黒人として生きるとは⑪

1953年、15歳で終身刑を宣告され、68年間の収監生活を送ったジョー・リゴンさん(83歳)が2021年2月に釈放された。リゴンさんの人生を通して見えてくる終身刑に潜むシステミック・レイシズムとは。

綿飴のような白髪。細身の体だが姿勢も良くしっかりした足取り。柔らかな表情で小さく笑みを浮かべる黒人男性の名はジョー・リゴンさん(83歳)。1938年、米国南部のアラバマ州で小作人をする両親の元、4人きょうだいの2番目に生まれた。教育を受けたことがない我が子を学校に行かせるため、両親は子供たちを祖父母に預け、米北東部にあるペンシルベニア州フィラデルフィアで生活基盤を作り直すことを決意する。新天地で父親は自動車修理工、母親は看護婦の仕事を始めた。

両親がアラバマに子供たちを迎えに来たのはリゴンさんが13歳の時。大好きだった母親とまた暮らせることが嬉しくてたまらなかった。「私は母の一番のお気に入りだった。他の兄弟には内緒だけどね」とリゴンさんは微笑む。

リゴンさんの父親、オスカーさんの膝に座る幼少期のリゴンさん(本人提供)

そのわずか2年後、リゴンさんはある事件に関わり、15歳で終身刑を宣告される。収監は実に68年間におよんだ。2021年2月、遂に釈放されたリゴンさんは83歳になっていた。服役年数は、未成年犯罪で終身刑を言い渡された受刑者として最長記録だ。最高齢の記録も作ったことは言うまでもない。私の目の前にいる優しそうなおじいさんが約70年間投獄された理由は、リゴンさんが残虐な連続殺人鬼だったからでも、銃撃事件で多数を死なせたからでもない。

「分離すれども平等」の時代

リゴンさんの人生の苦難が始まったのは1953年、公民権運動が始まる前年。人種差別が公然と行われていた時代だった。南部では「ジム・クロウ」と呼ばれる法律によって、ホテル、レストラン、学校や公衆トイレなどの公共施設は白人用と黒人用に分けられていた。米最高裁判所の「ブラウン判決」で、「分離すれども平等」の法解釈に基づいた人種隔離政策が違憲とされたのはその翌年のこと。当時の大統領はアイゼンハワー大統領だった。

警察の暴力に抗議するためワシントンのリンカーン記念堂に集まった人たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年8月28日

ミシガン大学でアフリカ系アメリカ人の歴史を研究するヘザー・アン・トンプソン教授は解説する。「北部では南部ほど人種差別が酷くなかったというのは大きな誤解だ。1950年〜60年代の北部は、人種隔離、黒人に対する暴力、収入格差、警察による黒人の不当な扱い、不平等な司法制度、住宅格差といった深刻な問題に溢れ、これが60年〜70年代に北部で広がる市民権運動へと繋がった」

特に「若い黒人であることは、『暴力的』『犯罪者』『危険』の同意語だった」。ペンシルバニア州フィラデルフィアのラサール大学で社会学と司法制度を研究するチャールス・ギャラガー教授はいう。

人生を変えた事件

フィラデルフィアに引っ越したリゴンさんは、生まれて初めて学校に通い出す。授業についていくのは大変だった。自分の名前すら書くことができず、知的発達が遅れた児童用のプログラムに入れられた。「学校はあまり好きではなかった」。それでもリゴンさんには支えてくれる家族がいた。そんなリゴンさんはある日、その後の人生を劇的に変えた残虐な事件に関わってしまう。

1953年2月20日。冬の寒さが厳しい北東部にしては暖かい金曜日だった。15歳のリゴンさんは、この日偶然近所で出会ったティーンエイジャー4人と行動を共にすることにした。サウス・フィラデルフィアへ行き、誰かがくれたワインをみんなで飲んだ。もっと飲みたいがお金がない。仲間の一人は飛び出しナイフを2丁持っていた。酔っ払った少年たちは窃盗目的で被害者8人をナイフで襲い、乱闘の末に2人が命を落とした。

警察の暴力に対する抗議デモが行われる中、ホワイトハウス前で警備態勢につく警官隊=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月1日

リゴンさんはこの時、だれかの人命を奪ったわけではない。だが残虐な事件に関わったことで当然のごとく逮捕された。連行された警察署で母親に会わせてくれと何度も頼んだが、両親に会わせてもらえないどころかトイレにもなかなか連れて行ってもらえなかった。他の容疑者の名前や住所を求められたが、その日会ったばかりの少年たちのことは何も知らなかった。書面を見せられ署名しろと言われても、何が書いてあるかわからない。「読み書きができません」と言っても、「嘘だ」と信じてもらえなかった。家族にはリゴンさんが殺害されたという誤った情報が伝わり、泣き叫ぶ母親は失神寸前の状態だった。

インタビューに応じるジョー・リゴンさん=ペンシルベニア州フィラデルフィア、ランハム裕子撮影、2021年3月19日

リゴンさんが逮捕されたことをその後に知った両親は必死にリゴンさんの居場所を探した。でも、やっと駆けつけた警察署で我が子に会うことはなかった。「15歳の子供が事情聴取されているというのに、親も誰も同伴させないなんて法律違反だ。あの時の怒りは今でも忘れられない」。穏やかなリゴンさんの表情が一変し、今まで膝の上にあった手が動き出した。眉の間と鼻にしわを寄せながら険しい表情で語る。「家に帰りたくて仕方なかった」というリゴンさん。

リゴンさんを含むティーンエイジャーの5人全員に殺人罪で有罪判決が下され、終身刑が宣告された。当時の新聞には「ギャング」や「首狩り集団」という見出しが並んだ。リゴンさんはギャング集団と関与したことなど一度もなかったという。裁判にかかった時間はわずか1日。当時の裁判記録には、リゴンさんを含む黒人少年たちが「colored(カラード )」(「有色人種」という意味。差別用語だが当時は公的に使われていた)と呼ばれた記述が残っている。

終身刑宣告を受けてまもなく、母親はリゴンさんの部屋を片付けた。「息子がもう家に帰ってくることはない」という現実を受け入れざるをえなかった。

殺人をせずに殺人罪?

リゴンさんは人を殺していないのに、なぜ殺人罪で有罪となったのか。それは現在も米国の多くの州で取り入れられている「Felony-murder rule(重罪謀殺化原則)」というルールが関係している。「重罪謀殺化原則」とは、放火や強盗などの「重罪」を犯す過程で起きた殺人については、自分に予め殺意がなかったとしても、そして殺人を自分が直接犯していなくても、「加担者」として第一級謀殺の刑事責任を負う場合があるという法則だ。リゴンさんは強盗殺傷事件という重罪の過程で2名が亡くなったことで、2つの第一級殺人罪で有罪判決を受けた。

黒人に対する暴力に抗議し、キング牧師記念碑の前で静かに拳を掲げる男性=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年6月19日

リゴンさんの弁護士、ブラッドリー・ブリッジさん(67歳)は、「少年はグループで行動することによって犯罪に巻き込まれるケースが多いため、未成年犯罪で終身刑を受ける人の35%から40%が、直接、人を殺していないにも関わらず、重罪謀殺化原則により有罪となっている」と話す。

「投獄による死」

米国は「世界で唯一未成年に終身刑を科す国」といわれる。終身刑は英語で「Life sentence(ライフ・センテンス)」ということから、終身刑の受刑者は「Lifer(ライファー)」と呼ばれる。現在米国で服役する「ライファー」の数は約20万4千人。これは米国全体の収監人口の7人に1人が終身刑を受けていることを意味する。米国の刑事司法における人種格差や少年法の厳罰化問題などを研究する首都ワシントンの非営利団体「センテンシング・プロジェクト」の上級研究員、ジョシュア・ロブナーさんによれば、この中には現在約1500人の未成年犯罪による終身刑受刑者(仮釈放なし)が含まれている。

ジョージ・フロイドさんの死を受け、リンカーン記念堂で警察の黒人に対する暴力に抗議する若者たち=ワシントン、ランハム裕子撮影、2020年8月28日

米国における「未成年」は一般的に18歳未満を指すが、各州によって異なる。未成年は基本的に少年司法制度の中で裁かれるが、犯罪の内容によっては成人用の司法制度が適用される場合がある。そこで待ち受ける最大の刑罰は死刑だった。「残酷で異常な刑罰の禁止」を定めた憲法修正第8条に反するとして、米最高裁判所が未成年に対する死刑を違憲としたのは2005年(「ローパー判決」)。以来、未成年に科せられる最大の刑は終身刑となった。

死刑は廃止されたものの、「未成年に対する終身刑は『投獄による死』と呼ばれる」とロブナーさんはいう。「長年に渡る収監生活の中で成長する若者は、犯罪当時とは別人になっているにも関わらず、審理においては、その成長に伴う変化が考慮されないまま、犯罪内容ばかりが問われる」。一つだけ変わらないもの、それはもともと犯した犯罪であり、そればかりが判断材料とされ社会復帰への道を絶たれてしまうため、「未成年にとっての終身刑は死刑同様だ」と語る。

インタビューに応じるジョー・リゴンさん=ペンシルベニア州フィラデルフィア、ランハム裕子撮影、2021年3月19日

仮釈放の有無

「終身刑」といっても全てが同じという訳ではない。米国の終身刑は大きく3つに分けられる。1つ目は、「仮釈放の可能性がある終身刑」(Life with the possibility of parole)。 これは反省度合、更生の可能性が仮釈放委員会に認められれば仮釈放の余地がある終身刑を指す。2つ目は、(裁判官の裁量によって科される)「仮釈放の可能性がない終身刑」(Life without the possibility of parole)。社会復帰の可能性を閉ざされ、生涯獄中生活を送る。そして3つ目が、「強制的に科される〝仮釈放の可能性がない終身刑〟」Mandatory life without the possibility of parole)。特定の犯罪において、裁判官の裁量の余地なしに「自動的に」科せされる仮釈放なしの終身刑だ。基準は州によって異なる。例えばリゴンさんが終身刑を受けたペンシルベニア州では、第一級と第二級殺人罪の場合、有罪が確定すれば自動的に仮釈放の可能性なしの終身刑を宣告される。仮釈放の可能性がない終身刑は「絶対的終身刑」とも呼ばれ、まさに「投獄による死」を指す。

突然家族から引き離され、15歳で始まったリゴンさんの刑務所での生活はどんなものだったのか。リゴンさんはどのような思いで毎日暮らしたのだろうか。

(次回に続く)

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