彼女たちの「あれから」をたどる旅

2014年春、ウクライナという東欧の国が突如、世界の注目を浴びた。隣の大国ロシアとの関係をめぐって紛争に陥った「ウクライナ危機」。初めての紛争地取材に赴いた当時34歳の私を支えてくれたのは、時代に翻弄されながらも、たくましく生きるウクライナの女性たちだった。6年ぶりに彼女たちを訪ね歩いて、私はひとつの答えにたどり着いた。(渡辺志帆、文中敬称略)

【エレナ・タカチ】「王子様はもう待たない」

炎天下の草むらに、強烈な腐臭が漂っていた。重機で掘り起こされた土の中から、白いビニールでくるまれた遺体が次々に出てくる。14年7月、ウクライナ東部スラビャンスク。英語通訳として現場で共に取材したエレナ・タカチを思い出すとき、あの凄惨(せいさん)な光景とともに、香水の甘く、さわやかな香りが鼻腔によみがえる。

当時「親ロシア派」の重要拠点として3カ月にわたり占拠されたスラビャンスクは、激しい戦闘の末に政府軍によって解放された。私たちは、親ロシア派武装勢力が共同墓地の一角に遺棄したとされる遺体を、政府が掘り返す様子を取材した。トラックで運び出された遺体は14体。吐き気をもよおす異臭が衣服について消えない。疲れ果て、車で3時間はかかる宿までの道のりを思うと、ため息が出た。運転手の男性も無言だ。

ウクライナ東部スラビャンスクの共同墓地の一角から掘り起こされる遺体。親ロシア派武装勢力が遺棄したとされ、ウクライナ政府が町を奪還後に発掘調査した=2014年7月、渡辺志帆撮影

エレナがおもむろにハンドバッグから小指の先ほどの瓶を取り出し、ひとさし指に一振りして鼻の下にこすりつけた。「これでちょっとは楽になるから」。香水だった。みんな同じように鼻の下につける。重苦しい空気が緩んだ。

エレナは当時、27歳。ウクライナ人男性との結婚を1カ月後に控えていた。「お金持ちの外国人と結婚して外国で暮らすのが夢だったのに、恋に落ちちゃった」と話す彼女は、同じ通訳でも、自らキャリアを積もうと留学を目指すエリーナたちに比べ、「守ってくれる男性を見つけて、尽くすことこそ幸せ」という古風なところがあった。それだけに、目に涙をためながら取材の通訳をやりきるなど、垣間見えた芯の強さが心に残った。

2度の結婚と離婚で見えたもの

青と黄のウクライナ国旗の色のマニキュアで愛国心をアピールしていたエレナ・タカチ=2014年7月、キエフ、渡辺志帆撮影

あれから6年、エレナ(33)が再会の場に指定したのは、キエフ郊外。林立する高層マンションのはざまで迷子になった私を、シトロエンのコンパクトカーで迎えに来たエレナは、昔よりさらにやせたようだ。会うなり、彼女は「2度目の離婚をしたところよ」とニカッと笑った。引っ越したばかりという24階建てマンションの22階の部屋に私を招き入れると、彼女の6年間を語り始めた。

キエフ郊外で道に迷った記者を車で迎えに来てくれたエレナ・タカチ=2020年2月、渡辺志帆撮影

最初の結婚は、1年で終わった。ある晩、酒に酔って帰宅した夫と口論になり、全身を殴られた。浴室へ逃げ込み、寝間着のままタクシーに飛び乗って実家へ逃げた。テレビ局の音響ディレクターだった夫は失職してから、働くのを嫌がるように。エレナは英語講師の傍ら、キエフで小さな旅行会社を切り盛りしていたが、紛争後の経済危機で通貨フリブナが暴落して客足が途絶え、店を畳んだ。

出会い系サイトで知り合い、離婚の翌年に再婚した2人目の夫は、不動産業を営む裕福なビジネスマンだった。エレナは夫の望み通り、仕事をやめて主婦に。2カ月に1度は2人でエジプトやモルディブへ旅に出る生活が続いたが、長引く不況がまたしても影を落とす。

夫の事業が傾くと、けんかが増えた。「最初の離婚は夫を愛していない自分に気づけて、心底晴れやかだった」。でも、2人目の夫は「一生連れ添いたいと思った人」。酒をあおって泣いた。

結婚と離婚を繰り返した6年、祖国の情勢は膠着していく。ウクライナ危機の当初、エレナは「祖国が沈没船になる」と恐ろしく、政治刷新を叫ぶデモ隊に薬や食料を差し入れていたが、経済危機が進むにつれ、「気力を失った」。今はもう政治に関心がない。

ガラス張りのテラスから沈みゆく夕日が見える新居は、広さ46平方メートル、家賃は月9500フリブナ(約3万8000円)。「地下鉄の駅から3キロ離れているから、築浅でも安い」と言うけれど、貯金を切り崩してまで、ここに暮らすのは「高い場所に住んで、自分の気持ちを引き上げたいから」だ。

キエフ郊外の高層マンションの自室のテラスでワイングラスを片手に夕日を眺めるエレナ・タカチ=2020年2月、渡辺志帆撮影

1万6000人に「恋愛指南」

今、この部屋からインターネットを使ってさまざまな仕事を手がけている。英語を教えたり、自己啓発のカウンセリングを施したり。豊富な交際経験をネタに恋愛術を指南するインスタグラマーでもある。警察官の父(56)に「ちゃんと働け」と叱られるが、「会社勤めしか仕事と認められない、古い頭の人」と気にとめる風もない。

あでやかなメイクアップを施して恋愛術についてSNS上でライブ配信するエレナ・タカチ=インスタグラムより

あでやかなメイクを自ら施し、ワイングラスや電子たばこを手に1万6000人いるフォロワーにデート術を説く姿は、6年前からは想像もつかない。「アカウントの宣伝のために有名ブロガーに多額の広告費を払ったのに成果が出ない」。そう眉をつり上げる彼女を見ていると、果たして生計が立ちゆくのか、私だって心配にはなる。

それでも、今のエレナからは、たくましさと自由を感じる。「あの頃は自分が何者なのか分からなかった。誰かに幸せにしてもらおうと依存していた。自分を肯定して信じることができれば、何でもできる。王子様を待つのはもうやめた。外国に住みたければ、自力で行くし、たぶん、どこでも生きていける」

自宅マンションで、リング状の照明とスマホでライブ配信の方法を説明するエレナ・タカチ=2020年2月、キエフ、渡辺志帆撮影

【アリョーナ・キンドラト】人々の幸せと、国と

もう一人、忘れてはならない女性がいる。今回の旅の通訳、アリョーナ・キンドラト(30)とも6年前からのつきあいだ。東部紛争の取材のさなかに「シホ、わたし妊娠したみたい」と告白された時には仰天したけれど、周囲のちゅうちょも不安も飛び越え、アリョーナは輝ける母になっていた。あのとき、おなかにいた長女ディナは5歳。夫パーシャ(35)はIT企業に勤め、アリョーナ自身は通訳や撮影コーディネートの会社を立ち上げ、若い世代の人材を育てつつ働いている。

キエフで6年ぶりに再会したアリョーナ・キンドラトと記者=2020年3月、渡辺志帆撮影」 

名門キエフ大学を卒業した彼女は、米国や日本にも留学経験のある才媛だ。研究者を目指したが、博士課程に進むための教官への「賄賂」を払えなかったために断念したという。6年前、さかんに口にしていた社会変革や政治刷新への期待はしぼんだ。汚職や賄賂は相変わらずウクライナ社会にはびこり、貧富の格差は広がっている。「公正なチャンスと成功が望める外国で豊かな暮らしを手にしてほしい」と、英語教育に熱心な幼稚園にディナを通わせる気持ちも分かる。一方で、マイダン革命をきっかけに、自分をウクライナ人だと強く意識するようにもなったという。「起業したのはお金のためだけじゃなくて、若い人材を育成して同胞の助けになりたいから」という言葉も本当だろう。

長女ディナを抱きしめるアリョーナ・キンドラト(右)と夫パ−シャ=2020年3月、キエフ、渡辺志帆撮影

異国の「同志」に、自分を重ねて

【メモ】欧州の「パンかご」から最貧国に

豊かな黒土地帯が「欧州のパンかご」と呼ばれてきたウクライナは、石炭など地下資源にも恵まれて、ソ連時代は鉄鋼や造船、軍需産業など重要産業の拠点として栄えてきた。それが、1991年の独立後は内政や経済の混乱が続き、「ウクライナ危機」後は、統計上は欧州最貧国の一つになっている。国民の毎月の平均賃金は2019年現在、日本円で約4万円で、隣国ポーランドのおおむね3分の1だ。
低い賃金水準をいかしたIT産業が好調な一方で、高いインフレ率や光熱費の高騰で国民生活は苦しい。「オリガルヒ」と呼ばれる大富豪が政治や基幹産業への影響力を保ち、国内総生産(GDP)の半分近くが規制や課税を逃れた「闇経済」だとの調査もある。

エリーナ、アントニダ、エレナ、そして、アリョーナ。それぞれが、祖国の混沌(こんとん)とした情勢に翻弄(ほんろう)されながらも、自分と家族の幸せを思い描き、たくましく歩んでいた。旅の間、私はずっと考えていた。彼女たちに再び会いたくなったのは、なぜだろう、と。

裕福な家庭の出身でもなく、こつこつと努力して英語や専門知識を身につけ、キャリアを築いた現代ウクライナを象徴する女性たち。その姿を、四国から上京し、新聞社でがむしゃらに働いて子どもの頃からの夢だった特派員を目指したかつての自分に重ねたから、かもしれない。育った国や境遇は違うけれど、同じ今を生きる女性として、前へと進む「同志」の姿を確かめたかったのだと思う。

私にも、この6年で変化があった。2年半前にロンドンで双子の娘を産み、昨春、記者に復帰した。健やかな娘たちの成長を見ていると、紛争や暴力に平穏な暮らしを脅かされるアントニダの恐怖や、子どもには公正な社会で望むように生きてほしいと未来を案ずるアリョーナの気持ちが、以前よりも実感を伴って分かる。

2014年5月、ウクライナ東部ドネツクで取材中に妊娠が分かり、安全のために首都キエフ行きの夜行列車に乗り込んだアリョーナと=2014年5月、渡辺志帆撮影

「幸せ」に手を伸ばす人々の背中を押してくれるはずの国。そのあり方が揺らいでも、再会した女性たちのように、くじけず「幸せ」を探し続け、力を合わせるからこそ、その先には国の平和と安定が生まれる。だからこそ、彼女たちの歩みの先に、よりよいウクライナの姿があってほしいと切に願う。(つづく)

【次の記事】2014年の「マイダン革命」を初めとする「ウクライナ危機」は、ウクライナの女性たちをめぐる状況をどう変えたのでしょうか。キエフの活動家に聞ききました。

【ウクライナの女たち④】セクシズムと家父長制の国で、ジェンダーギャップを埋める