おもしろローカル線の旅83〜〜北条鉄道北条線(兵庫県)〜〜

 

兵庫県の播磨地方(はりまちほう)を走る北条鉄道北条線。乗車時間20分ほどの短い路線である。この短いローカル線が、いま全国の鉄道ファンの注目を浴びている。わざわざ遠くから乗りに訪れる人も増えてきた。

 

その理由は〝新車両〟を導入したから。この新車両だけでなく、初めて下りる駅や町、風景もなかなか新鮮で楽しめた。そんな北条鉄道で〝未知との遭遇〟を楽しんでみたい。

 

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【未知との遭遇①】昭和初期まで〝播丹鐵道〟北条支線だった

JR加古川線の粟生駅(あおえき)〜北条町駅間13.6kmを走る北条鉄道北条線(以下「北条鉄道」と略)。まずは北条鉄道の路線史から見ていくことにしよう。筆者の手元に北条鉄道の古い路線図がある。昭和10年前後に印刷された「播丹(ばんたん)鐵道沿線案内」だ。この案内によると、いまJRの路線になっている加古川線をはじめ北条鉄道、2008(平成20)年に廃止された三木鉄道などの路線がみな、播丹鐵道という会社の路線だったことがわかった。

↑昭和10年前後に発行の播丹鐵道の路線図の一部。図の上部に北条鉄道(当時は北条支線)の路線を確認することができる

 

北条鉄道の開業は1915(大正4)年3月3日のこと。播州鉄道という会社により粟生駅〜北条町駅間が開業した。その8年後の1923(大正12)年12月21日には播丹鐵道に譲渡された。掲載の路線図はその当時のものだ。

 

“ばんたん”と読ませる鉄道会社がこの会社以外にもあった。現在の播但線(ばんたんせん)を開業させた播但鐵道で、この会社は1903(明治36)年に山陽鉄道という会社に路線を譲渡している。山陽鉄道は現在の山陽本線を所有していた会社で、1906(明治39)年に国有化、播但線も同時に国有化された。

 

同じ読みで混同しやすいが、もう一度整理しておくと、播但線を開業させたのは播但鐵道という会社。加古川線、北条支線を運営したのが播丹鐵道という会社だった。太平洋戦争中に慌ただしく国有化された全国の私鉄は非常に多かったが、播丹鐵道も1943(昭和18)年6月1日に国有化された。

 

【未知との遭遇②】網引駅近くで戦時下に起きた悲惨なできごと

戦時下に国有化された播丹鐵道。北条支線は以来、国鉄北条線となる。その2年後に大惨事が起きた。

 

現在の法華口駅(ほっけぐちえき)近くに鶉野飛行場(うずらのひこうじょう)という軍用飛行場があった。この飛行場は戦時下に海軍航空隊の訓練基地として使われていたが、当初は川西航空機(現・新明和工業の前身)姫路製作所の専用飛行場だった。戦時下に同工場で組み立てられていたのが戦闘機・紫電改(しでんかい)だった。

↑網引駅(あびきえき)付近を走る北条鉄道キハ40形。駅から300mほど、ちょうど写真付近で、戦時下に大事故が起きた

 

1945(昭和20)年3月31日、網引駅の西側300mほどの地点で、その事故は起こった。試験飛行中の紫電改が鶉野飛行場へ高度を下げ着陸態勢をとり、エンジンの出力を絞ったところ、突然にエンジンがとまってしまうトラブルが起きた。操縦していたのは20歳と若い飛行士だった。網引駅近くの線路は堤の上のやや高い場所を走っている。その線路に高度を落とした紫電改の尾輪が引っかかってしまい、そのせいでレールをねじ曲げてしまったのである。

 

運悪く現場へさしかかっていた上り列車の蒸気機関車と客車が転覆。満員の乗客を乗せていたからたまらない。死者12名、重軽傷者104名という大惨事となった。事故が起きた当初は戦時中だったこともあり、軍事機密として秘匿された。事故の詳細が明らかにされたのは戦後のことだった。

↑法華口駅に立つ「鶉野飛行場跡地」の案内。田園が広がる先に元飛行場の遺構が残り当時の様子を偲ぶことができる

 

網引駅近くの事故地点には小さな慰霊碑が立てられ、亡くなった方の霊を悼むように黄色い菜の花が堤を彩っていた。最寄りの網引駅には事故の概要を伝える案内板も立てられている。戦時下とはいえ、このような惨事が起きながら、国民に何も伝えられなかったとは、改めて戦争の不条理を感じてしまう。

 

戦後は長らく国鉄北条線だったが、接続する加古川線がJR西日本に引き継がれる前の1985(昭和60)年4月1日に、第三セクターの北条鉄道へ路線の運営が引き継がれた。北条鉄道になって以降は、様々な企業努力が実り、第三セクター路線としては珍しく朝夕の列車本数を増やすなど、輸送実績も順調に推移し、三セク鉄道の〝優等生〟となっている。

 

【未知との遭遇③】路線のほとんどが加西市内を走る

ここで路線の概要を見ておこう。

路線と距離 北条鉄道北条線/粟生駅〜北条町駅13.8km
全線単線非電化
開業 播州鉄道により1915(大正4)年3月3日に粟生駅〜北条町駅間が全通
(開業当初の区間距離は13.68km)
駅数 8駅(起終点駅を含む)

 

北条鉄道の起点は粟生駅で、この駅でJR加古川線と、神戸電鉄粟生線と接続している。路線は小野市と加西市(かさいし)を走っているが、小野市内の駅は粟生駅のみで、他の7駅はみな加西市内の駅となる。

 

つまり、北条鉄道は加西市内線と言ってもよいわけだ。そうした背景もあり、北条鉄道の主な出資者は加西市と兵庫県で、北条鉄道の代表取締役社長は加西市長が兼ねている。

 

【未知との遭遇④】形式名の頭に付くフラワの意味は?

次に走る車両を見てみよう。北条鉄道を走る主力車両は2000(平成12)年に運転開始したフラワ2000形気動車で、現在3両が走る。長さ18mの両運転台式の気動車で、3両はピンク、紫、緑と車体の色がそれぞれ異なる。

↑主力車両のフラワ2000形は3両あり、ピンク、紫、緑と3色の車体色をしている

 

形式名だが、なぜ「フラワ2000」と名付けられているのだろう。加西市には兵庫県立フラワーセンターがあり、「フラワ」はこのセンターの名前にちなんで付けられた。また2000は、2000年に導入されたことによる。ちなみに兵庫県立フラワーセンターへは、北条町駅からバス利用で、12〜20分ほどの距離にある。

 

なお、運用される車両は北条鉄道のホームページに運行計画表が掲示されており、そちらで運用状況が確認できる。この運行計画表を見るとフラワ2000-1から3は、およそ1週間単位のローテーションで、順次登場して走っている。

 

【未知との遭遇⑤】“新車両”キハ40形が沿線を彩る存在に

↑2021(令和3)年3月12日までJR五能線などを走っていたキハ40形535。秋田当時と同じ白と青の五能線カラーで走る

 

2022(令和4)年3月13日、長年、フラワ2000のみだった北条鉄道に新たに加わったのがキハ40形である。キハ40系は国鉄時代に開発された普通列車用の気動車で、キハ40形はバリエーション豊富な同系列の中の、両運転台付き車両を指す。北条鉄道ではJR東日本の南秋田センターに配置されていたキハ40形535車を有償で譲り受けた。

 

それまで北条鉄道は3両態勢で列車を運行してきたが、朝夕の増便もあり、車両運用に余力がなくなっていた。ちょうどJR東日本がキハ40系車両の引退を計画していたこともあり、そのうちの1両を譲り受けたのだった。

 

改造費や輸送費用は加西市が助成、加えてクラウドファンディングによる寄付を募った。ちなみに車内には寄付をした方々の名前が掲示されている。見ると筆者が見知った方の名前も散見された。

↑正面には5枚の銘板が付く。「新潟鉄工所・昭和64年」「北条鉄道・2022年2月」とあった。側面にはサボも付く(右下)

 

キハ40系は、JR西日本エリアで珍しい車両ではなく、今も多くが在籍している。とはいえ、車体更新がだいぶ進み、側面の窓の形などが、オリジナルなキハ40系の姿と異なるものが多い。さらに北条鉄道が導入したキハ40系は、遠く離れた北東北を走っていた白と青の〝五能線色〟ということが珍しく感じるのか、鉄道ファンのみならず、旅好きの人々に注目を浴びるようになり、走行日に訪れる人が多い。

 

キハ40形は毎日走るわけではない。1日中走る日が限られている。こうした日には乗車するため、また撮影のために沿線を詰めかける人が目立つ。筆者が乗車した列車も、運行を始めてすでに1か月たっていたにもかかわらず、座席は満席で立って乗車する人も多かった。まさに〝新車両景気〟のように感じられた。なお、キハ40形は週末に必ず運行されるわけではないのでご注意を。運行予定をしっかりチェックしてから訪ねることをお勧めしたい。

↑1日フリー切符も通常のもの(右上)とは異なるストラップ付きを期間限定で用意。鉄印(左)もキハ40形のイラスト入りを販売

 

【未知との遭遇⑥】粟生は乗り換えに便利だが不便な駅だった

さあ、北条鉄道の旅に出てみよう。起点は粟生駅。前述したようにJR加古川線と神戸電鉄粟生線と接続している。ホームは1・2番線が加古川線、神戸電鉄粟生線が4番線で、3番線が北条鉄道の発着ホームとなる。この駅の番線のふり方は変則的で、北条鉄道3番線の向かい側が加古川線の下り1番線ホームで、跨線橋を渡った側の加古川線上りホームが2番線となっている。

 

北条鉄道は土・休日の場合、ほぼ1時間おきに発着する。また平日は6時・7時台と、18時台が30分おきに増便される。

↑北条鉄道のホームは手前3番線。向かい側が加古川線の下り1番線ホームとなる。1番線に停まる電車は国鉄形通勤電車の103系だ

 

JR加古川線、神戸電鉄粟生線との乗り継ぎは非常に便利だ。接続する側の両線とも日中、ほぼ1時間おきに列車が走っていて、北条鉄道への乗り継ぎ、また北条鉄道からの乗り継ぎがしやすいように、列車ダイヤも調整されている。特に加古川線の上り下り列車との乗り継ぎは非常に良く、ほとんど待つことなしに乗車できる。

 

ただ、もし乗り継ぎに間に合わなかったら、どの列車も1時間待ちになってしまうので注意が必要だ。

↑瀟洒な造りの粟生駅の正面(左上)。跨線橋の下に加古川線のホームがある。奥に見えるのが神戸電鉄粟生線の車両

 

乗り継ぎに便利な粟生駅だが、駅から外に出ると驚かされる。駅舎は洋風で瀟洒な造りで、駅前にロータリーが整備され、民家が駅前通り沿いに建ち並ぶのだが、商店がない。駅横に「小野市立あお陶遊館アルテ」という陶芸教室などが開かれる公共施設があるほかは理髪店があるのみで、3本の路線が集まるターミナル駅らしくない印象だった。

 

粟生駅がある小野市の繁華街は、加古川線の小野町駅、もしくは神戸電鉄粟生線の小野駅周辺にある。一方の加古川線の粟生駅周辺は下車する人が少ない駅のせいか、商店の営業には向かなかったようだ。同駅で下りる場合には、ランチ時であれば、お弁当などを持参して動くことをお勧めしたい。

↑粟生駅を発車した列車はJRの線路と分かれ、大きく左カーブ、水田地帯の中、次の網引駅を目指す

 

【未知との遭遇⑦】北条鉄道の駅がみなきれいな理由は?

粟生駅11時9分発の北条町駅行きに乗車する。この日はキハ40形が1日走る運行日で、さらに日曜日で混みあっていた。ちなみに、粟生駅ホームには交通系ICカードのリーダーがあり、JRから北条鉄道への乗り換え時には、タッチして北条鉄道を利用する。北条鉄道線内ではICカードの利用は不可で、乗車時に整理券を受け取り、下車の際は現金での支払いとなる。

 

1日フリーきっぷ(840円)も用意され、車内および、終点の北条町駅で購入することができる。粟生駅〜北条町駅間の片道運賃が420円なので、往復+1駅どこかで下車すれば、お得になる計算だ。

 

短い路線だが、途中駅に下りてみて気がつくことがある。どの駅もきれいに掃除され、整備されているのである。ローカル線というと、なかなか掃除の行き届いていない路線もあるが、なぜなのだろう?

↑北条鉄道の駅には登録有形文化財に指定された古い駅も多い。駅舎内もきれいに掃除、また手入れをされた駅が多い(写真は長駅)

 

北条鉄道の各駅は終点の北条町駅を除きすべて無人駅だが、ボランティアの駅長が多くの駅に存在する。ステーションマスター制度という仕組みで、2年の任期で駅長となり、駅の清掃とともに、趣味や特技を生かしたイベントや、教室などを駅舎で開くことができる。

 

例えば網引駅では毎月2回、ボランティア駅長が切り絵教室を開いている。法華口駅のボランティア駅長は絵手紙教室、播磨下里駅では寺の住職がボランティア駅長を務める。播磨下里駅の駅舎には下里庵の名が付けられ月に2回、開放されている(現在はコロナ禍で活動休止中)。

 

こうした試みは、駅の清掃だけでなく、地域のコミュニティづくりにも役立っているようだ。とはいえあくまでボランティア活動なだけに、最近はなり手が少ないようである。

 

【未知との遭遇⑧】法華口駅で珍しいシステムが導入される

100年以上前に播州鉄道北条支線として開業した北条鉄道。古い駅舎もいくつか残る。その1つが粟生駅から3つ目の法華口駅(ほっけぐちえき)だ。この駅、木造駅舎が建つ古いホームの先に新しいホームが2面あり、現在は、新しいホームが使われている。

↑開業当時に造られたホームの先に新しいホームが設けられ、上り下り列車の交換が可能な造りとなっている。春先は桜もきれいだ

 

この法華口駅には上り下り列車の交換施設が設けられている。北条鉄道の路線唯一の交換施設だ。2020(令和2)年6月に新設された交換施設で、全国初の保安システム「票券指令閉そく式」が採用された。名称を見るとなかなか難しいシステムのように感じるが、行うことはシンプルだ。

 

まず、進行してきた列車は法華口駅の右側の線路に入る。ホームに停車し、乗客の乗降が済んだら、運転士は運転席の左側に設けられたカードリーダーに、持参するICカードをタッチする。タッチすると、先の信号が赤から緑に変わり、列車が進行できる仕組みだ。

 

現在、列車の交換システムの多くに「自動閉そく式」が使われている。このシステムの導入で自動的に列車交換が行われているが、「自動閉そく式」に比べて「票券指令閉そく式」は設置コストが割安なことが導入の決め手となった。列車本数が少ない路線には最適なシステムかもしれない。

↑列車の左側にカードリーダー(右上)が設けられ、そこにICカードをタッチすると、先の信号が青に変わり、前進が可能になる

 

【未知との遭遇⑨】8年前の播磨下里駅の駅舎写真と比べてみる

法華口駅をはじめ複数の駅に停車し、列車は進行していく。

 

駅周辺には民家が建ち並び、駅を離れると左右に水田風景が広がる。列車からあまり見えないのだが、沿線には1つの特長がある。北条鉄道が走る播磨地方には、ため池が非常に多いのだ。本原稿でも掲載している地図のように、いたるところに大小のため池がある。

 

この地方は降雨量が少ない。そのため、古くからため池が多く設けられた。江戸時代前期に築造のものもあるとされる。播磨地方に限った数字ではないのだが、兵庫県全体には、全国でトップの2万2107個もある。ちなみに、ため池が多いと予想される香川県のため池の数が1万2269の3位で、圧倒的に兵庫県のため池が多いということに気がついた。

↑播磨下里駅に入線するキハ40形。駅舎に掲げられる駅名標はレトロそのものだった

 

法華口駅の次が播磨下里駅で、この駅にも開業当時の駅舎が残る。法華口駅とともに駅舎が有形登録文化財に指定されている。駅舎には手書きの駅名標が付けられている。この駅名標、戦争前の表記方法だった右から左へ横書きした文字が、下に透けて見えていておもしろい。

↑播磨下里駅の2014(平成26)年と現在の姿。このように改装され、きれいになった駅が目立つ

 

手元に2014(平成26)年9月に撮影した同駅の写真があった。現在と比べて見ると、駅舎内の中扉が作り直されるなど、かなり手直しされている様子がわかる。記録によると2016(平成28)年3月に駅舎を改築とある。同鉄道の駅はきれいに掃除されているばかりでなく、駅舎、トイレなど改築・改装されたところも多い。

 

北条鉄道に初めて乗車して、これらの駅に下りる人も多いはず。駅舎はもちろん、入ったトイレが汚い、または使えなかったとなると、旅行者は困るし、残念に感じてしまう。このあたりの対応はローカル線といえども、旅人に来てもらうためには大切な要素だと思われた。

 

【未知との遭遇⑩】「長」と書いて何と読む?

播磨下里駅の次の駅は長駅だ。「長」と書いて何と読むのだろう。

 

答えは「おさ」。駅は加西市西長町にあり、その長が駅名になったようだ。同地の長という地名は同地を支配した豪族の長氏に由来する。また地域を支配し、統率する首長を意味したオサに由来するという説が同地に残されている。掲載の写真のように、春先には旧ホームの上に植えられた桜が美しい。

↑長駅を発車するフラワ2000-1。後ろが長駅の駅舎で路線開業時の建物が残る。桜は旧ホームに連なるように植えられている

 

↑年季が入った長駅の駅舎に驚かされた。駅舎内には、手荷物・小荷物取扱所という古い看板も掲げられていた(右下)

 

訪れた日には開いていなかったが、駅舎の裏手入口には結婚相談所「駅ナカ婚活相談所」の看板があった。ボランティア駅長が主催するイベントのようで、各駅でなかなか多彩な催しが行われていることがわかる。

 

長駅を発車して間もなく右カーブした車内から西池というため池が見えてくる。播磨地方にはため池が非常に多いと前述したが、線路のそばに見えるため池はこの西池のみに限られる。

↑播磨横田駅を発車して3分ほど。終点の北条町駅に近づくキハ40形。周囲には民家も増え始め賑わいが感じられた

 

【未知との遭遇⑪】終点の北条町駅の賑わいぶりが意外すぎる

播磨横田駅を過ぎて3分ほど。終点の北条町駅に到着した。これまでの駅周辺に比べると、かなりの賑わいぶりだ。

 

起点の粟生駅が、複数の路線との接続駅であるものの、駅周辺に何もないところであったし、途中の6駅も、駅近くには民家があるが、商店はほぼない。比べて北条町駅前には交通量の多い県道23号線が走る、駅からこの道をまたぐ跨線橋も設けられていて、ショッピングモール「アスティアかさい」に通じている。駅に隣接して寿司チェーン店、大型ショッピングモール、大型電器店がある。

 

要は加西市の中心部はこの北条町駅周辺だったのである。北条鉄道の旅を楽しむ際には、この北条町駅で一休み。次の列車を待つ1時間の間に、ランチなどを済ませたほうが賢明だ。

↑北条町駅のホームに入線するキハ40形。ホームの裏手には検修施設も設けられている

 

始発駅と終点の駅で、これほどまで賑わいが違う路線も珍しいだろう。北条鉄道のように行き止まり路線を盲腸線と呼ぶことがある。盲腸線は、大概が始発駅は地方の都市で、先に行くほど、郊外となり、賑わいが薄れるところが多い。北条鉄道の場合は、まったく逆で終点のほうが賑わっていた。

 

鉄道や車両だけでなく、この対比が新鮮だった。キハ40形という新たな車両が導入されたことで、より活気づく北条鉄道。同鉄道ならではの特異なロケーションが、魅力付けとなり、訪れる人が多いように感じた。

 

今後、どのように路線が変貌していくか、興味が尽きない。

↑北条町駅のホームに停車するキハ40形。側線にはフラワ2000-1が停車していた
↑駅向かいに建つショッピングモールから北条町駅を望む。県道を越える自由通路が設けられていて行き来も便利だ