東京パラリンピックで車いすラグビー日本代表は2大会連続の銅メダルを獲得した。パラスポーツでありながら『マーダーボール(殺人球技)』とも呼ばれる過酷な車いすラグビー。その日本代表として、的確に先を読む判断力と鉄壁の守備を武器に活躍していたのがチームの紅一点・倉橋香衣選手だ。あれから1年──どんなに苦しい状況でも笑顔を忘れず、一般のファン層を広げたともいわれる彼女に、その後も続く闘いの日々とパラアスリートとしての原点について語ってもらった。

(構成・撮影:丸山剛史/執筆:木村光一)

倉橋香衣(くらはし・かえ)/1990年、兵庫県神戸市生まれ。高校まで体操選手として活躍。大学からトランポリンを始めるが、2011年、練習中の事故で頸髄を損傷。鎖骨より下の感覚をほぼ失う。3年間のリハビリを経て車いすラグビーと出会い、2015年、所沢市に拠点を置くBLITZ(ブリッツ)入団。2017年、女子選手として車いすラグビー史上初の日本代表に抜擢。持ち点0.5点(最も障害が重い)のローポインターとして頭角を表し、一躍、注目の存在となる。2021年、初出場の東京パラリンピックで5試合すべてに出場。銅メダル獲得に貢献した。商船三井、AXE(アックス)所属。

 

トランポリンの練習中に着地失敗。頸髄損傷の重傷を負って四肢麻痺に

──子どものころからスポーツがお好きだったんですか?

 

倉橋 じっとしていられなくて、とにかく動き回っているのが好きでした。母親から聞いた話では、怒られて家を放り出されてもそのまま平気でどこかへ遊びに行ってしまうような子どもだったとか(笑)。一日中動き回っても疲れない。夜もなかなか寝なくてずいぶん親を困らせたみたいです。それでどうにか私を疲れさせようと体操クラブに通わせてみたところ、ようやく眠るようになったそうです。

 

──ご自身も体操には興味があったんですか?

 

倉橋 母親が好きでよくテレビで観てまして、そのときから私も一緒になって観ていたので、たぶん最初は面白かったんだと思います。結局、小学校1年の終わりごろに始めて、高校3年までやり続けました。

 

──大学進学後、体操からトランポリンへと転向したのには何か理由が?

 

倉橋 あまり真面目に練習しなかったので全然体操が上手くならなくて、それで見切りをつけたんです。でも、“宙返り”が好きだったこともあってトランポリンに転向しました。ジュニアからやっている選手たちには敵いませんでしたけど、体操をやっていた分、多少、技を覚えるのは早かったと思います。

 

──そのトランポリンの大会で起きた事故について伺ってもよろしいでしょうか?

 

倉橋 はい。

 

──大学3年の4月、埼玉県越谷市の大会で事故に遭われたそうすが。いったい何が起きたんですか?

 

倉橋 予選を通過すると、決勝の本番前にウォーミングアップとして1本跳べる機会が与えられるんです。その最中にどうもタイミングが合わない、何か変だなという違和感があって。でも私が跳び終わるのを他の選手が待っているので、まだ感覚が合ってない状態のまま空中で回転する技に入ってしまったんです。すぐ、失敗すると直感しました。それで安全に着地する体勢を取ろうとしたんですけど、その時点で上も下もわからなくなっていて、気づいたら頭から落ちてました。そこから先は記憶も途切れてるんですが、救急隊員から「いまどこ触られてるかわかりますか」と聞かれて「わかりません」と答えながら、首(頸髄)をやったら体が動かせなくなると聞いていたけどこれがそういうことなのか。「やってもうたな」って、そんなことをぼんやり考えてました。

 

常識を覆させられた“車いすラグビー”との出会い

──それほど危険な目に遭われたにもかかわらず、またスポーツを始めようと思われたのはどうしてですか? 何かきっかけがあったのでしょうか?

 

倉橋 体を動かしたい、スポーツをやりたいという思いは、まだ寝たきりでまったく動けない状態のときからありました。ICU(集中治療室)から一般病棟に移って大学の友人が見舞いに来てくれるようになったんですけど、そのときから、自分にもやれる障害者スポーツはなんだろうって友人たちとも話してたんです。

 

──障がい者スポーツについてはどの程度ご存じだったんですか?

 

倉橋 いえ、私も友人たちも全然知りませんでした。

 

──では、いつごろ、車いすラグビーを知ったのでしょう?

 

倉橋 大学へ復学するという目標のためにリハビリ病院に移りました。まず、国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)に入所し、一人暮らしを行うための自立訓練を受けることになったんです。その施設で行われていた活動のひとつに車いすラグビー部があって、今思えば2、3人が車いすをぶつけ合ってるだけでちゃんとした試合を見たわけでもなかったんですけど、もうすぐに「あれに乗ってみたい!」と思ったんです。

 

──今日、初めて練習を取材して驚かされることばかりだったんですが、とくにあのガッシャーンという車いす同士がぶつかり合う様子やバーストしたタイヤから噴き出す空気の勢いを間近に見て鳥肌が立ちました。失礼ですが、通常、とくに女性は「あれに乗ってみたい」とは思わないんじゃないでしょうか?

 

倉橋 普段、私は車いすから落ちたら自力では戻れないという障がいのレベルなので、車いすはつねに大切に扱うように言われています。それと同時に、周囲の人たちに迷惑や危害を加えないよう丁寧に動かすことも心がけています。ところが、車いすラグビーでは相手とぶつかっても怒られない、こけてひっくり返っても笑えてしまう。私、それまでツインバスケットボール(四肢麻痺の障がい者によるバスケットボール)はやってみたことがあったんですけど、ゴールするときや他のプレーヤーの前では車いすのブレーキをかけて止まらなければいけない。それがしんどかったんです。でも、ラグビーはそのまま相手にぶつかって止まればいいからラクそうで、めっちゃ楽しそうに見えたんですよ(笑)。

 

車いすは男女混合競技。体力差も判断力で克服できる

──なるほど。危険よりむしろ自由や大らかさを感じたんですね。しかし、実際、車いすラグビーは「マーダーボール(殺人球技)」とも呼ばれるほど激しい競技で、男子選手にとっても極めて過酷だといわれています。そんな中に飛び込んでいくのはかなり勇気が要ったのではないですか?

 

倉橋 たしかに私が車いすラグビーを始めた当時、男女混合競技にもかかわらず女子選手は他に1人しかいませんでした。でも、リハビリや自立訓練にしても男女の違いはなかったし、トランポリンも男女関係なく互いに教え合いながら練習してましたから、私としては選手が男子ばかりでもそれほど抵抗はなかったですね。

 

──では、競技者になってみて、あらためて気づいたことは?

 

倉橋 私の場合、球技や団体競技の経験が全然なかったこともあって、どうしても動きが遅れてしまうんです。たとえば2対2になったらどっちへ行けばボールが前に進むとか、ディフェンスをどうするとか、動きながら声を出すとか。球技や団体競技の経験者にとってはごく当たり前の基本的なことすら全然わからなかった。でも、わからないのが逆に面白くて。悔しい思いはするんですけど、それがどういうことなのか理解できてそれができるようになるとめちゃめちゃ嬉しい。それを繰り返しながら、車いすラグビーにどんどんのめり込んでいったんです。

 

──体力のある男子選手と互角に渡り合うため、何か特別なトレーニングはされているんでしょうか?

 

倉橋 特別なトレーニングは特にしていません。パワーやスピードではどうしても敵わない部分はありますが、判断力はみんな平等なので私はそこを磨いていこうと決めてます。

 

──判断力? たとえばどういうことですか?

 

倉橋 先を読んで自分のスピードならこういう動きをすればいいとか、ローポインター(守備的な選手)やハイポインター(攻撃的な選手)がそれぞれ動きやすいように何をすべきかとか、そういうことを考えながらプレイすることがいちばん大事なんだと、私はチームメイトからも教わりました。

 

女子初の日本代表選手として越えなければいけなかった壁

──2017年に女子選手として初めて日本代表に招集されたときはどんな気分でしたか?

 

倉橋 それまでクラブチームの試合に出場した経験がほとんどなかったので「なんで私が?」と疑問でいっぱいでした。でも、自分が選ばれたのは優れた何かがあるからではなくて、女子をチームに加えることで戦術に広がりをもたせようという意図なんだと理解して、すこしでもそれに応えられるように精一杯頑張ろうと思いました(*注釈参照)。

 

【*注釈/車いすラグビーの主なルール】

○車いすスポーツで唯一コンタクトが認められている競技。4対4でバスケットボールコートの広さで行われる。バレーボールに似た専用球を投げたり、ドリブルしたりパスで繋いだりなどしてボールを前へ運び、車いすの前後4輪のうち2輪がゴールラインを通過するとトライ(得点)になる。

○選手は障がいの度合いによって持ち点を0.5点から3.5点まで0.5点刻みで7段階にクラス分けされ、コートでプレーする4人の持ち点の合計は8.0点以内でなければならない(障がいが軽度であるほど持ち点が高くなる)。ただし、女子選手が加わる場合、持ち点の合計に0.5点が加算される。つまり8.5点以内で選手を組むことが可能になる。

 

ちなみに、2018年の世界選手権で日本は史上初の優勝を遂げたのであるが、その勝因の一つに、倉橋選手を加えて持ち点の上限を8.5点とし、出場選手のラインナップの選択肢を増やしたことが挙げられている。

 

──倉橋選手は女子選手起用の狙いを「プラス0.5点」のアドバンテージだと冷静に理解しつつ、それでも持ち前の負けん気の強さからオーバーワークに陥り、2018年の世界選手権後は肩の痛みで日本代表を長期離脱していました。そのときの状態について聞かせてください。

 

倉橋 代表に選ばれて試合に出してもらえるようになって、車いすラグビーの本当の面白さがわかってきたんです。練習だけでは腑に落ちなかったことがどんどん理解できてそれが楽しくて。でも、そのときは自分のレベルに合ったあったトレーニングの仕方がわかってなかったし、とにかく他の代表選手に追いつかなきゃいけないと、ただがむしゃらにやってただけだったんです。そしたら肩を壊してしまって。

 

──徐々に東京パラリンピックの機運も高まっていましたから焦りもあったでしょう。そこからどうやって立て直していったのですか?

 

倉橋 今振り返れば、あれは必要な時間だったと思います。肩を痛めてからトレーニングも自分が動かせる筋肉への負荷を考えてやらなければいけないことを学びましたし、車いすの漕ぎ方といった基礎ができてなかったことも痛感しました。それからは治療やリハビリはもちろん、走る練習を増やし、とにかくもう一度、みんなとラグビーをやりたい、代表に戻りたいという一念でひとり練習に打ち込みました。

 

──現在、肩の調子は?

 

倉橋 まだ痛みは引きずっていて、それとうまく付き合いながらという感じです。でも、体の使い方やコンディションに合わせた自分なりのトレーニングのやり方がわかってからは大きく調子を崩すこともなくなりました。

 

怖さやプレッシャーも楽しんでしまえばいい

──その後、倉橋選手は日本代表に復帰を果たし、晴れて東京パラリンピックに出場。全5試合で活躍して銅メダル獲得に貢献されました。そこで素朴な疑問です。車いすラグビーは男女混合競技。現状では体重制限もなし。したがって国際大会ともなれば日本人の男子選手よりさらに大きな外国人選手とコートで対峙しなければなりません。単純に怖くないんですか?

 

倉橋 全然怖くないです。むしろ外国の選手と試合すると決まって自分の方が抑えられて不利なポジションになるんですけど、パッと相手を見たら「うわぁ、やっぱでかいなぁ!」ってワクワクしてめっちゃ楽しいんですよ(笑)。

 

──う〜ん、怖さやプレッシャーに楽しみが勝ってる。なるほど、そのあたりが倉橋選手の大舞台での強さにも通じているんですね。そういえば、練習中もずっと倉橋選手が笑顔を絶やさないのが印象的でした。

 

倉橋 これでもすごく集中してるんですよ(笑)。でも、試合でも練習でも緊張はしない。なんかずっと楽しんじゃってるんです(笑)。

 

車いすラグビー中心の生活。趣味がないのが悩み

──普段の生活について聞かせてください。倉橋さんは日本車いすラグビー連盟オフィシャルパートナーである商船三井に勤務しながらAXE(アックス)というクラブチームで練習に励んでいると伺っています。両立は大変ではありませんか?

 

倉橋 会社での仕事は週2日勤務が基本です。業務内容はWeb社内報の記事制作などを含む事務作業で、練習スケジュールや大会などによって、勤務日や勤務時間はフレキシブルに調整していただいています。

 

──AXEでの練習はどれくらいのスパンで行われているのでしょう?

 

倉橋 車いすラグビーは使用できる体育館が限られているので、その確保状況によってまちまちですが、平均する月2回から3回くらいです。他のメンバーと一緒に練習できる時間が限られている分、あとは個人で自主練習しています。ほぼ基礎トレーニングで時間はその時々によって変わります。

 

──試合前のルーティンのようなものはありますか?

 

倉橋 何か食べるとか決められたことをするとか、そういうのはとくにないです。30分前ぐらいから準備を始めて、時間が余ったらコーヒー飲んだりお喋りしたり。それからアップして試合に入っていく。いつもそんな感じです。

 

──では、試合に勝ったり目標を達成したりときの自分へのご褒美は?

 

倉橋 それもないですね。でも、ほとんど実現したことないんですけど、よく友だちとどこかへ行こうという話だけはしてます。

 

──旅行がお好きなんですか。

 

倉橋 北海道も沖縄も合宿でしか行ったことがないので、体育館以外の場所に行ってみたいんです。べつに近場でもいいんですけど、それもコロナ禍が落ち着いてからの話なのかなと。今は我慢してます。

 

──実践しているストレス解消法があれば。もしくは趣味があれば聞かせてください。

 

倉橋 合宿とか大会が終わったらまずは寝たい!(笑)。だから趣味もないんですよ。休みの日も部屋で過ごすことがほとんど。チームメートから面白いアニメを勧められて観始めたんですけど、それも気がついたらノルマみたいな感じになってしまって。それでも、これを続ければ趣味になるかもしれないって自分に期待してるところなんです(笑)。

 

──東京パラリンピック以降、ファンも増えて注目を浴びる機会が増えたと思うんですが、普段、人の目は意識されてますか?

 

倉橋 昨日もすっぴんでスーパーに行っちゃいましたし、服も全然気にしてないですね。いつもジャージ。家事を手伝ってもらってるヘルパーさんにも「こんなに服があるのに、どうして洗濯物はジャージだけなの?」って呆れられて。ヘアスタイルも自分で前髪をハサミで切ったらパッツンになってみんなに笑われました(笑)。

 

東京パラリンピックがもたらしてくれた本当に価値あるもの

──東京パラリンピックで銅メダルを獲得して以来、周囲の環境もすいぶん変化したのではありませんか?

 

倉橋 東京パラリンピックについては悔しすぎてあまり憶えていないっていうか……。正直、大会が終わった直後は、それまでずっと応援してくれていた人たちに対して「金メダルじゃなくて御免なさい!」っていう思いのほうが強くて……。でも、実際に銅メダルを持って帰ったら、家族、友だち、会社の同僚、ボランティアの皆さんがすごく喜んでくれて。それでやっと自分でも気持ちの整理がついたんです。

 

──自国開催のプレッシャーというのは相当なものだったんですね。

 

倉橋 今はテレビでたくさんの方に観てもらえて、車いすラグビーの存在を知ってもらえてよかったと思っています。なにより、パラリンピックをきっかけにチームスタッフをやりたいという希望者が増えたことが最大の収穫でした。パラスポーツ、とくに車いすラグビーという競技はスタッフの協力がなければ成り立ちません。スタッフもみんなチームの一員ですから、それは本当にうれしい変化だと感謝しています。

 

──差し支えなければ、昨年4月に長年所属していたBLITZからAXEへクラブチームを移籍した理由を教えてください。

 

倉橋 新しい環境で挑戦してみたい、もっと成長したいと思って移籍を決めました。

 

──最後に、今後の目標を。

 

倉橋 私が所属するクラブチーム『AXE』は、日頃の練習の成果を出し、来年2月の日本選手権決勝大会への切符を手に入れたいと思っています。10月には日本代表チームの2連覇がかかった世界選手権(10月8日〜17日/デンマーク・ヴァイレ)が開催されますので、4年前に続いて今度も最高の結果を出せるよう全力を尽くすつもりです。みなさん、応援よろしくお願いします!