藤岡弘、さんの愛用品についてその思い出とこだわりを紹介する連載企画第3回目は茶器・茶碗。

 

茶道の師範をされていたお母様の影響で、小さいころからお茶や茶器が身近にあった藤岡さんですが、ある意味、邪道とも言えるお茶の楽しみ方をされています。個性的ともいえるこだわりや楽しみ方を藤岡さんの事務所にある古民家でうかがいました。

 

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:手束 毅)

●藤岡弘、(ふじおか ひろし)/俳優・武道家。 1965年、松竹映画にてデビュー後、青春路線で活躍。 1971年、「仮面ライダー」で一躍ヒーローに。映画・テレビで活躍中

 

小さいころから母に「茶心」を教わる

──今回取り上げるのは茶器・茶碗です。元々、藤岡さんは茶道に興味があったのですか?

 

藤岡 私の母が茶道の先生だったので、幼年期からお茶には親しみを感じています。ただ、私は本格的な茶道の教えを受けていないので、母が煎れてくれたお茶、また作法の真似事をしているだけです。

 

──茶道の世界では「一楽二萩三唐津」など、茶碗や茶器の格付けがなされているようですが、そのあたりのこだわりもないと。

 

藤岡 僕は母とは違って、茶道の深いところまでは到達できていませんから。ただ、子どものころに良いものとされるお椀とか茶碗のことを見たり、父と母が話をしたりしていたのを聞いていたんですね。ふたりとも自分の気に入った茶器を持っていたのです。

 

母がたまに琴を弾き、父は尺八を吹く。その後、茶器や茶碗でお茶を楽しむ。小さいころにそんな風景を通して、良いといわれる茶器を見慣れていたというか、良いモノで茶を親しむことは当たり前として育ってきました。

 

ところが、大人になるとそれらは当たり前ではなかったことがわかってきたんですよね。私には母が残した茶器や茶道具があって、それを使わないのはもったいないなと、ふと気づいたときに、自分も使い始めたのです。

 

──それが茶器や茶碗に興味を持ったきっかけだったのですね。

 

藤岡 茶心や茶の嗜み方というのは幼いころに母から教わりましたね。そういうこともあり、私が海外に行くときには日本茶を持って、皆さんにさしあげています。人からいただくだけじゃなくて、おもてなしの心を持って、私からもお茶をふるまいたいからです。

 

海外ではコーヒーを主にいただくわけですが、もてなしのお返しに私が日本茶を点てる。日本にはおもてなしという文化がありますが、海外にも同じようなものがあるのですね。それで、私も日本の心をもって、日本茶や茶器を持っていき、そして点てて差し上げる。非常に喜ばれます。

 

──おもてなしの心は日本独自のものではないのですね。

 

藤岡 コーヒーを嗜む西洋の方も同じことだと思います。ただ、ゆっくりと時間をかけてお茶を味わうのは日本独自のものでしょう。

 

──味わうだけでなく、煎れるまでの過程も楽しむというものですね。

 

藤岡 そう。お湯を沸かしてお茶を点てるまでの過程を、急ぐわけではなくゆとりを楽しむ、そのゆとりの楽しみ方はお茶だけではない日本のマナーですよね。

 

日本人というのは戦国時代の荒んだ時代であろうとも武士たちは茶を楽しんだのですね。そういう状況にこそ、心のゆとりというか、すべてを冷静に見つめる時間をとったのですね。いわば、短い時間というものを大切にして己を見つめる時を楽しんだと。それほど精神力というか、心の豊かさとともに心のゆとりがあったのですよ。

 

──そのあたりがお茶とコーヒーを嗜む違いなのかもしれませんね。

 

藤岡 海外でのもてなし方は、人とのコミュニケーションというべきなのかもしれません。お客さんや家族が楽しむという側面が強いですね。

 

でも、日本のように自分の世界の中でお茶を点てていくのは凄いことなのですよ。そういう部分と心の持ち方が海外とは違うのかなという感じはしますよね。お茶の楽しみ方について、日本ほど探求していない気はしています。

 

コーヒーを茶筅で泡立てる

──それは茶を楽しむ時の器についても同じですか?

 

藤岡 同じですね。向こうは見た目が素敵なモノが多い。ただ、西洋の茶碗は日本のように手で持ち、お茶の温もりを感じるものではないですよね。

 

日本の器は手で温もりを楽しみ、香りを楽しみ、そしてまた茶器の歴史や作り手を学ぶ楽しみ方がある。その茶器を愛おしく、作った人の心を感じる。そういうあらゆるものに対して豊かな心を持って感性を磨いたり、沸き立たせて楽しむ。

 

何事にもあわれみをもって接する惻隠の情が日本人の心にはあるのですが、器だけどモノとして捉えない。そこに何かを感じ取って楽しみ、作った人の心を感じる。日本人や日本の器には、そういう深い哲学的なところがあるのです。それが僕はとても好きですね。

 

──なるほど、民族性の違いが器にも現れているのですね。

 

藤岡 そう感じます。芸能映像メディアの世界はもの凄いスピードで動いています。若いころから私はその世界に流されるのではなく、精神と心を見つめ己自身を取り戻すべく、事務所に道場を建て、いつでも武道の稽古ができる環境を整えました。また、お茶を楽しむため囲炉裏がある隠れ家風の古民家空間を作ったのです。そこで当時、母とお茶やコーヒーを嗜んでいたのですね。そのときにふと母が所有していた日本の茶碗でコーヒーを点てたらどうかと思いついたんです。

 

母にそのことを相談すると「面白そうだからやってごらんなさい」と茶器を貸してくれて、実際にコーヒーを茶筅で泡立てたら凄く喜んでくれたのです。

 

「これいいね、コーヒーも真心をもって点てたらお茶と同じだね。だったら、コーヒーカップで日本茶を飲んでも面白いかもしれない」という母の柔軟性を知ってびっくりもしました。

 

──茶の湯で使用されている茶碗や茶器でコーヒーを点てるのですか?

 

藤岡 はい、茶碗に入れたコーヒーを茶筅で泡をたてて嗜む。こうするとエスプレッソとはまた違った味わいでコーヒーを楽しめるのです。

 

最初に飲んだ母からとても良いコーヒーの楽しみ方だから友達に飲んでもらえば、と勧められたこともあり、その後、家に来た方にふるまったら美味いと好評だったんですよ。面白がって友人たちにふるまっていたら自分で驚くほど広まってしまいました(笑)。

 

茶筅で混ぜるとね、すごい香りがたつのですよ。しかも味がまろやかになる。日本茶も素晴らしい香りがあるのですが、コーヒーの香りにはかなわない。やっぱり高貴なるコーヒーの香りっていいですね。和の器にコーヒーの香りがたつというのは粋なものですよね。

 

それに、日本の器に入れるため、手で温もりを感じることもできる。私としては日本の茶碗でコーヒーを味わうほうがより美味しく感じるのです。

 

そういう面でも、僕はお茶の楽しみ方が普通ではなく邪道と言っちゃえば邪道になっちゃうような。茶道の流れとはまた違った、自己流といいますか、そういう楽しみ方ですね。

 

藤岡流の茶器のこだわり

──茶器、茶碗についてですが、藤岡さん流のこだわりはありますか? 茶碗といえば、日常使い用ではなく美術的価値が高い逸品も多いと思います。

 

藤岡 以前もお話ししましたが、私がモノを選ぶ際のテーマは「実をもって虚となす」。モノの見かけや格好、それを持っているから誇るということは毛頭ありません。そのモノとの一瞬の出会いの縁。実際に自分が楽しみつつ必要であり、使ってみて本当に理にかなっている。さらに作った方の心が伝わり、それに魅せられる。そういったモノとの出会いが大事ということ。茶器や茶碗についても同様です。

 

ただ、茶器や茶碗もいろいろな色味や種類がありますけど、日本には四季がありますから、その季節に合う器を楽しむという思いはありますし、何かの縁というかこだわりは強いところですね。

 

──この連載では藤岡さんと物との出会いをテーマにしています。今回、お持ちいただいたモノについてご説明ください。

 

藤岡 まずはこれを見てください。南部鉄器のコーヒードリッパーです。南部鉄器は鉄瓶から武器まであらゆるものが製造されていたわけですが、このようなモノがあることを私は知らなかった。

↑鉄瓶の上に載っているのが南部鉄器のコーヒードリッパー

 

コーヒーがとてもお好きな方から送られてきたのですが、僕が日本の器でコーヒーを楽しむことを知っていたからだと思うとすごくうれしくて。日本人の知恵というか海外にない日本製の茶器ですよね。

 

──一般的にコーヒードリッパーはガラスや陶器、プラスティック製でできていますよね?

 

藤岡 透明のガラス製などが主流ですよね。ただ、鉄製のドリッパー、和の心、和風でコーヒーを煎れるのは面白いかなと私は思うのですよね。いろいろな方法があっていい、いろいろな味わい方があっていいんじゃないかなと思うので、民族性もあるし、いろいろな形があってもいいんじゃないかと感じていますね。

 

鉄瓶など伝統的な南部鉄器の茶器が多いわけですけど、その中でお茶ではなくコーヒーを飲む茶器を作り上げたというのが面白いなと。たとえば、透明のガラス製コーヒードリッパーやポットで、日本的な茶碗にコーヒーを煎れると違和感がありますよね。でも、南部鉄器のドリッパーでコーヒーを煎れると合うじゃないですか。つまり和心、和風だから僕は日本の器にコーヒーを煎れるときにはやっぱりこっちでやった方がいいなと思って。

 

コーヒーを点てる時も日本の心を楽しむ。風情のある和風の茶器や茶碗、そして囲炉裏。すべて和のモノで楽しむというのがいいのではないか、和に統一されたらいいじゃないかと思って、いただいたときはすごくうれしかったんです。

 

──以前、この連載でモノと人は一緒で出会いがあるとおっしゃっていました。

 

藤岡 僕が所有しているモノはそれぞれに出会いがあって、人が持っているからとか、重厚だからとか、何かは皆さんが注目しているからとかそういうので買ったのはひとつもないし、手に入れたものはないです。直感や何かを感じ、惹かれるんです。

 

──では、いまお持ちの黒い茶碗にも出会いのストーリーがありますか?

 

藤岡 そう、この茶碗は黒光りしている光沢が魅力的なのですが、自分の仕事に対して真剣に取り組んだときに非常に惹かれて手に入れた器なのですよ。

 

その時、ハードボイルド的な仕事をしていたので、この器に自分を投影させてしまった。あ、そうだ、こういう黒光りのある男になりたいなと。その思い出を忘れないように買っておこうと手に入れたモノなのです。

──それは思い出深い!

 

藤岡 僕は映画などでハードボイルド的な、生死を賭けた生き様の男を演じることが多かったんですよ。その時に生死をさまようような訓練をしながら自分を追いあげ、心身共に鍛えあげたのです。

 

ただ、このまま追い込みすぎては自分を見失ってしまうと不安を抱えてもいたのですね。そんな時、たまたまこの茶碗を見つけ、この器で母にお茶を点ててもらいたいと思いました。

 

実際に母にお茶を点ててもらい、それで自分の気持ちを切り替えることができました。ちょっと心が荒れて、前に前に向かっている自分を見つめ直す、内面を見つめ直す、自分自身を戒めたときの器なのです。

 

──ある意味、モノに助けられたわけですね。

 

藤岡 そうですね、茶器だけでなくモノによっては気づかされ、心が救われることがあります。例えば、囲炉裏があるこの空間には甲冑などのモノが置いてあるのですが、ふと夜中に目が覚めて、囲炉裏に火をおこし、お湯を沸かして日本茶を点てるときがあるんですよ。

 

そのときにこの空間に先祖がきている気がする。ああ、私のためにご先祖様が来てくれて寄り添っている。ああ、僕のことを心配している、守ってもらえる気がしてうれしくなって。

 

僕はそのときモノに囲まれながらお茶を点て、お茶を味わいながら自分自身と問答するのですが、そういう空気感というか波動というか、感じるものがある。上手く言い表すことができないけどこれは僕だけの世界。この空間にひとりぼっちなのですが、ひとりではないと感じるのがすごく幸せなんですよ。

 

モノとの出会いは縁があり、思い出が詰まったモノを通して私が助けられている。僕が所有している茶器やモノは全部思い出深いもので、これは旅に行った時にその場所で手に入れたもので、こういうことを感じ自分の側に置いておきたくなって手に入れたとか。ひとつひとつに歴史が秘められており、歴史と物語が語られるものなんですよ。だから、僕が持っているモノを見るだけで、いろいろな歴史を思い出す。これがお茶やコーヒーを嗜むだけではない、僕の茶器や茶碗の楽しみ方でもあります。

 

【フォトギャラリー(画像をタップすると拡大表示されます)】