バンコクにあるタイ国鉄マッカサン車両工場で27日、仕事納め恒例の「タンブーン(喜捨)」がありました。仏教徒の多い国タイらしいゆく年の送り方です。いつもは部外者に閉ざされている工場ですが、ご近所さんに開放されたため、私も訪ねてみました。草むらに潜んでいたのは――。

タイ国鉄のマッカサン工場で読経するお坊さんたち=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

タンブーンをロックする

タンブーンは、お布施をしたり寄付をしたりして徳を積むことです。鉄道の車両工場で年末に行う場合は、その年の安全や繁栄に感謝し、翌年の幸せを願う気持ちが込められています。

早朝7時すぎ。普段はなかなか入れない門をあっさりと通り過ぎると、広場の奥でお坊さんたちがお経をあげていました。1時間ほどして、喜捨が始まりました。お金、お菓子や食べものを詰めたかご、トイレットペーパーなど生活用品をお坊さんに捧げます。私もおやつの詰め合わせのかごを2つ持参し、お渡ししました。鉢に入りきらないものは、隣につきそう人がビニール袋に収めていました。

タイ国鉄のマッカサン工場の仕事納めで、お坊さんに喜捨する人たち=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

工場の関係者が部外者にも食事や飲み物をふるまってくれます。私も目玉焼きピリ辛鶏肉のせご飯をいただきました。おいしかったです。壇上では、タイの伝統的な衣装に身を包んだ女性たちが華やかに舞っています。

午前9時半ごろ、広い工場内を練り歩き始めました。お坊さんと仏様が、黄色いリボンで飾られた白のISUZUのトラックに乗って工場内の各部門を訪ねて回ります。お坊さんは周囲の人々に水をかけてくれます。お布施を集める箱を持って歩く人が付き添っています。

パンパンパン。爆竹が響き、あたりの空気が白っぽく煙る=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

それにしてもにぎやかです。ドラム、エレキギターをバックににぎやかに歌って踊る人たちがトラックを先導しています。途中でタイのウイスキーもふるまわれ、酔っ払って台にのぼって上半身裸で踊り出すおじさんも現れました。どこかのクラブのようです。そばのマッカサン駅を通る列車の音もフュージョンしています。仏教がロックしているかんじです。仕事納めの解放感でしょうか。喜捨といえば、お坊さんが黙々と托鉢に歩く静かなイメージを抱いていたので、驚きました。

タイ国鉄のマッカサン工場の仕事納めで、参加者に食事をふるまう人たち=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

マッカサン工場の開放は、盤谷(バンコク)日本人商工会議所専務理事の井上毅さん(50)が誘ってくれました。タイ国鉄の客車の9割以上にあたる1513両を写真に撮っている筋金入りの「テツ」です。

「高層ビルが立ち並ぶバンコク中心部に一時代前の工場が存在していることがおもしろい。全体的に設備は古く、修理する車両の種類も多くて自動化が難しいなか、職員の方々は誇りを持って働いているように感じる。年末のタンブーンは、日本で言えば職場の旅行や運動会のようなもの。近年はコスト削減でやめる企業もありますが、ここではベテランの世代を中心に楽しみにしているのでしょう」

仲間のテツで、写真が得意なバンコクに駐在する会社員武田雄一郎さん(52)と昨年、初めて参加したそうです。さらに今年は、タイの鉄道整備会社に購入された日本の中古ディーゼル機関車DD51の再出発を支援する活動に取り組む会社員小林涼太郎さん(32)も加わりました。

20世紀初めから稼働するマッカサン工場はタイ国鉄の中心となる工場です。タイの鉄道に詳しい柿崎一郎・横浜市立大学教授の著書『王国の鉄路』によれば、第2次世界大戦中の45年3月、連合国軍側からの爆撃で被災し、壊滅的な被害を受けました。逃亡する技師まで現れて工場の能力は低下し、車両の修理が満足にできなくなりました。戦後はタイは立場を変えて米国から支援を得るなか、世界銀行が被災した車両を修理するマッカサン工場の復旧を最優先。戦後10年を待たず、1950年代半ばまでには復活しました。

そんな歴史を持つ工場の草むらに、古ぼけた蒸気機関車2両がひっそりと置かれていました。「ミカド」型の965と955。1950年に日本で製造されました。井上さんらによると、老朽化して走れなくなってからはボイラーの代用として使われていたようです。機関車の車上に煙突のようなものが装着されているのは、このためです。

タイ国鉄マッカサン車両工場に置かれていた古ぼけた日本製の蒸気機関車=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

もともとは戦後、食糧難の日本へタイから輸出するコメを運ぶため、日本からタイに輸出された車両です。米国が主導した機関車とコメの「物々交換」は、日本の食糧の確保だけでなく日本の鉄道車両産業を復興させる狙いもあったとされています。

ほかにも、戦時中にタイとミャンマーをつないだ泰緬鉄道を走っていた車両と同じ型である日本製の蒸気機関車C56も展示されていました。

泰緬鉄道の建設にも使われたC56型の蒸気機関車もあった。1936年に日本で製造された。戦後もタイで使われていたそうだが、全身がさびついていた=2019年12月27日、バンコク、吉岡桂子撮影

工場には、日本製の蒸気機関車に限らず、古いもの新しいものも貨車や客車も含めて外国製の車両が目立ちます。日本、米国、英国、ドイツ、フランス、中国、韓国……。タイの鉄道は戦後、冷戦下のインドシナ半島における西側の拠点国として整備が進められました。世界銀行の支援をうけた国際入札による調達が多く、さまざまな国の車両を導入することになりました。日本などから中古車も購入しています。一時、自国産を模索し、このマッカサン工場で製造したこともありましたが、非効率だとして輸入中心に戻しました。

韓国より長い鉄路を持ちながら自国産にこだわらない。援助を活用したり外資系企業を競わせたりしながら、輸入ですませる方針は、タイの合理性と均衡主義の象徴のようにも思えました。鉄道はそれぞれの社会を映すもの。新しい年も乗り歩きながら考えたいと思います。

どうか良いお年を!

タイ国鉄のマッカサン車両工場で筆者=2019年12月27日、バンコク、小林涼太郎氏撮影