2022年10月1日、元プロレスラーのアントニオ猪木が心不全のために死去した。79歳だった。

 

猪木については、プロレスにあまり明るくない人でも顔や名前は知っていることだろう。プロレスファンにとっては、ジャイアント馬場と並び、プロレス界の象徴とっていもいい存在だ。

 

長い間闘病生活をしており、その様子をYouTubeで公開するなど、最後まで猪木らしい生き方をしていたと思う。ご冥福をお祈りします。

 

猪木は復帰をしなかった潔いプロレスラー

アントニオ猪木がプロレスラーを引退したのは1998年4月4日。東京ドームにおける対ドン・フライ戦が引退試合となった。それ以降、プロレスラーとしてリングに上がってはいない。プロレスの世界では、引退をした後にリングに復帰するということがよくあるのだが(引退とはなんぞや…)、猪木にはそれがなかった。そういうところも猪木らしい。

 

猪木にまつわる引退エピソードはそれほど書かれていない

先ほど、「プロレスの世界では、引退をした後にリングに復帰するということがよくある」と書いたが、それでもやはり「引退」という言葉は、プロレスラーにとっては重いものだ。その決断に至るには、いろいろな葛藤があったことだろう。

 

『さよなら、プロレス』(瑞 佐富郎・著/standards・刊)は、23人のプロレスラーが引退を決意するまでの思いを記したノンフィクション作品。蒼々たるレスラーが並んでいる。そのなかにはもちろん、アントニオ猪木の章もある。

 

ただし、猪木のプロレスラー時代のエピソードや、元アナウンサーの古舘伊知郎とのエピソードなどが書かれているだけで、実際に引退に関しての話はない。それでも充分興味深い話ではあるのだが、ちょっと残念だ。

 

一番印象に残った言葉は「ラッキーだったな」

23人の引退したレスラーのさまざまなエピソードが読め、たいへん充実した内容なのだが、なぜか僕が一番印象に残ったのが、「はじめに」で書かれているマサ斉藤の言葉だ。

 

マサ斉藤は、自分の引退試合に自分が発掘してきた外国人レスラー、スコット・ノートンを選んだ。そして試合後にこう言っている。

 

「こうして今、喋ってられるし、水も飲める。ラッキーだったな」

(『さよなら、プロレス』より引用)

 

なんとも深い言葉だ。八百長だろうとか出来レースだとか、いろいろと言われることの多いプロレスだが、戦っているレスラーたちはそれこそ命がけで毎日リングの上に立っている。引退試合の後に、ちゃんと生きていられること。それを「ラッキー」と言うマサ斉藤は、本当に命がけでプロレスをしていたんだなと感じた。いいセリフだと思いませんか?

 

フリーランスに引退はあるのか?

僕のようなフリーランスにとっては「引退」という言葉はピンとこない。体を壊して業界から離れてしまったり、仕事がなくなって別な職業についたりという人はいるが、わざわざ「俺は●月●日でライターやめます」という同業者を聞いたことがないし、自分もどうやってこの仕事から退くのかなんて考えたこともない。

 

でも、引退の際になんか名ゼリフを吐いてみたいという気持ちはちょっとだけある。まあ、それほどの功績を世の中に残せてきたかどうかはわからないが、何か引退の際のフレーズを考えておこう。ただ、発表する場はないのかもしれないが…。

 

【書籍紹介】

さよなら、プロレス

著者:瑞佐富郎
発行:スタンダーズ

「人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いて行くのだと思います」ーーアントニオ猪木

なぜリングを去ったのか。数々の伝説を残し、そして現役人生に幕を下ろした23人のレスラー。引退を決意するまでの彼らの思いはいかなるものだったのか。その舞台裏の真実を熱く描く、渾身のプロレス・ノンフィクション。

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