8月25日から始まった #1

アウンサンスーチー氏が国軍に拘束され、事実上のクーデーターが発生したミャンマー。国軍は、国内に住む少数民族ロヒンギャを攻撃し、大量の難民が発生した。ロヒンギャ問題はどこへいくのか。

竹を組んで作った骨組みに、ブルーシートをかけただけの難民用のシェルターが密集している。2019年8月、バングラデシュ南東部コックスバザール郊外のロヒンギャのキャンプ。案内役の難民男性にその一つを示され、腰をかがめて入ると、中は少しじとっと湿度が高い。竹の隙間から入る光以外に明かりはない。強い日差しが照りつける屋外との差は激しく、目が慣れるのに少し時間がかかった。

ところどころゴザがしかれているが、屋内はほとんどはむき出しの薄茶色の地面。広さは6畳くらいだろうか。頭からすっぽりとヘジャブをかぶった隅に女性が、壁に顔を向けて座っていた。奥にはもう一つ部屋がある。大人1人がやっと出入りできるくらいの隙間から子どもや老人がこちらを興味深げに見つめていた。

「そこにどうぞ」。女性がかすれたような声で竹でできた長いすを指し示した。通訳のバングラデシュ人のハサン・ヤシンと一緒に座ろうとしたが、脚の長さがそろっていないのか、ぐらついてメモをとれない。我々も地べたに腰を落ち着けることにした。

ハサンを通じて「話せる範囲でいいから、あなたの経験を教えてほしい」と女性にお願いすると、鼻をすするような音が聞こえた。泣いているのかもしれない。女性が話し始めるまでの2、3分がとても長く感じられた。

自らが難民キャンプ内で売春した経験を話す、イスラム教徒ロヒンギャ難民の女性=2019年8月、バングラデシュ南東部コックスバザール、染田屋竜太撮影

このキャンプを訪れるのは6回目だ。70万人を超えるロヒンギャがミャンマーからバングラデシュに逃げてすでに2年がたとうとしていた。長引く難民生活の中、キャンプで売春やドラッグ売買がはびこっているという。

「世界で最も迫害された民族」とも言われるロヒンギャの人たちについては、世界中にニュースが駆け巡ったが、キャンプ内の犯罪など「影」について報じられることは少ない。何が起きているのか、自分の目で確かめたくて、現地のスタッフと一緒に当事者をさがした。

これまでの取材で、彼らがミャンマーから逃げてきた体験や、ミャンマー国内での差別の話には、いくらでも答えてくれた難民の人たちだったが、売春や薬物売買などの話題では、取材を受けてくれるという人を見つけるまでに何日もかかった。約束の時間に指定の場所に行くと、「やはり話したくない」と追い返されたこともあった。

バングラデシュ南東部コックスバザール郊外にあるロヒンギャ難民キャンプ。竹やシートでつくられたシェルターが密集している=2018年5月、染田屋竜太撮影

通訳や現地コーディネーターのつてを使い、やっと見つけることができた女性。「名前は言いたくない」と話す彼女は、23歳だという。キャンプにやってきたのは、2017年9月。夫と一緒に7歳の長女と生まれたばかりの長男を抱え、川を渡って国境を越えてきた。出身はミャンマー北部ラカイン州マウンドーの村。ミャンマー政府が武装勢力制圧のための掃討作戦を始めると、親戚らが次々とバングラデシュに向かった。「このままでは取り残される」。家族全員、着の身着のままで歩き続け、キャンプにたどり着いたという。

「避難してから、家族の雰囲気が全て変わってしまった」と女性は言う。少しかすれた声で、途切れ途切れに話す。住居を割り当てられたが、近くに住むのは全く知らない人たち。国際機関が配給する食料もどうすれば入手できるかわからず、徐々に夫が怒りっぽくなった。

「こんな生活、やっていられない。出ていく」。キャンプに来て1カ月目。それっきり、夫は戻ってこなかった。

バングラデシュ南東部、コックスバザール郊外のロヒンギャ難民キャンプで取材していると、すぐに難民の人たちが興味深そうに集まってくる=2018年8月、染田屋竜太撮影

何とか配給を受け取る方法がわかったが、米や油など最低限の食べ物では、子どもたちも満足してくれない。キャンプの中には、難民が外で仕入れてきた野菜や肉、魚を売っていたが、手に入れるには金がいる。働き口もない。

「そんなとき、近くに住む年配の女の人が声をかけてきました」。と女性は説明する。

「子どもたちのために食べ物が必要だろう。明日の夜、この場所に来なさい」と、地図が手描きされた紙切れを渡された。

指定された場所は別の難民のシェルター。中には誰もおらず、座って待っていた。すると、前日にあった女性が40代くらいの男性を連れて現れた。

「この男の相手をしなさい」

名前も顔もわからない。行為が終わると男性は何も言わず、300タカ(1タカ=370円)を置いてシェルターを出ていった。

それからは週に2、3回、決まったシェルターで毎回違った男性の相手をした。まだ乳飲み子の長男は自分がいなくなると泣き叫ぶため、一緒に連れていかなければならなかった。

「私が(行為を)している時、子どもが数メートル先で泣き叫んだ。その声を聞くと胸が張り裂けそうで、自分は何をしているのか、と悲しくなった」。女性は話す。

それでも、もらったわずかな金で子どもたちに魚や肉を食べさせられるのが何よりの救いだったという。「体を売っている時は何も考えず、時間が過ぎていくことだけを願った」

自分の住むシェルターの近くでは、「あの女は難民相手に売春をしている」とうわさが広まった。そのたびに住む場所を移動した。

ロヒンギャ難民キャンプで自ら経験した売春の話をしてくれた女性。ぽつりぽつりと小さな声で話した=2019年8月、バングラデシュ南東部コックスバザール、染田屋竜太撮影

少しずつ金がたまったこともあり、1年少しで売春をやめることにした。誘ってきた女性からは、「お前ならまだ客がつくのに。もっと続けなさい」と言われたが、断った。

男性を相手にすることがなくなり、少し気持ちを落ち着けることができたという。しかし結局、国際機関からの配給頼みの生活に戻り、蓄えがなくなれば以前の生活に戻ってしまう。

キャンプ内にあるのは、道路整備やシェルター建設など力仕事ばかり。収入のあてはない。「また、売春の道に行ってしまわないか、不安だ」と女性は話す。

2017年8月25日、ミャンマー北部ラカイン州で、少数派イスラム教徒ロヒンギャの武装組織が警察施設などを襲撃し、これに対する政府の掃討作戦で70万人を超えるロヒンギャの人たちが隣国バングラデシュに逃げた。キャンプは数カ月で巨大化し、難民たちの期間めどは立っていない。

同年4月にヤンゴン支局長としてミャンマーに赴任した記者は、難民キャンプを7回、ロヒンギャの人たちが元々住んでいたラカイン州北部も7回訪れた。現場で見たもの、考えたことをつづる。

次回は「『多数の警察官が殺害されている』 ロヒンギャへの攻撃が始まった」