幼い日のなにげない家族とのやり取りで抱いた違和感が、今も記憶に残っている。3、4歳の頃だろうか。年の近いいとことの集まりで、親戚がプレゼントをくれた。男の子たちにはゲームやウルトラマン、おめかしをしてスカートをはかされた自分には、かわいらしい人形を。「なんで自分だけ、こんなくだらないものなんだろう」。感情を言葉にできず、ただ泣くことしかできなかった。

「女の子なんだから、もっとおとなしくして」。親や先生にそう注意されていた下山田志帆がサッカーと出合ったのは小3の時。ボールを蹴るのも楽しかったが、同じくらい、男子と一緒に「男らしい」言動をしても許されるのが心地よかった。「自分がしたい言動ができる場所を、サッカーを通して選び取った感覚でした」

「自分らしさ」を存分に表現できるサッカーにのめり込んだ。中学では学校のサッカー部と地域のクラブチームを掛け持ちし、全国大会常連の十文字高校(東京都)に進学。高2の時にレギュラーで全国3位の成績を残す。

初めて彼女ができたのも高校生の時だ。慶応大に進学後、親しいチームメートに、自分が同性を好きになる性的少数者であることをカミングアウトした。女子サッカーの世界では、下山田のような存在は広く「メンズ」と呼ばれ、自然に受け入れられてきたという。でも、女子サッカーの仲間以外に打ち明けることは、考えられなかった。

ピッチを駆ける下山田選手©SFIDA SETAGAYA FC

大学のコーチの提案に乗り2017年、ドイツ北西部ニーダーザクセン州にあるブンデスリーガ女子・SVメッペンに入団を決めた。大企業に就職する先輩もいたが、会社勤めをする自分の姿が想像できない。ユニバーシアード日本代表に選ばれなかった悔しさを抱え、「下山田はこの程度の選手だっていう殻を打ち破りたかった」。

ドイツでの日々は充実していた。選手としては、DFからFWへのポジション替えが奏功し、最初のシーズンに2桁の得点をマークした。大きな心境の変化をもたらしたのは、チームメートたちとの日常的なやりとりだった。

■「なんだ、隠さなくてもハッピーじゃないか」

「シホは男性と女性、どっちが好きなの?」。ある時、チームの仲間に聞かれ「女性だよ」と答えた。聞き方にも驚いたが、それ以上つっこまれることもなく、それがうれしかった。ドイツでは同性のパートナーがいることを公にしている選手が珍しくない。チームメートと女性のパートナーが肩を並べ、監督と楽しげにしゃべっているのは日常的な光景だった。とやかく言う人はいない。指導者もサポーターも、ごく当たり前のことだと思っているようだった。

「それまで、ずっと自分のことは隠さないといけないと思って生きていた。しょうがない、そうやって生きていくしかないって。でもドイツでの2年間で、なんだ、別に隠さなくてもみんなハッピーじゃないか。どうして自分はこんなにおびえていたんだろうと疑問に思うようになった」。ドイツの片田舎で気づいた日本の「当たり前」への違和感が、しだいに大きくなっていった。

ドイツで住んでいた家の大家さん夫妻が、下山田さんが日本へ帰国する際に贈ってくれたアルバムの中の一枚=下山田さん提供

ドイツの大家さん………日常生活では言葉の違いなどで苦労することも多かったというドイツの生活。世話になった大家さんは「いつでもメッペンに戻ってこい」と今でもメッセージをくれる。コロナが落ち着いたら会いに行くつもりだ。メッペンのチームメートとはインスタグラムなどで連絡を取り合っている。「LGBTを公表して日本でがんばっていることを誇りに思っている」と今年、ドイツのテレビ番組でチームからメッセージが贈られたという。

ドイツでの2シーズン目が終わろうとしていた19年、性的少数者であることを動画やウェブ記事などで公表した。日本の現役アスリートが広く一般に向けてカミングアウトすることは、初めてだったと下山田は言う。

東京五輪の開催が1年後に迫り、ダイバーシティーという言葉も日本で使われるようになっていた時期だ。「それなのに性的少数者の当事者の声がそこにないことの怖さも感じていた。自分に発信できることがある、という思いで日本に帰ってきた」

その年の秋には仲間と会社を立ち上げ、「かっこよさ」を追求したボクサーパンツ型吸水ショーツの開発に乗り出した。生理用品は「女性らしい」デザインが多く、ずっと違和感を覚えていた。「自分の心と身体にあった選択肢を用意したい」。そんな思いを込めて21年に販売を始めた商品は、デザインや着け心地が良いとアスリート仲間からも好評だ。

ピッチを駆ける試合中の下山田選手©SFIDA SETAGAYA FC

カミングアウトまでの経緯を下山田から聞き取り、ウェブサービス「note」で公開した大学時代の部活の先輩でフリーライターの中﨑史菜(29)は、「女子サッカーの世界を越えて広く社会に公表したのは、本人にとってすごく大きなことだった」と話す。性的少数者について否定的な意見をSNSなどで目にすることもあるといい、「下山田も人並みに落ち込むし、ダメージも受ける。それでも自分の体験や思いを社会に訴えようとしている」。

下山田の背中を押すのは、中学時代のある記憶だ。

「おい、女がいるぞ」

中3の時、サッカー部の公式戦で男子と試合に出た下山田は、相手校の男子から握手を拒否され、試合中もからかわれ続けた。試合後、悔しくて泣いていた下山田の姿を、当時教頭だった塚越敏典(63)は今でもよく覚えている。相手校の校長にすぐに電話を入れ、「こんな教育をする学校とは、今後試合はしない」と激しく抗議した。のちに謝罪を受けたという。

■「自分ごと」にしてもらえるように

下山田さんの自宅の机の上に積まれていた本=下山田さん提供

「積ん読」はパートナーと………「我が家の机の上はその時に読みたい本が置かれていて、パートナーと貸し借りしながら読んでいます」。ジェンダーについての本やビジネス書が増えてきているという。中学時代を知る塚越は、「成績はいつも学年トップクラスで、勉強もサッカーも手を抜いていなかった」と振り返る。

自分の代わりに声を上げてくれた人がいたことを、下山田は感謝とともに振り返る。「ちゃんと怒っていいことなんだって教頭先生が示してくれた。自分がいけないんじゃない、そう気がつけたことは本当にありがたかった」

いま、性的少数者のアスリートとして各地の学校やイベントに招かれ、体験を話す。「自分の周りには性的少数者はいないと思い込んでいる人は多い。自分が話すことで、どれだけ『自分ごと』にしてもらえるか毎回毎回チャレンジだと思っている」。今年6月には、なでしこリーグの試合が性的少数者への理解を促す「プライドマッチ」として開かれ、下山田はマイクを手に、差別や偏見をなくそうと訴えた。

東京五輪では、性的少数者だと公表しているアスリートが過去最多の183人に上った。「多様性って何だろうと考えるポジティブな五輪になると期待していた。でもむしろ、国が押し出した多様性という言葉に、国内の情勢が伴わない現実があった」

五輪前に成立の機運が高まっていた性的少数者への「理解増進」法案は、自民党が国会提出見送りを決めた。仲間とともに記者会見などで早期成立を呼びかけてきた下山田は、政治に対する率直な憤りなどもSNSで発信するようになった。

「リスクを恐れて言うのをやめようとか、自分が言ったところで何も変わらないと閉じ込めてしまうのは無責任だ」。カミングアウトをして2年、言葉を発する覚悟が変わった。「他人との違いをかっこいいと思えたとき、人生はもっと面白くなる。だからこそ一人ひとりが持つ違いに『かっこいいじゃん』って伝え続ける立場でいたい」(文・目黒隆行、プロフィール写真・関田航、文中敬称略)

■Profile

1994 茨城県結城市に生まれる

2003 サッカーを始める

2010 サッカーの強豪、十文字高校に進学

2013 慶応義塾大学に進学。体育会ソッカー部女子に所属

2015 ユニバーシアード日本代表候補に選ばれる

2017 ドイツ・ブンデスリーガ女子のSVメッペンに入団

2019 性的少数者であることを公表。日本に帰国し、なでしこリーグのスフィーダ世田谷FCに移籍。株式会社レボルトを設立し、共同代表に就く

2021 レボルトで開発していた女性向けボクサーパンツ「オプト」を発売

■Self-rating sheet 自己評価シート

アスリートや経営者として、これまで数多くの決断をしてきた下山田志帆さん。自身の持つ力を分析してもらうと、意外な一面も見えてきた。

行動力は5。「やると決めたらスパッとやる」。ただ、決断に至るまでには周囲にアドバイスを求めることが多いという。「自分ひとりで決断していない気もするので1減らして」決断力は4にした。SNSなどでは、性的少数者が抱える悩みの相談が直接届くこともある。「自分のことを否定されない場所を探しているんだと思う。そんな時、私はめっちゃ聞き役ですよ。何かを伝えようとするのではなく、ただ聞き役になる」。観察力も鋭い。「この人元気なさそうとか、察知する能力はたけています」