アフガニスタンで殺害された中村哲医師の悲報は、日本で農業などの勉強に打ち込むアフガニスタン人留学生たちにも衝撃を与えた。「我々は、日本人より中村先生の死を悲しんでいる」。口々にそう語る彼らは、中村さんからの教訓を糧に、遺志を継ごうとしている。(五十嵐大介)

■フェイスブックにあふれたメッセージ

「彼にお悔やみの言葉を伝えに来た」。12月8日、成田空港のロビー。アフガニスタンからの留学生グラブ・グルブディンさん(32)は、花束やメッセージを掲げた仲間を前にそう訴えた。中村さんの遺体が日本に戻るのに合わせ、空港に駆けつけた。

東京農業大学(東京・世田谷区)の博士課程のグルブディンさんは4日、研究室で研究していた時、知人から電話を受け、中村さんの悲報を知った。

「人類の敵が、勇敢な中村先生を標的にした!親愛なる中村先生!本当に申し訳ありません!」。フェイスブックに中村さんへの思いを書き込むと、同胞の仲間からのコメントであふれ、195人が「いいね」ボタンを押した。中村さんと並んで二人で撮った写真も一緒に投稿した。

中村哲さんの遺体の帰国に合わせ、成田空港のロビーで中村さんへの感謝を表明するグラブ・グルブディンさん(左)=12月8日、フェイスブックより

■「一人の労働者」の姿勢に共感

グルブディンさんは、中村さんが殺害されたアフガニスタン東部ジャララバードで生まれ育った。

中村さんに初めて会ったのは、2006年ごろ。ジャララバードにあるナンガルハル大学で農業を勉強していた時だった。学生数人で、当時中村さんが進めていた用水路の工事現場を訪れた。

「自分たちの身の回りにある、自然の資源を活用したほうがいい」。中村さんは、グルブディンさんら学生にこう説明したという。コンクリートは使わず、砂漠で取れる石を金網に詰めて、川をせき止めるために使っていたという。

グルブディンさんの自宅は、ジャララバード中心部から北の外れ、中村さんがかかわる建設現場に近かった。自宅近くのガンベリ砂漠は高地にあるため、水が確保できず長年の問題だった。中村さんたちは、低地にあるクナール川から用水路を造って水を引き、砂漠の一部を農業ができる土地にした。

グルブディンさんはその後も、中村さんが関わる用水路の建設現場を何度も訪れた。その時、多くの現地の人を動機づけたのが、中村さんが一人の労働者として働く姿だったという。

「我々の国には寄付という形で、多くの国がプロジェクトや人を送り込んできた。彼らはマネジャーとして事務所で働き、携帯電話で報告を受けるだけで、現実を知らない。だが中村さんは全く違う。自ら重機を動かし、重い荷物を運んでいた」。現場に行くと、中村さんは地元の人と同じ衣装を着て、パシュトゥー語をうまく話して作業員に交じっているので、見つけるのが難しかったという。

「日本人の勤勉さと誠実さを目の当たりにして、日本に行って勉強すべきだという夢をもらった」。グルブディンさんはそう振り返る。

■農業で母国を救いたい

グルブディンさんは、2013年から2年半日本で勉強し、修士号を取った。一度アフガニスタンに戻った後、17年に再び日本に戻り、国際農業開発の研究をしている。

東京農業大学の博士課程のグラブ・グルブディンさん=東京都世田谷区、五十嵐大介撮影

グルブディンさんは二度の留学を、国際協力機構(JICA)の奨学金制度を使って実現させた。

日本での主な研究テーマは、収穫した後の野菜や果物を長持ちさせる技術の研究だ。国連食糧農業機関(FAO)によると、世界では年間13億トンの食料が廃棄されている一方で、8億人が飢餓に苦しんでいるとされる。「少しでも食べ物を長持ちさせて、フードロスを減らしたい」とグルブディンさんは話す。

アフガニスタン東部は気温が50度にもなるほど暑く、電気のアクセスも悪いとされる。トマトは通常2、3週間しか持たないが、特殊な技術を使って早めに収穫すれば、数カ月もたせることもできるという。グルブディンさんは「高温の気候を、どうやったら恩恵に変えられるかを考えた」と話す。「身近な資源を生かす」という、中村さんの教えに近い考えだ。

アフガニスタンは、世界で最も貧しい国の一つ。1人当たり国内総生産(GDP)は500ドル(約5万5000円)ほどで、日本の約80分の1しかない。3000万ほどの人口の約8割が農民というアフガニスタンでは、農業の安定が成長のカギといわれている。

■改善しない現地の治安

グルブディンさんによると、現地の治安はいまも悪いという。「母親は毎朝、私の兄弟を見送る際、『もう二度と会えないのではないか』と恐れている。母親に(安全のために)『日本から戻ってくるな』と言われた時はショックだった」

地元メディアによると、今年の秋、アフガニスタン東部の村のモスクで爆発が起き、70人以上が犠牲になった。ある女性は、父親、兄弟、息子を一度に失ったという。「我々は日々、何百という同じような話を聞き続けてきた」。グルブディンさんはそう話す。

中村さんの悲劇について、ほかの留学生も怒りをあらわにする。

「アフガニスタン人は、こんなひどいことはしない」。グルブディンさんと同じ東京農大の留学生、アブドゥル・マフムードザダさん(36)は、そう憤る。アフガニスタン北部のジョズジャン州の出身で、水資源管理の勉強をしている。

研究室で並ぶグラブ・グルブディンさん(右)とアブドゥル・マフムードザダさん=東京都世田谷区、五十嵐大介撮影

マフムードザダさんは、日本に150人ほどいるアフガニスタン人留学生会の会長をつとめる。中村さんの悲報を聞いた多くの同国の留学生から、問い合わせを受けた。

マフムードザダさんによると、内陸の高地が広がるアフガニスタンは、山地から流れ込んでくる雪解け水などの水資源が豊富にある。だが、ダムなどでそうした水資源を活用する手段が乏しかった。「近隣国は、政治的な理由から、アフガニスタンが豊かで力強い国に発展するのを望んでいない」と話す。

留学生会の会長をつとめる、アブドゥル・マフムードザダさん。中村さんの悲報を伝える現地の報道をスマートフォンでみせてくれた=東京都世田谷区、五十嵐大介撮影

■武器ではなく、食料を

グルブディンさんが最後に中村さんに会ったのは、昨年9月。広島で開かれた中村さんの講演に参加した時だった。

「One canal>100 Clinics(100軒の診療所より、一つの運河を)」

講演の最初のスライドには、中村さんのそんなメッセージが書かれていた。その後、アフガン東部の広大な砂漠地帯に、用水路が完成する前後の写真が映し出された。かつては広大な砂漠が広がっていた地域が、建設後には緑に覆われていた。

中村哲さんの講演のスライドに映された、用水路工事が始まる前の現地の様子。一面に砂漠が広がっている=グルブディンさん提供

用水路工事によって緑が広がった現地の様子=グルブディンさん提供

「中村先生とは、このプロジェクトをどう拡大できるかについて話し合った。(中村さんが手がけた)マルワリード用水路は、他の地域のシンボルになると話していた」。グルブディンさんら参加者は、休憩時間も列を作って中村さんに質問をぶつけた。「武器ではなく、食料だ、というのが彼のメッセージだった。一つの川は100人の医者を生むことができる、農業は開発の礎だとも言っていた」

中村哲さん(右)の講演の合間に、中村さんに質問をぶつけるグラブ・グルブディンさん(右から2番目)=2018年9月、グルブディンさん提供

グルブディンさんは来年3月に日本での博士課程を終え、故郷ジャララバードの大学に戻る。講師として、後進の学生たちに農業を教えるつもりだ。「私たちの国だけではなく、世界中に彼の遺志を広げていきたい」