僕がプロレスを好きになったのは小学生のころ。父親がプロレスをテレビで見ていて、一緒に見たのがきっかけ。当時はジャイアント馬場率いる全日本プロレス、アントニオ猪木率いる新日本プロレス、“金網の鬼”ラッシャー木村がエースの国際プロレスがテレビ放映をしていた(あと全日本女子プロレスもテレビ放映があった)。

 

僕が好きだったのは全日本プロレス。ジャンボ鶴田がまだ星のマークの入ったパンツを履いていた。

 

どの団体もまんべんなく見ていたが、やはり全日本プロレスが好きで、大学生のころは大仁田厚が興したFMWにはまり(大仁田は全日本プロレス出身)、どんどんデスマッチにのめり込んでいく。

いぶし銀でオールマイティな全日本プロレスの重鎮

全日本プロレスで一番熱狂したのは、やはり四天王プロレス時代。ジャンボ鶴田亡き後、団体を守るために死闘を繰り広げた三沢光晴、川田利明、小橋健太、田上明の試合で、テレビの前で大絶叫した。当時、全日本プロレスは、「明るく楽しく激しいプロレス」を標榜。その「激しい」部分を四天王が担っていた。

 

一方「明るく楽しい」部分は、ジャイアント馬場、ラッシャー木村、悪役商会(大熊元司、永原遙)などが担当。第2試合や第3試合で楽しい試合を行っていた。そして、「明るく楽しく激しい」の3部門ともに活躍していたのが渕正信だ。

 

ジャンボ鶴田は練習嫌いなんかじゃなかった!

渕は、全日本プロレス設立後まもなく入団した生え抜き。ジュニア戦線で活躍し、そのいぶし銀のスタイルと、関節技主体のテクニックで人気があった。ジュニアヘビー級のチャンピオンとして長い間ベルトを保持していた実力者だ。

 

その渕が記したのが『王道ブルース』(渕正信・著/徳間書店・刊)だ。本書は、最初期から現在まで全日本プロレスに所属し看板を守ってきた渕だからこそ書ける内容となっている。

 

ジャイアント馬場やジャンボ鶴田の話はもちろん、天龍や輪島、外国人選手たちのエピソードが盛りだくさんで、当時を知るものとしては「へえ」と思うこともたくさんある。

 

たとえばジャンボ鶴田。「最強」と言われていた傍ら、「練習をしない」という話もよく聞いた。まあ、聞いたと言っても直接誰かに聞いたわけではないが、プロレスファンなら一度は耳にしたことがあるかもしれない。でも、実際は違ったようだ。

 

鶴田さんはよく練習していたし、ウェイトトレーニングもしっかりとやっていた。

(『王道ブルース』より引用)

 

当時、ジャンボ鶴田は器具を使わず、自重トレーニングだけをしていたというのが一般的な話だったが、渕によれば器具を使ったウェイトトレーニングもしていたし、若手と一緒にしっかりと練習もしたいたとのこと。ただ、長時間のだらだらした練習はやめて、短時間で効率のよい練習を取り入れていたので、鶴田主体になってからの道場では練習時間はかなり短かったようだ。

 

実は日本プロレス史のキーマン

渕は1954年生まれ。現在68歳だが、今も現役レスラーとしてリングに上がっている。正直、全盛期のような試合はしていないものの、若いレスラー相手にベテランらしい試合をして会場をわかせている。

 

実は渕は、プロレスファンの間では「独身」キャラとして知られている。現在も独身のまま。一度も結婚歴がない。変わらぬものがあるというのは、安心感がある(ちなみに女性は大好きらしい)。

 

全日本プロレスが選手の大量離脱で団体崩壊の危機を迎えたとき、川田利明と二人だけで全日本プロレスの看板を背負い、新日本プロレスに乗り込んだ姿は震えた。渕がいなかったら、全日本プロレスは途絶えていたかもしれないと思うと、日本のプロレス史上でかなりのキーマンだ。

 

本書には、渕から見た全日本プロレスが書かれている。馬場、鶴田、ハンセン、ブロディ……。そんな名前にピンと来る方はぜひご一読を。渕のまっすぐな人間性、プロレス観、そしてプロレスの本質についてわかるだろう。

 

【書籍紹介】

王道ブルース

著者:渕正信
発行:徳間書店

全日本一筋で来たプロレス人生。ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田から直接「王道」を受け継いだ男が老舗団体の激動の真相を初めて記す。

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