってもらって、お礼に焼き芋を渡しているんです。

 

――子どもも楽しいでしょうね。

 

いも子 一緒にリヤカーを引いて、販売の手伝いまでしてくれますからね。

 

玉袋 子どもも捨てたもんじゃないね。そこで、身の丈で生きるってことを学んでいるんだよ。ザ・身の丈。こういう移動販売や屋台のスタイルって、アジアにはたくさんあるけど、ヨーロッパやアメリカにも進出できそうだね。

 

いも子 世界進出いいですね! あと私が、この活動を通してやりたいことの一つに、地域の活性化があるんです。近所から魚屋さんもお肉屋さんなどの個人店がなくなって、「1個おまけしとくよ」みたいな世界がなくなりつつあるんですよ。

 

玉袋 スーパーでレジに並んだところで、そういうコミュニケーションがないからね。

 

いも子 私も小さいときは、お風呂屋さんのおばさんに「両親の仲が悪くて」なんて話を聞いてもらっていたんですけど、そのおばさんにしたら話を聞いていただけで相談に乗っているって意識もなかったと思うんです。でも私にとっては、そのお風呂屋さんとおばさんが自分の居場所でもあったんです。そういう場がなくなっているので、そういう場所になりたいんですよね。

 

玉袋 最高ですね!

 

いも子 地元の子どもが就職などで町を出ても、たまに地元に帰ったときに、「まだこの焼き芋屋さんがあったんだ」って子ども時代を思い出すような場を作りたいんです。

 

玉袋 そういう場が今はないからね。

 

いも子 駄菓子屋さんみたいな役割を、焼き芋屋さんで担えたらいいなと思います。

 

玉袋 それがあるかないかは大きいよ。以前、仕事で千葉の新興住宅地に行ったとき、街に作り物感がある訳。いいマンションがあって、道路や公園もキレイで、お母さんがマクラーレンのベビーカーを押しているんだよ。俺はそこに違和感を、うちの相棒は「何ていいところなんだろう」って感心してるんだ。だから、あの人は面白くないんだよ(笑)。なんの血も通ってないなって印象を持ったんだよね。俺が言いたいのは、昔ながらの魚屋や肉屋や銭湯がパワースポットだってこと。俺がよく遊んでいる八百屋のおじちゃんにしたって、今もハイエースに野菜を積んで売ってる訳よ。いつも買いに来るおばちゃんたちに、しょうもないことを言うんだけど、それをおばちゃんたちもゲラゲラ笑っているんだ。通学路だから子どもも通るんだけど、そのおじちゃんに「こんちには」って挨拶をしていてさ、そういうのを見ていると、これなんだよって思うよね。俺自身、そういうところの郷愁で生きているし、そういう意識で焼き芋屋さんをやっているのはいいなと思いますよ。

 

いも子 ありがとうございます!

 

玉袋 レジでバーコードを読ませてピッ! じゃないんだよ。その八百屋では、おばちゃんが「20円足りないわ」なんて言ったら、周りにいたおばちゃんが代わりに出してくれたり、八百屋のおじちゃんが「特別だから」って20円をサービスしたり。それを見ていた鳶の頭が、「こんな光景、スーパーには絶対にないよ」って俺に言う訳。「これがいいんだよ」って言いながら缶チューハイを飲んでいるんだけどね(笑)。

 

いも子 うちの焼き芋屋でも、子どものお迎えに来たお母さんが、お財布を持っていなくて「何時までいます?」って声をかけてくれることがあるんです。そんなときに「お会計は次回でいいので買ってください」って言うと驚かれるんです。私も子どもがいるので、焼き芋が食べたい、子どもも食べたがっている、でもお財布を忘れたってお母さんの気持ちも分かりますからね。結局、お客さんのほうが気を使ってくださって、すぐにお金を届けてくれるんですけど、そういうやりとりができたら、もっと世の中も良い意味で緩やかになると思うんですよね。

 

玉袋 俺の夢はキッザニア東京にスナックを出すことなんだけどさ、マニュアル通りの一流企業を体験するよりも、子どもたちがお客さんとママの役をやっていたら、社会に出たときに誰とでもすーっと会話ができるようになると思うんだ。マニュアルがないのがマニュアルなんだって教えたいんだ。マニュアルが過ぎると窮屈だもんね。

 

いも子 焼き芋の講座でも、品種や焼き方、細かい温度管理よりも、「この匂いや音や雰囲気が大切」と伝えています。

 

玉袋 グルメサイトの評価なんてのも俺は嫌いでさ。自分の五感を使って、たどり着いたラーメン屋こそ美味しいんだよ。

 

いも子 焼き芋も、今の世の中的に「甘いのがいい」って言われているんですけど、私は甘くない焼き芋でも美味しいのがあるって伝えたいんです。私が開店した当時は紅あずまが主流で、ホクホクしているのが特徴なんですけど、今は人気がないんです。今は紅はるかに代表される、しっとりしたお芋や、蜜がたくさん出ているお芋が人気です。でも甘さや蜜だけじゃなくて、石焼きで言えば香ばしさだって美味しいんですよ。確かに甘いのは紅はるかだけど、紅あずまは香りとホクホク感で、もう1本食べたくなるんです。最近はホクホクのお芋の生産量も減っていて、仕入れが難しくなっているんですけど、世の中の「これがいい」って評価がすべてじゃなくて、自分が食べた感じで、お芋の美味しさを感じてほしいですね。

 

玉袋 うん。「Don’t think! Feel」だね。「考えるな!感じろ」だよ。そのイズムを今後も伝えていってください!

 

 

玉袋筋太郎

生年月日:1967年6月22日
出身地:東京都
1987年に「浅草キッド」として水道橋博士とコンビを結成。
以来、テレビ、ラジオなどのメディアや著書の執筆など幅広く活躍中

一般社団法人全日本スナック連盟会長
スナック玉ちゃん赤坂店オーナー(港区赤坂4-2-3 ディアシティ赤坂地下1階 )

<出演・連載>

TBSラジオ「たまむすび」
TOKYO MX「バラいろダンディ」
BS-TBS「町中華で飲ろうぜ」
CS「玉袋筋太郎のレトロパチンコ☆DX」
夕刊フジ「スナック酔虎伝」
KAMINOGE「プロレス変態座談会」