ここは、アメリカの東部、ペンシルベニア州ヨークだ。その市街地の一角に、私の「もう一つの住まい」はある。アメリカの首都ワシントンで特派員をしている私は、新型コロナ禍での在宅勤務の拠点に、この小さな都市を選んだ。築121年の古い木造家屋の3階に私の部屋はある。家賃は、ひと月425ドル(約4万8000円)。この家では4人が共同生活を送っている。アメリカに住むのは今回が3度目だが、この地域で暮らしてみて、自分がいかにこの国の一断面しか見ていなかったかを思い知った。(全2回の前編。大島隆、写真も。文中敬称略)

私が住まいを借りた近所には、同じような古い家が密集し、一軒の家を複数の個人や家族でシェアして住んでいる。通りには庭や街路樹といった緑はほとんどなく、黒人やヒスパニックの子供たちが路上で元気に遊ぶ。

通りがかる車や停車中の車からは、ヒップホップや、レゲトンというラテン系の音楽が大音量で響く。ただ、夜中になっても音楽を響かせている車が停まっていると、近所の住民が出てきて、「ヘイ、ブラザー」と声をかけ、通りには静寂が戻る。

「ようこそヨークへ」

ここは、アメリカで「インナーシティー」と呼ばれる地域の一角だ。都市の中に広がる、低所得者層が住んでいる地域のことで、黒人やヒスパニックのマイノリティーが多い。デトロイトやボルティモアなど、アメリカには、こうしたインナーシティーが中心部に広がる都市が多い。ヨーク市街地にもインナーシティーが広がり、私の住まいは、その南の端っこだ。

コロナ禍のまっただ中にあった2020年夏、朝日新聞アメリカ総局員(ワシントン特派員)の私は、在宅勤務の拠点としてヨークに部屋を借りた。それから1年間、車で1時間半ほどの距離のヨークとワシントンを往来する生活を続けた。

当初の狙いは、保守とリベラル、都市と地方、人種、経済格差などの分断を、現場に身をおいて両方の側から取材しようというものだった。

ところが住むにつれ、私の行動範囲や取材は、自分自身が住むヨークのインナーシティーに集中していった。「内側の世界」の現実と、その「外側の世界」との断絶に衝撃を受けたからだ。アメリカに住むのは今回の赴任で3度目だが、自分がいかにこの国の一断面しか見ていなかったかを思い知らされる日々だった。

■二つの「別の国」行き来する感覚

筆者が住んでいた、ヨークの家。木造3階建てで、隣同士の家は壁一枚でつながっている

■ヨークの歴史

米国の建国の歴史にも名前が登場するヨークが最も栄えたのは20世紀前半。豊かな農村地帯だったヨークは製造業の拠点としても発展したが、20世紀の後半から製造業の衰退とともに人口が減っていく。
人口減少に拍車をかけたのは、当時多くの都市で起きた、白人が郊外に移り住む「ホワイト・フライト(白人の脱出)」と呼ばれる現象だ。交通網の発達や、よりよい住宅環境を求めるという理由だけでなく、黒人が増えた都市から白人が出て行ったのだ。それがヨークでも起きた。
白人が出て行った空き家には、入れ替わるようにヒスパニック住民が移り住んできた。こうして市街地に低所得のマイノリティーが多く住む現在のヨーク市の姿となった。
ここには人種をめぐる「負の歴史」が残っている。白人の警官や住民と、黒人住民が衝突した1969年の出来事は「ヨーク人種暴動」と呼ばれ、いまでも語り継がれている。

人口4万4000人ほどのヨーク市は、黒人やヒスパニックなどのマイノリティーが人口の6割強を占める。市内の大部分が、古い住宅が密集する市街地だ。地元では、このヨーク市と周縁部の郊外を合わせてヨークと呼ぶ。

私の近所の家計所得(中央値)は年間2万ドルから3万ドル程度だ。近所では、雑貨店前でふらふら歩く薬物中毒らしき人を時折みかける程度で、日中に危険な目にあったことはない。それでも、最初はあまりの環境の変化に戸惑った。

順応するため、ひねり出した解決策は「脳内変換」だ。路上の車から響く大音量の音楽は「知らないジャンルの音楽を楽しむ機会」と受けとめた。壁の向こうの隙間を小動物が駆けぬける音は、ネズミではなくリス。外から時折聞こえる「パン、パン」という音は「銃声か花火か」と聞き分けるのはやめて、すべて花火だと思うようにした。

一方で、ワシントンに戻るときもあるので、ワシントン郊外のアパートメントの部屋は借りたままにしておいた。

二つの地域は、文字通りの別世界だ。大邸宅が並ぶような高級住宅街ではないが、アパートメントの周辺は緑が多く、清潔で、穏やかだ。近所のスシ・レストランでは、さまざまな人種や民族の人たちがテーブルに座っている。豊かで多様な、いまどきのアメリカ郊外だ。

最初はヨークとワシントンを頻繁に行き来していた。すると、同じ国なのに二つの別の国を行き来しているような、奇妙な感覚が残ることに気づいた。

「きょうは、どっちの世界にいるんだっけ?」。朝、目が覚める瞬間に、ぼんやりした頭で思い出そうとする。最初に目に入ってくる天井の壁紙がはがれていれば、「内側の世界」にいる証しだ。

主人公が自分のアバター(分身)を通じて人間と異星人の世界を行き来する映画「アバター」を思い出した。

生活の中心をヨークに置き、週末にはワシントンに戻るというリズムをつくったが、どこか現実と乖離(かいり)しているような違和感は残り続けた。やがて、こんな思いが募ってきた。「一つの国に、これほど違う世界があっていいのだろうか?」

■自分の町なのに「よそ者」感

筆者の大島隆記者

目の当たりにした現実の一つが、分離や隔離を意味する「セグリゲーション」だ。

低所得者層が住む古い市街地が大部分を占めるヨーク市だが、ダウンタウンと呼ばれる中心部の数区画だけは再開発されている。レストランやアートギャラリーなどが並び、テラス席で食事をしている客のほとんどは白人だ。

ヨーク市中心地のレストラン。白人の客が、圧倒的に多い

現状に対する市民の思いが垣間見えたときがあった。9月にあった市長選挙の公開討論会。そこで、ヒスパニックの青年ザカリー・クレイボーンが、こう訴えた。

「一定の社会的、経済的な地位にある人を除けば、ふつうの市民はダウンタウンには行きません。同じ地域に『二つの町』があるみたいです。自分たちの町なのに、よそ者扱いされているように感じるのです」

候補者の一人は同意し、言った。「秘密でも何でもない。ここには二つのヨークがある。ダウンタウンと、インナーシティーだ」

「アフリカンアメリカン・ファーストフライデー」に参加した親子

「分離」を象徴しているように見えたのが、毎月第1金曜日に開かれるファーストフライデーという催しだ。ダウンタウンの路上で開かれる催しは、出店者も訪れる人も白人が多い。一方でそこから歩いて5分ほどの距離にある公園では、同じ日にもう一つのファーストフライデーが開かれる。こちらは黒人の住民が大半だ。

市の中心部で開かれる、もう一つのファーストフライデー。こちらは白人が多い

「二つのヨーク」は市内にだけあるのではない。市街地と郊外にも、深い断絶がある。

私の住まいは市街地の端にあるが、道路をへだてた隣の区画からは景観ががらりと変わり、庭付きの一軒家と街路樹が並ぶ。ここはちょうど、インナーシティーと郊外の境目なのだ。

隣の区画なのに、郊外側に住んでいる人たちと日常生活で接する機会はほとんどない。その理由は明らかだ。郊外は白人が多く、所得水準も高い。「内側」と「外側」の人たちは、食事をとる店から通う学校や教会まで、すべて別の生活圏で暮らしていて、交わることがないのだ。(つづく)

自宅から、わずか2ブロック南方の住宅街。歩いて1分足らずの距離だが、緑が豊かで景色が一変する 

【後編を読む】アメリカ人が「樽の底」と表現する貧困と格差 この国の「内側」で何が起きているのか

■セグリゲーションと機会格差

白人と黒人で居住地域や学校などの公共施設を分ける米国のセグリゲーション(分離)は、制度としては20世紀後半までに廃止された。しかし、黒人居住地域と線引きされた地域の開発の遅れや、住民への融資における差別などはその後も続いた。
近年問題になっているのが、所得によって住む場所が分かれる経済的なセグリゲーションだ。米政治学者ロバート・パットナムは著書「われらの子ども」において、社会経済的な「はしご」をのぼる機会格差が広がる傾向を、家族、学校、コミュニティーなどから解き明かした。パットナムは「自身の社会的経済的環境の外側の人々と日常生活でふれ合う者はますます少なくなっている」として、階級によって居住地域や受ける教育が分かれる傾向が進んでいると指摘している。
パットナムはセグリゲーションについて「人種に基づく分離はゆっくりと減少してきた一方で、階級に基づく分離は増加しつつある」とも指摘。この傾向はヨークにおいてもみられる。豊かになった黒人などマイノリティーが郊外に住むようになり、郊外における人種の多様化が進む一方で、ヨーク市内と郊外の貧富の格差がさらに進むという課題も浮かびあがっている。