筆者は哲学者中島義道氏のファンだ。熱狂的というほどではないけれど、目が離せない感じ。

 

日本社会の「よし」と西洋哲学の「よし」

今回紹介したいのは『「思いやり」という暴力』(中島義道・著/株式会社PHP研究所・刊)という一冊だ。1997年に刊行された『<対話>のない社会—思いやりと優しさが圧殺するもの』をベースとした内容で、相変わらずのナカジマイズム爆裂。

 

4年半のヨーロッパ生活を終え、1984年に帰国した中島氏は、しばらくして祖国の社会の「肌ざわり」に違和感を覚えるようになる。

 

日本の社会が「よし」とするものが、「(西洋)哲学」が「よし」としていることとは真っ向から対立することはずっと前からうすうす感じていたのだが、ヨーロッパ滞在後、体の底から確信するようになったのである。

『「思いやり」という暴力』より引用

 

ここはもう少し掘り下げておく。

 

私の問題意識をずっと絞り込んでいくと、わが国の人間関係において、最も重視されるのは「他人を思いやる」ことであり、そのためには「本当のことを言わないこと」である。この「公理」とも言える大原則に、私は(タテマエ上の「哲学者」として)肌に滲みるほどの違和感を覚えたのである。

『「思いやり」という暴力』より引用

 

「肌に滲みる」というのは、よほどの違和感だ。筆者自身、こういう感覚に包まれたのはいつだったろうか。どんなシチュエーションだったろうか。ちょっと考えてしまった。

 

思いやりと優しさが哲学を阻害する?

本書には「哲学のない社会をつくるもの」というサブタイトルがつけられている。中島氏が抱いた違和感の正体は、文庫版のタイトルを変更した理由について語られた以下の文章からも推し量ることができる。

 

その理由は、「思いやり」や「優しさ」を声高に訴え、人々から生き生きした思考力を奪うことこそ、哲学を阻害するものであるというもともとの構造をよりはっきりさせるためである。

『「思いやり」という暴力』より引用

 

日本社会には不文律的なスタンダードがあって、その大原則がそもそも個人で感じて表現すべき道徳観にまで同調圧力的に作用する。一般的な善悪の基準もこれによって決まる。そして一度決まってしまったら、絶対的適用は免れない。

 

「定型的な優しさ」がもたらす圧倒的な違和感

“戦う哲学者”というニックネームで知られる中島氏は、ごく普通日本人から見れば、日本国内のありとあらゆる事象に怒っているように感じられる。なんでそんなに怒るのかなんて尋ねるのは、愚かな行いだ。さまざまな場面で常に“肌に滲みるほどの違和感”にさらされているからに決まっている。ならば、その違和感の正体は何なのか。

 

欧米に起源を有する弱者や被差別者に対する配慮が、この国特有の定型化とも相まって、いまや朝から晩まで「定型的な優しさ」を喧伝する放送が流され、街も村も「思いやり」で溢れている。それを問題視する態度を切り捨てる暴力が弱者に対する「優しさ」を持たない人を怪物のようにみなす暴力が、まかり通っている。

『「思いやり」という暴力』より引用

 

「思いやり」や「優しさ」という感覚をまとった、暴力的な同調圧力がまかり通る世の中に対する拒否感かもしれない。

 

押しつけがましい標語に満ちた日常

こうした世の中の性質を端的に表すものとして、中島氏は街中にあふれる標語を挙げる。このあたりの思いは第二章の「アアセヨ・コウセヨという言葉の氾濫」に綴られているのだけれど、確かに日本の社会には押しつけがましいスローガンが多い。中島氏はかなりの数の実例をリストアップしながら話を進めていく。筆者も日頃使っている京王電鉄が電車内や駅構内に掲げている標語が引用されているので、紹介しておこう。

 

・あっ、電車きた。切るね

・あっ、後ろジャマ。前に持とーっと

・やめて下さい となかなかみんな 言えないから

 

だから何だよと思わないでいただきたい。中島氏には、利用者を“思いやって”掲げられる標語の数々が目障りなのだ。あちこちで見るこうした標語の数々に違和感を覚えなくなったら、知らず知らずのうちに同調圧力に取り込まれているのかもしれない。

 

日本人は言葉を尊重しないのか

中島氏は言う。日本についてどうしても嫌いなのは「言葉を尊重しない」文化であるように感じられる部分があることだ。

 

学生たちは私語をまき散らし、それでいて何を聞かれても押し黙っている。上に立つ者たちは、因習的・定型的・非個性的な言葉しか発しない。みんな言葉の「裏」を読むことに汲々とし、言葉で真剣勝負せず、腹を探り合い、自分の言葉に責任をとらない。

『「思いやり」という暴力』より引用

 

この本を読んだ後は日頃自分が使い、目にして耳に入ってくるごく普通の言葉の響きとか、何より「思いやり」とか「優しさ」に対する自分の感覚を見直したくなるだろう。

 

【書籍紹介】

「思いやり」という暴力

著者:中島義道
刊行:PHP研究所

教師が語りかけても沈黙を続ける学生たち。街には無意味な放送や看板が氾濫する。なぜ私たちは正面から向き合う「対話」を避けるのか?無意味で暴力的な言葉の氾濫に耐えているのか? 著者は、日本的な優しさこそが「対話」を妨げていると指摘。誰も傷つけずに語ることの虚しさを訴える。風通しのよい社会を願い日本人の精神風土の深層に迫る。

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