UWF。この3文字を見て胸がときめいたり、熱い血潮が滾ったりする方は、間違いなくプロレスファンだ。いや、格闘技ファンかもしれない。

 

UWFとは、1984年に設立されたプロレス団体。「ユニバーサル・レスリング・フェデレーション」の頭文字を取った名称だ。第1次UWF時代と第2次UWF時代があり、前者は「旧UWF」。後者は「新生UWF」と呼ばれることが多い。

 

いろいろすったもんだがあり、1991年に消滅。短命だったが、当時はプロレス業界を大きく揺るがすほどの存在感を放っていた。

UWFの歴史

UWFは、簡単に言えば「真剣勝負」を謳ったプロレス団体。プロレスは、ロープに振られたら帰ってくる、反則は5カウントまでOK、関節技を極められてもロープまでいけばエスケープといった、ショー的な部分が多いスポーツエンターテインメントだ(ただし当時はプロレスは真剣勝負だと思っていたファンのほうが多数)。そんななか、UWFはプロレスのエンターテインメントな部分をそぎ落とし、打撃と投げ、関節技をメインとした試合を展開し、「新しいスタイルのプロレス」として注目を浴びる。このときの団体のエースは、元タイガーマスクの佐山聡(当時はサトル)、その反対側には元新日本プロレスの実力者である藤原喜明。そこにまだ若手だった前田日明や高田延彦がいた。旗揚げメンバーは、ラッシャー木村や剛竜馬、マッハ隼人にグラン浜田というレスラーもいたが、ほどなくフェイドアウトしている。

 

資金難で1985年に解散。UWFのメンバーは新日本プロレスにUターン参戦。そこでロープに振られても戻ってこなかったり、相手をケガさせるような試合を展開したり(主に前田日明が)と、新日本プロレスという従来のプロレスに、UWF流のプロレスがぶつかりあうイデオロギー闘争が繰り広げられた。

 

そして1988年に前田日明をエースとして第2次UWFを旗揚げ。第1次UWFよりもさらにルールを整備し、スポーツライクなプロレスを展開。また、前田日明が大物外国人格闘家と戦い勝利することで、UWFの強さをアピール。これに従来のプロレスに不満を抱いていたプロレスファンが惹きつけられ、社会現象にまで発展。しかしフロントとレスラーの間に大きな溝ができ、1991年に解散となる。

 

UWFの幻想

『1984年のUWF』(柳澤 健・著/文藝春秋・刊)は、UWFの旗揚げから解散までを追ったノンフィクション。発行は2017年。当時はもうUWFは過去のものとして、あまり表だって語られることはなかったが、この書籍の発行以降、各社からUWF関連の書籍が多数発行されることになる。いわば「第3次UWFブームの火付け役」といったところだ。

 

本書を読むと、僕が当時プロレス雑誌(主に週刊プロレス)を読んで感じていたUWFとはかなり印象が異なる。僕はUWFが話題になっているとき、「これはプロレスじゃない」と思い、大仁田厚が5万円で旗揚げしたFMWや、過激なデスマッチを売り物にしているW☆INGといった、いわゆるインディー団体にハマっており、UWFはなんだか「すかした感じだな」と思ってあまり興味を示さなかった。なんとなく、プロレスの持ついかがわしさが感じられなかったのだ。

 

しかし本書を読むと、UWFもほかのプロレス団体となんら変わらず、裏側はうさんくささが満載。スポーツライクなプロレスとは外面だけで、内情はフロントとレスラーのすれ違い、それぞれのレスラーの意識の違い、そしてレスラー特有の金銭感覚のアバウトさみたいなのがあり、「ああ、やっぱりUWFもプロレスだったんだな」と、ちょっと安心したところがある。

 

第2次UWF時代、オランダの柔術家、クリス・ドールマンと前田日明の対戦が行われた大阪球場でのビッグマッチ(1989.5.4)は2万3000人の観客を集めて大成功に終わったかのように見えたが、実際には違うらしい。

 

大阪球場の観客数は2万3000人と超満員を記録。UWFの快進撃はまだまだ続く、と誰もが信じた。だが実際には、大阪周辺のナショナル(現・パナソニック)の販売店を通じて、数千枚の招待券がばらまかれていた。

(『1984年のUWF』より引用)

 

でもいまだにUWFの幻想を追いかけているファンも多い。それほど当時のUWFは魅力的だったのだろう。

 

UWFの功績

第1次UWFに参加していた佐山聡は、タイガーマスクになる以前、18歳から、「打・投・極」による総合格闘技を作ろうと思い描いていた。そして、それをUWFで実践しようと試み、UWF独自のプロレススタイルになっていった。UWFを去った佐山は、シューティング(後の修斗)を立ち上げ、長年の夢であった新しい総合格闘技にたどりついた(後に離脱)。現在のUFCなどの総合格闘技は、ほぼ修斗のルールがベースになっている。

 

また、前田日明をエースとした第2次UWFも、基本的には佐山の作ったルールをベースに発展。格闘技色の強いプロレスを展開しコアなファンを獲得していった。前田日明は、先述のクリス・ドールマンや、ディック・フライといった大物格闘家を招聘することで、格闘技との接点を強くしていった。

 

第2次UWF解散後、前田日明はリングスを設立。ヴォルグ・ハンやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ、ピーター・アーツ、エメリヤーエンコ・ヒョードルなどの外国人格闘家をリングに上げた。

 

高田延彦は、UWFインターを旗揚げ。同団体を解散後、第1回のUFCで優勝したグレイシー柔術のホイス・グレイシーの兄、ヒクソン・グレイシーと戦うべく「PRIDE.1」に出場し、ヒクソンと対戦。見事に敗れた。

 

しかし、この2人がいたことで世界の格闘家が日本にやってきて試合をするようになり、ファンの間で認知されるようになったし、グレイシー柔術という格闘技を知ることができた。

 

何より、日本で格闘技ブームが起こり、数々の格闘技イベントが開催されるようになった。それもこれも、UWFという団体があったからこそ。逆に言えば、今の格闘技ブームを遡っていけば、必然的にUWFにたどり着くということだ。

 

当時UWFにハマっていたファンは、すでに本書は読んでいることだろう。一方、僕のように当時UWFにハマらなかった純プロレスファン(僕は邪道だったが)も、本書を読むことでUWFという団体がどういうものだったのかがわかるだろう。

 

そして、「UWFはなんだかんだ言ってプロレスだったんだな」と腑に落ちるはずだ。

 

 

【書籍紹介】

 

1984年のUWF

著者:柳沢健
発行:文藝春秋

1984年、UWF誕生。新日本プロレスへの復讐のために誕生した団体は元タイガーマスク・佐山聡の大胆な構想のもとプロレスから逸脱していく。若者はUWFを真剣勝負のプロレスとみなして熱狂した。しかしー。プロレスから総合格闘技への過渡期に痛烈な一閃を浴びせ、大反響を呼んだ迫真のノンフィクション。渾身の文庫化!

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