ある程度の人間が寄り集まってコミュニティを作るようになると、コミュニティ内における貧富や能力の差によって社会階層が形成されるようになるもの。権力の有無や性別、年齢による格差は、紀元前の社会においても生み出されていました。大がかりな共同作業を行う上では一定のヒエラルキーが存在しているほうが有利かもしれませんが、東アフリカのケニアで見つかった5000年前の共同墓地からは、「社会階層を持たないものの大規模な共同作業を行うコミュニティ」が存在した痕跡が発見されています。

Kenya burial site shows community spirit of herders 5,000 years ago | Science | The Guardian
https://www.theguardian.com/science/2018/aug/20/kenya-burial-site-shows-community-spirit-of-herders-5000-years-ago

ケニアの北西部に位置するトゥルカナ湖は、水鳥の大規模な生息地である上に数百万年前の人類の化石も発見される場所であり、トゥルカナ湖一帯を含むトゥルカナ湖国立公園群は世界遺産にも登録されています。ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校の准教授を務める人類学者のエリザベス・ヒルデブランド氏は、そんなトゥルカナ湖の近くにあるロサガム北柱遺跡で10年以上にわたって発掘調査を行っています。

ロサガム北柱遺跡には4000〜5000年ほど昔の人々が建造した、巨石によって示された直径30mほどの広場が存在しています。広場の中央には空洞が作られており、その中には少なくとも580体以上の遺体が寄せ集まって埋葬されており、共同墓地として使用されていたと考えられているそうです。

農耕社会では共通の歴史や文化にもとづいて大きなモニュメントが建造され、家族を超えたコミュニティ全体の結束を強めていました。より大規模なコミュニティを作ることで、人々は技術や文化を大きく発展させることができますが、同時にコミュニティ内での格差が生まれやすくなるのも事実です。


ところが、ロサガム北柱遺跡で発見された広場を作ったのは農耕民族ではなく、移動しながら牧畜を行う遊牧民だったとのこと。農耕民族以外がコミュニティを作り、大規模なモニュメントを建造していること自体も珍しいそうですが、ヒルデブランド氏らは「埋葬された遺体の状況からして、このコミュニティには社会階層らしきものが存在していた痕跡がない」ことに注目しています。

遺体はいずれも密接に寄せ集められた状態で空洞の中に収められていて、権力者らしき遺体だけが隔離された場所に納められているということもないそうです。また、大人や子ども、男性も女性も等しく手の込んだ装身具に身を包まれており、特定の遺体だけが華美に飾られている痕跡もありませんでした。

トゥルカナ湖周辺を含む東アフリカでは、メソポタミアやエジプト、アジアで組織的な農業が行われるようになった時代でも、人々が十分な食料を得るためには牧畜が最も適していたため、農耕社会が発達しなかったとのこと。ヒルデブランド氏は、「農耕社会が発達するに従って社会階層が形成され、特定の人々が権力を握って富を増やし、貧富の差や健康状態にも差が現れるようになりました。一方で、遊牧民が形成した社会にも同様の変化が現れたのかどうかは、非常に大きな謎です」と述べており、ロサガム北柱遺跡はこの謎を解くヒントになるかもしれないとしています。


ロサガム北柱遺跡で発見された広場がどのような役割を果たしていたのか、詳しいところは判明していませんが、遊牧民が集合してお互いの持つ情報を交換する場として使われていたのではないかと考えられています。周辺地域の情報をコミュニティに属するほかの遊牧民から仕入れることは、自分自身が食べるものを探すためにも、家畜を養うためにもとても重要なことでした。

また、共同墓地が作られて使用されていた時代、トゥルカナ湖周辺では降水量が減少し、トゥルカナ湖自体が小さくなっていくという環境の変化に遊牧民は直面していた可能性があるとのこと。それにもかかわらず、幼い子どもまで丁寧に装身具で飾られてから埋葬されていることから、コミュニティの構成員は末端まで大切にされていたことがわかります。

最終的にこの広場や共同墓地を作った遊牧民のコミュニティがどうなったのか、詳しいことは判明していません。共同墓地の使用は突然終了してしまいましたが、それは予期せぬことではなく、コミュニティによって予定されたものでした。コミュニティの構成員は遠くから石を何度も往復して運んできて、フタをするように共同墓地の上に敷き詰めていったとのこと。「その後にコミュニティがどうなったのかはわかりません」と、発掘調査に参加しているフロリダ大学の考古学者であるキャサリン・グリロ氏は語りました。


Photo by Carla Klehm