日本酒と並ぶ日本の伝統的なお酒・焼酎。ただ、その歴史やつくり方などは、あまり詳しく知られていないかも。そこで、焼酎のいろはから専門的なコトまで、『古典酒場』の倉嶋紀和子編集長がナビゲーターとなって探っていきます。

第1回のテーマは、ズバリ「焼酎とは?」。焼酎がカテゴライズされる蒸留酒の奥深い歴史にも触れながら、ルーツや定義などをご紹介していきます。講師は、あらゆるお酒に詳しい「酒文化研究所」の狩野卓也所長。倉嶋さんとの対談で、焼酎というお酒がどのようにして誕生し広まっていったのかを深掘りしました。

 

※本稿は、もっとお酒が楽しくなる情報サイト「酒噺」(さかばなし)とのコラボ記事です。

 

狩野卓也(左):酒文化研究所・代表取締役。洋酒メーカー勤務などを経て、1991年に同研究所を設立。1996年より現職。酒文化及び酒類ビジネスに関する調査研究や執筆、講演活動を行っている。著書に『酒と水の話−マザーウォーター』(紀伊国屋書店、同研究所編・共著)など。
倉嶋紀和子(右):雑誌『古典酒場』の創刊編集長。大衆酒場を日々飲み歩きつつ、「にっぽん酒処めぐり」(CS旅チャンネル)「二軒目どうする?」(テレビ東京)などにも出演。その他にもお酒をテーマにしたさまざまな活動を展開中。俳号「酔女(すいにょ)」は吉田類さんが命名

 

「焼酎」とは基本的には「洋酒以外の蒸留酒」である

倉嶋 お久しぶりですね。本日はよろしくお願いします! 今日は焼酎の基本的なことをお伺いしたいのですが、そもそも焼酎とはどういうお酒のことを指すのでしょうか?

 

狩野 今回は歴史のこともお話しますが、大前提として、誕生当初の焼酎と、現在私たちが目にしている焼酎とでは少々違っている部分があります。「焼酎とは何ですか」という定義に関しては日本の酒税法による定めです。非常に幅広いですね。ざっくり言えば、アルコール含有物を蒸留したものがすべて焼酎。ただし、ウイスキーやラム、ジンなど、一般的に「洋酒」と呼ばれる蒸留酒は除きますし、使ってよい原材料をはじめ、アルコール度数や色にも規定があります。

 

●焼酎の定義

 

倉嶋 製法や飲み方というより、税率を区分するための定義であると。それもあるからか、原料でカテゴリーがわかれる洋酒と違って、焼酎は芋、米、麦、黒糖、そばなど種類が多彩ですよね。

 

狩野 洋酒と焼酎の違いを、「ウイスキー」と「麦焼酎」を例にして挙げるとすれば、一番は「の有無です。焼酎はまず、原料を発酵させて醸造酒のようなものをつくり、そこから蒸留を経て完成させますよね。この醸造酒が大麦ならビールのような液体からウイスキーへと蒸留されるのですが、発酵前の糖化に麦芽を使用すればウイスキー、麹を使用すれば麦焼酎へと分類されるのです。

 

倉嶋 ウイスキーなどの洋酒はその昔、税率が高かったんですよね。

 

狩野 はい。海外から入ってきたビールやウイスキーなどは贅沢品とみなされて、高い酒税がかけられていました。一方で、もともと広く飲まれていた焼酎は大衆のお酒。酒税が低いため、庶民でも買いやすかったので、飲み手と造り手の関係性も守られていたのです。ただし、そのぶん、アルコールの度数帯や色の濃さなど細かいルールが定められました。

 

倉嶋 なるほど、そういう過程があっていろいろと規定されているんですね。

 

↑色付きの焼酎として代表的な銘柄が宝焼酎「レジェンド」。樽貯蔵熟成酒を20%使った深いコクと豊かな香りが魅力です

 

ルーツはメソポタミア文明にあり、焼酎は戦国時代に生まれた!

狩野 焼酎におけるアルコール度数の規定は、連続式蒸留機による焼酎なら36度未満、単式蒸留機なら45度以下というものですが、蒸留機の違いも重要です。

 

●蒸留機の違いとアルコール度数の規定

 

倉嶋 焼酎は大きく分けると「連続式蒸留焼酎(甲類焼酎)」と「単式蒸留焼酎(乙類焼酎または本格焼酎)」の2つ。あとは両者を混ぜた「混和焼酎」ですよね。では改めて、焼酎の成り立ちから教えてください。

 

狩野 蒸留という技術でお酒がつくられ、焼酎をはじめとする広義の蒸留酒が誕生したのは紀元前。メソポタミア文明下で生まれ、やがて大陸を渡って日本にやってきたのは14〜15世紀。伝来はシャム(タイ)〜沖縄説(図表①)、ラオスから中国に伝わり倭寇(わこう。日本の海賊)が壱岐対馬に持ち帰った説(図表②)、そしてラオス、中国を経て朝鮮半島から壱岐対馬に伝わった説(図表③)と、時系列ははっきりしていませんが、これらのルートで伝来したと言われています。

 

●焼酎の日本への伝来ルート

 

倉嶋 なるほど。泡盛の主原料はタイ米ですもんね。一方、九州は中国経由で焼酎になったと。

 

狩野 はい。そこから、いま私たちが目にしている焼酎が生まれたのは戦国時代(室町時代後半)だと言われています。農民が庭先で作っていたようなお酒が原型ですね。「焼酎」という記述の最古は、永禄2年(1559年)のもの。織田信長と今川義元が戦った、桶狭間の戦いの前年です。

その記録があるのは、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社。大工の棟梁だと思われる人物が書いた落書きに「ここの施主は、ケチだから焼酎をふるまって(飲ませて)くれない」といった内容が記されているのです。これはつまり、庶民が焼酎を飲む文化がこの時代にあったということ。まさか、悪口が歴史的記録になるとは夢にも思わなかったでしょう。

 

倉嶋 素敵な落書きですね(笑)。ちなみに鹿児島とはいえ、この時代はまだ芋焼酎ではないですよね?

 

狩野 そうですね。さつまいもの伝来は1600年ごろですし、米も当時は貴重でしたから、この焼酎の主な原料は、きびやあわなどの雑穀ではないかと言われています。そしてもうひとつ、当時すでに存在していたのが「粕取り焼酎」。

 

倉嶋 あっ、酒粕由来の「粕取り焼酎」。俗にいう、戦後の貧しい時代に闇市などで売られていた「カストリ(焼酎)」とは違うんですよね?

 

狩野 ええ。そこはかなり重要な部分です。もともと「粕取り焼酎」は、酒粕からアルコール分を除去して、良質な肥料を作る過程でできた焼酎と考えられていて、九州でも南部に比べて稲作が盛んな北部の農村地では田植え期に肥料を作るため、酒粕の蒸留が行われるようになりました。一方で「カストリ(焼酎)」のカスは、それこそ「残りカス」という意味です。

 

倉嶋 「カストリ(焼酎)」は密造酒と言われてますもんね。「酒になるものならなんでもいいからつくっちゃえ」的な。味も粗悪だったことから、この時代「(粕取り)焼酎」にネガティブなイメージが付いてしまったと。

 

狩野 呼び方が一緒なのでイメージを大きく傷つけられてしまったのです。正しくつくられた「粕取り焼酎」は酒粕由来の香りが特徴で、いまも九州北部を中心に根強いファンがいるんですよ。

 

連続式蒸留焼酎(甲類焼酎)は明治末期に誕生した

倉嶋 では、先ほどおっしゃっていた「連続式蒸留焼酎(甲類焼酎)」と「単式蒸留焼酎(乙類焼酎または本格焼酎)」、それぞれの歴史を詳しく知りたいです。

 

狩野 製法でお話しすると、伝統的なのは単式蒸留。単式とはいわば単発型の蒸留方式ということですから蒸留は1回で、アルコール度数もそこまで高くはなりません。

一方の連続式蒸留は、1826年にスコットランドで連続式蒸留機とともに発明された製法。1回で連続的に(連続して多段階の)蒸留が行えるため、アルコール度数の高い蒸留酒がつくりやすいことも特徴です。

 

倉嶋 「単式蒸留焼酎」は原材料の風味が香る個性豊かなテイストで、乙類焼酎本格焼酎と言われるもの(以降は本格焼酎と呼ぶ)。そして「連続式蒸留焼酎」は、雑味がなくピュアで炭酸水や果汁などで割って飲むことにも適した甲類焼酎(以降は甲類焼酎と呼ぶ)。その昔は、「新式焼酎」とも呼ばれていたものですよね。

 

狩野 はい。連続式蒸留はヨーロッパから日本へ伝わり、国内初の新式焼酎は明治末期の1910年に愛媛県宇和島の日本酒精(株)が開発した「日の本焼酎」が最初の商品ですね。1912年には宝酒造の前身である四方合名会社が、この「日の本焼酎」の関東における販売権を取得し、「寶」の商標で発売して大ヒットさせました。

 

↑日の本焼酎の看板

 

倉嶋 「日の本焼酎」は「宝焼酎」の原型ってことですよね。

 

狩野 そうです。四方合名会社はその後、「日の本焼酎」の開発者を招へいして大正初期の1916年に自社製造を始めています。また、連続式蒸留焼酎は関東で人気となったことも関係してか、地域で分けると概ね東日本で多く飲まれているのは甲類焼酎、西日本では本格(乙類)焼酎です。

 

倉嶋 特に九州や沖縄では、今でも本格焼酎が主流ですもんね。老舗の焼酎蔵も多いですし。

 

狩野 酒税も、既存の蔵元を守るために本格(乙類)焼酎のほうが安かった時代(2000年10月より甲類・乙類同額になる)もありますね。

 

飲み方はお湯割りや水割りが主流。酎ハイは戦後に生まれ広がった

倉嶋 では、焼酎はどのように飲まれ、どのようにして今のようなスタイルへと広がっていったのでしょうか?

 

狩野 確かな記録が残っているわけではないのですが、昔から九州で最も主流な飲み方はお湯割りや水割りだという説が濃厚です。九州の方はお酒に強いイメージがありますけど、それでも25%や30%など、アルコール度数が高いお酒をそのままで飲み続けるのはつらいですよね。私の長年のフィールドワークによる感覚値でも、焼酎と水を5対5や6対4で割って飲む方のほうが多い印象です。

 

倉嶋 九州では前割り(あらかじめ焼酎と水を混ぜ合わせてなじませる)文化も日常的ですもんね。

 

狩野 そういえば、倉嶋さんは熊本出身ですよね。ただ例外として、アメリカ人民俗学者の調査によると、熊本県南部の人吉球磨(ひとよしくま)エリア(稲作が盛んで、米でつくる「球磨焼酎」が有名)では、米焼酎をストレートで飲む文化もあるそうです。

 

倉嶋 人吉球磨ですか! あそこは熊本屈指の酒処。さすがです。

 

狩野 私も実際に現地へ行って、よく見たのは米焼酎のストレートを燗にしてコップで飲むスタイルです。それにならって飲んでみると、アルコール度数は高くても案外飲めちゃうんですよ。米由来で味がすっきりしているから、というのも関係している気がします。

 

倉嶋 球磨焼酎は飲みやすさも魅力ですからね。

 

狩野 まあ、人吉球磨は例外として、昔から主流なのはやはりお湯割りや水割り。その後、戦後に流通の発達や冷凍庫の普及によってオンザロックや炭酸割りが広まっていきました。なかでも、炭酸割りから生まれた「焼酎ハイボール」は革命的。つまり「酎ハイ」の誕生ですね。

 

倉嶋 以前、東京墨田区の「三祐酒場」さんの記事で紹介されていました。戦後間もない1951年に「ウイスキーハイボール」の味に感銘を受けて「焼酎ハイボール」を開発したと。

 

狩野 はい。そして今では多くの酎ハイにレモンが入っていると思うのですが、これはレモンの関税が戦後徐々に安くなっていったからだと思います。

 

倉嶋 当時はまだまだ贅沢品だったレモンを酎ハイに浮かべることで、高級なイメージを狙ったというわけですね。

 

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【東京・大衆酒場の名店】伝説の「三祐酒場」で聞く「元祖焼酎ハイボール」発祥の噺

 

狩野 そして焼酎ハイボールに欠かせないのが、連続式蒸留機でつくられる「甲類焼酎」。これも昔は無色透明でピュアなタイプが多かったと思います。ただその後、メーカーの技術進化があり、ピュアで味わいのある甲類焼酎も出現してきました。

 

倉嶋 1974年にアメリカで起こったバーボンとウオッカの消費量逆転現象「ホワイトレボリューション」がひとつのきっかけですよね。日本では宝焼酎「純」をはじめとする、ボトルも洗練された新しいタイプの甲類焼酎がヒットした時代です。

 

↑11種類の樽貯蔵熟成酒を13%の黄金比率でブレンドした、宝焼酎「純」は1977年にデビューして大ヒット。その後、1988年には宝焼酎「レジェンド」が誕生します

 

狩野 そう。「純」のヒットなどをきっかけに、ニュータイプの甲類焼酎が若い世代に人気になったのは同時期の昭和50年代でしょう。その後、昭和から平成にかけてカクテルのブームや居酒屋チェーンの台頭などによって酎ハイなど飲み方も多様化し、ウーロン茶割りや梅干しを入れる飲み方も広まったのです。

 

倉嶋 そして2003年には本格焼酎がブームとなり、また時を同じくして大衆酒場に脚光が当たるとともに、再び酎ハイも人気に。近年ではレモンサワーのブームで甲類焼酎が好調ですし、やっぱり焼酎の歴史は奥が深いですね。改めて勉強させていただき、今日はありがとうございました!

 

今回はここまで。次回は甲類焼酎の製造現場を訪れ、「焼酎ができるまで」をテーマに倉嶋さんが工場長に話を伺います。

 

記事に登場した商品の紹介はこちら▼

・宝焼酎「レジェンド」
https://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/legend/

・宝焼酎「純」
https://www.takarashuzo.co.jp/products/shochu/jun/