台北でコンサルティング・貿易業 浜島貴仁さんの「私の海外サバイバル」

1993年に大学を卒業し、第一勧業銀行(当時)に入行しました。初任地の松本支店で若手行員の海外派遣制度に手を挙げ、98年に香港支店に赴任。4年ほど勤務しました。欧米、アジア、地場の金融機関があり、競争が激しい香港の金融マーケットで、シンジケートローン(協調融資)を受け持ち、アジア通貨危機後に抱えた不良債権を担当。金融庁も来ました。ドラマのような場面がいくつもありました。

プロフィール

浜島貴仁
1969年生まれ、愛知県出身。93年に第一勧業銀行(当時)入行。香港支店、みずほコーポレート銀行(当時)台北支店などを経て、2011年に台湾で仁美国際股份有限公司(SGM)設立。

■私のON

めどがついたところで東京に戻り、国をまたぐシンジケートローンを担当しました。06年にみずほコーポレート銀行(当時)台北支店に異動しました。みずほと台湾の経済部(経済省)投資業務処が相互協力協定(MOU)を結び、担当課長として日台の投資促進の仕事に取り組み、500人規模のセミナーを2回開くなどしました。大手企業同士のアライアンスやマッチングの事例が出てきて手応えを感じていた11年、帰国の内示を受けました。

学生時代は商社希望。自分で商売をしたいと思っていたので、新しい道にチャレンジしようと銀行を辞め、台北市で仁美国際股份有限公司を設立しました。初めは2人だった社員は30人になりましたが、今でも日本人は私だけ。コンサルティングと貿易が主な事業で、グループ会社が台北市内のMRT忠孝新生駅そばで日本のベーカリーのフランチャイズ店を運営。猫の形で知られる高級食パンの「ねこねこ食パン」が大人気で、台湾全土で展開を始めています。

今夏、台湾の離島、澎湖島に旅行したときの一コマ

コンサルティング業務では、台湾に進出を希望する日本企業のため、マーケティングや、合弁相手や販路を担うパートナー探しなどをしています。貿易では、台湾から日本へお茶やマンゴーなどを輸出しました。麺の輸出も準備しています。汁あり、汁なし、辛いもの、牛肉入りなど台湾には様々な種類の麺がある。台湾の屋台で食べられるような麺を日本でも味わえるようにして輸出したいです。輸入では日本から和牛とか、マグロやカニ、ホタテといった魚介類などを手掛けました。台湾の商社として、幅広く日台のプラットフォームとなることを目指しています。

台北(台湾)

台湾の行政、経済、文化の中心地。九州より少し小さい台湾島北部に位置する。人口約265万人。日本との関係も深く、横浜市、和歌山市、松山市、松江市などと交流関係にある。

台湾は新型コロナウイルスの感染を抑えました。観光業を中心に苦労もしていますが、経済は動いています。ビジネスをやる上ですごくいい環境です。台湾の市場規模は中国と比較にならないものの、台湾の企業なり人なりが持っているネットワークを活用し、台湾企業と組んでアジアに展開していく。台湾のお茶をインドネシアの日系スーパーで売ったことがあります。日台連携でアジアで物を売る。もっとこういう事例が出てくると思います。

■私のOFF

自宅近所の市場で食材の買い物

台湾には日本の統治時代に日本人が造った建物などが大切にされ残っていて、見て回るのは楽しいです。例えば、台北市にある総統府。1919年に台湾総督府として完成しました。その5年前の14年に開業した東京駅を設計した建築家の辰野金吾の弟子らが設計に関わり、似た感じです。台南市には32年に開業した「ハヤシ百貨店」が復元され、「林百貨」として営業しています。

台湾の人たちは、インフラを整備した日本人という印象を持っていると思います。自らの発展と共に、壊すことなく、残すことに知恵を絞っています。(構成・大室一也)