握手を拒むなら出て行け、公の場で顔を覆い隠すな――。イスラム教徒の人たちにそんな言葉をぶつけてきた人たちは今、新型コロナウイルス禍でいわば逆転した状況を、どう受け止めているのだろうか。公開が始まったベルギー・フランス映画『その手に触れるまで』(原題: Le Jeune Ahmed/英題: Young Ahmed)(2019年)は、イスラム過激派の思想に染まった少年が「手を触れる」かどうかをカギにした物語。ゆきすぎた排除は何をもたらすのか。カンヌ国際映画祭常連のダルデンヌ兄弟監督に、Zoomでインタビューした。(藤えりか)

『その手に触れるまで』で描くのはベルギーの13歳の少年アメッド(イディル・ベン・アディ、14)。ゲームが好きな少年だったが、過激なイマーム(導師)に感化され、学校の恩師イネス先生(ミリエム・アケディウ、41)とのあいさつの握手も「異性の手に触れてはならぬ」とかたくなに拒むようになる。ついには、アラビア語の日常会話を歌で教えるイネス先生を「冒涜的な背教者だ」と教え込まれ、排除すべきだと信じ込み、靴下にナイフを忍ばせる。

ブリュッセルからZoomで取材に答えるリュック・ダルデンヌ監督

弟のリュック・ダルデンヌ監督(66)はブリュッセルからZoomの画面越しに「フランスやベルギー、そして他の国々でもテロが連続して起きたのがこの映画を撮る後押しとなった」としたうえで、語った。

「そうして、狂信化していく人たちに一体何があったんだろうかと考えた。これまでにも特にフランスで、なぜ若者が急進化するのか、その急進化するまでを描いた映画がたくさん作られてきたが、私たちとしては、すでに主人公が急進化していて、そこから果たして抜け出せるのかを描きたいと思った」

『その手に触れるまで』より © Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

「少し前には、人生が好きで、友だちと遊ぶのが好きだった少年が、ある日突然、自分と違う考えを持った人を殺そうと思う。ただ汚れがあるから、不浄だからという理由だけで人を殺したいと感化・洗脳されてしまった。アメッドの頭の中には一つのことしかない。とにかく自分たちと違う不浄なもの、汚れたものは排除しなければならない。アメッドの頭の中は『純潔にとらわれた刑務所』のようになっている。そこから抜け出ることができるのか。でもこの映画のように、それはとても難しいことだ」

新型コロナ感染者や、感染源から来た人たちを非科学的に排除する、このところの傾向とも響き合う。

リエージュからZoomで取材に答えるジャンピエール・ダルデンヌ監督

ベルギー東部リエージュから同時にインタビューに答えた兄のジャンピエール・ダルデンヌ監督(69)が言葉を継いだ。「ベルギーのムスリムの人たちの大半は、過激派ではなく、ベルギーの社会に同化している。ムスリムの人たちの中には、世俗性を大切にしている人たちがたくさんいることも見えてきた。ベルギーはモロッコなどマグレブからの移民が多いが、今はもう3世代目になっている。彼らにはいろんな考えの人たちがいるが、テロリストが出てきたことである意味、世俗的な考え方をするムスリムが多いこともわかってきた」

だからこそ、あるいは、にもかかわらず。イスラム教徒と「握手」をめぐっては、欧州を中心にこのところ、政治的な議論の的となってきた。

『その手に触れるまで』より © Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

保守的な一部イスラム教徒は、配偶者以外の異性との握手を避ける。それを丸ごと拒む形で、オランダではルッテ首相が2017年、握手を拒むなら出て行けと主張する意見広告を国内の新聞各紙に掲載した。AFP通信によるとスイスのローザンヌ市当局は2018年、イスラム教徒男女が握手を拒んだのを理由に国籍取得を認めなかった。米紙ニューヨーク・タイムズによると、スウェーデンでは2016年、イスラム教徒の女性が握手を宗教上の理由で拒んだら、進んでいた企業の採用面接がストップした。代わりに胸の前で手を当てるあいさつをしたのにもかかわらず、だという。フランスではアルジェリア女性が市民権授与式で男性との握手を拒んで市民権を認められず、最高行政裁判所も追随した。

それが、ルッテ首相も今年3月にはコロナ対策で握手の自粛を呼びかけたのだから、皮肉だ。それどころか世界中で今、胸の前に手を当てるなど、握手をしない様々なあいさつが編み出されている。

『その手に触れるまで』より © Les Films Du Fleuve – Archipel 35 – France 2 Cinéma – Proximus – RTBF

欧米では確かに、握手は大切なあいさつの手段として定着してきた。私も学生時代に初めて米国に行った当初、会う人ごとに握手の連続となって、やや戸惑ったほどだ。昭和の日本に生まれ育った身には、特に初対面だと一定の距離を置いてあいさつする習慣がしみついていたことと思う。こうした日本的な「握手なし&おじぎ」だって、西洋社会だけで育った人からは「あいさつがなっていない」と映るかもしれない。

今作のアメッドは、家族や周囲にも手がつけられないほど急進化し、自分の考えに合わない一切を排除する側に回る。受け入れるぐらいなら死を選んだ方がマシだと言わんばかりの姿は、どんな立場であれ、排除がすぎると悲劇が待ち受けるという現実を突きつける。

ブリュッセルからZoomで取材に答えるリュック・ダルデンヌ監督

リュック監督は言う。「人生は死より大切だ。新型コロナウイルスが蔓延する今、手を差し出すのは連帯の印でもあると思う。人を助けること、愛すること、そして助け合うことだと思う。それは全ての人類に言えることだと思う。ある意味、外の人は脅威だと思うかもしれないが、同時に助けてくれるものでもある。多くの人が脅威だと思っているだろうけれど、混じり合うことを受け入れなければならない」

ベルギーは人口が1200万人にも満たないが、「透明性」を掲げて「疑い例」も算入し続け、新型コロナの感染者数は6万人以上、死者数は9600人以上。それでもついに6月15日、国境を開き始めた。現地の報道では、映画館も7月から再開する予定だという。

2017年の来日時、インタビューに答えるジャンピエール・ダルデンヌ監督(右)とリュック・ダルデンヌ監督=仙波理撮影

それまで、それぞれの自宅にこもり続けたダルデンヌ兄弟監督は「ちょうど脚本を執筆中で、特に影響はなかった」という。だが、それでもリュック監督は「何かが私たちに欠けていた。それは人と一緒にいること、社会生活だ」と話した。

それを受けて、ジャンピエール監督は語った。「再開後も決して前とまったく同じというわけではないと思う。一部は同じものもあるかもしれないし、前と同じであってほしいと思うものもあるが、何らかの爪痕が残ると思う。カタストロフのようなことになるわけではないと思うが、世界の指導者や政治家たちは、想像上でのことかもしれないが、戦争になるといったことを言う人もいる。いずれにしても、以前と違ったものになると私は思う」