GOAL 50 presented by DAZN

どこへ行っても見る者に強烈な印象を残す。サディオ・マネは、人の心に残るプレーヤーだ。

リヴァプールの一員としてデビューしたアーセナル戦では右サイドを疾走し、得意とするカットインでナチョ・モンレアルとカラム・チャンバースの2人のアーセナルディフェンダーの間を切り裂き、ゴールの隅にシュートを沈めた。だがこれに先立つこと2年前、当時移籍したサウサンプトンでのデビュー戦となった、リーグカップのアーセナル戦でもPKを獲得し、チームを勝利に導いている。

さらにさかのぼること2年。2012年にメスからレッドブル・ザルツブルクへ移籍した際には、マネの代理人は、当時20歳のマネを紹介する際に彼の才能を「言葉では言い表せない」と評している。ディフェンスを次々と置き去りにする鋭く、連続的なプレー。出身地であるセネガルの地方都市、セディウの街のストリートでマネはよく知られた存在だった。ストリートで技を磨いたマネは、そこで埃にまみれてサッカーに没頭し、成長していった。

■"場違い"なトライアルで切り開いた道

15歳のとき、マネは北に約800キロ離れたダカールへ行き、そこでも彼は見た者を感嘆させた。自身の進む道を自ら切り開いていったマネは、世界ベスト50名のサッカー選手を表彰する2016年の『Goal50 Presented by DAZN』の39位にランクインしたことについて、独占インタビューに応えてくれた。

「おじさんと一緒に故郷を出て、セネガルの首都であるダカールに向かった。ダカールでは多くのトライアルが開催されているんだ」

「僕はそうしたトライアルを受けに行ったんだ。たくさんの少年がテストされ、チームに振り分けられていった。1つだけ絶対に忘れない出来事があるよ。今となっては笑えるエピソードだけど、僕がトライアルを受けに行ったとき、年上のある男の人に『場違いなところに来たな』というような感じで見られたんだ。」

「その人は、僕に、『テストを受けにきたのか?』と聞いた。僕はそうだと答えた。僕の靴を見て、『その靴はなんだ?』と聞いた。『そんな靴でプレーするのか?』って。僕の靴はボロボロだった。古くて、すり切れていた。それから『それにその短パンは何だ?』とも聞かれた。『ちゃんとしたサッカー用のショーツをもっていないのか』って」

「僕は、『一番いいウェアを着てきたんだ』と言った。僕はただ、サッカーをしたかった。自分のプレーを見せたかった。僕がピッチに立つと、その人は明らかに驚いていたよ。」

「その人は僕のところに来て、『きみをすぐに連れていく。私のチームでプレーさせる』と言った。いくつかトライアルを受けたあと、僕はアカデミーに行ったんだ」

■少年マネを受け入れてくれた「見知らぬ家族」

マネは家族をはじめとする多くの人の別れを惜しむ声を振り切り、ディアフラ・サコやパピス・シセを輩出したアカデミー、ジェネレーション・フットと契約するために1人で家を出た。

「街にいた時は、常にサッカーをしていた。街角とか試合が始まっているところではどこでもね」と、マネは言う。「2歳か3歳のころからずっとボールとともに生活しているよ。道路でサッカーしている子供たちをつけては、そこに混ざりにいっていた。」

「そこが僕の原点だよ。ストリートでのプレーがね。大きくなるにつれて、サッカーの試合を見るようになった。特にセネガル代表の試合を見たね。母国のヒーローを見て、僕もそうなりたいと思っていた」

「2002年のワールドカップではセネガルは大騒ぎだったよ(セネガルはワールドカップ初出場で準々決勝に進出した。開幕戦で前回大会優勝のフランスを破る波乱を巻き起こした)。でもその前からすでに、僕にとってサッカーがすべてになっていた」

「僕の村でもサッカーの大会があって、僕はいつもその試合を見ていた。そこでは僕が1番うまいってみんなが言ってくれたけど、僕の家族はサッカーとは何の関係もなかった。信心深い一家だったから、僕には別の道に進んでほしいと思っていたみたいだよ」

「頭の中にも心の中にもサッカーのことしかないことをようやく家族が理解し始めてくれたころ、僕はダカールへ行かせてほしいと頼むようになった。最初のうちは反対された。でも、僕が本気でそれを望んでいて、他のことはありえないとわかって、僕を助けてくれるようになった」

マネの才能は誰の目にも明らかで、人の心を揺さぶるものほどのものだった。マネをよく知らない見ず知らずの人たちまでが、一目彼のプレーを見ただけで、口をそろえてマネには自分の夢を実現できるだけの才能が備わっていると確信した。

「一番助けてくれたのはおじさんだった。でもそれだけじゃなかった」と、マネは言う。

「ダカールに来たとき、僕はそれまで全く知らなかった家族と暮らしたんだ!僕の家族とその家族の間に共通の知り合いがいて、その人がその家を僕に紹介してくれた。彼らは僕を受け入れてくれて、僕の面倒を見てくれた。僕がメスに向かうためにそこを出るまで、サッカーに集中できるように、すべての面で助けてくれたんだ」

その家族は今、マネがプレミアリーグのディフェンス陣をかき回すのを、誇らしげにテレビで見ている。そして、セネガルでは「小さなダイヤモンド」と呼ばれるマネが、国際試合に出場するために故郷へ戻るときには、彼のプレーを間近で見て感心している。マネはピッチに立つたびに、彼らに感謝の気持ちを表すチャンスを得る。そして彼はそのチャンスを決して無駄にはしない。

■恩師クロップとの運命の出会い

来年開催されるアフリカネイションズカップの予選では、マネは3得点を挙げ、チームとしても1試合も落とさずにグループKをトップ通過した。ガボンで開催される本大会でも、マネはセネガルの切り札としての活躍が期待される。サウサンプトンから3000万ユーロ(約35億円)で移籍してきて以来、リヴァプールで11試合に出場したマネは、自身で上げた6得点も含め、10得点に絡む活躍をしている。サウサンプトンでの2シーズンは、いずれも2ケタ得点を記録している。彼の電光石火のスピード、巧みな足技、明確なビジョン、疲れ知らずのタフさに、獲得にこぎつけたリヴァプールだけでなく、マンチェスター・ユナイテッドも2度にわたり興味を示している。

今季ユルゲン・クロップ監督率いるリヴァプールで活躍するマネ。しかし両者が同じチームで戦うその姿は、2012年のロンドン・オリンピックでマネのプレーユルゲン・クロップが心酔した瞬間から、運命的に定まっていたものであったかもしれない。

2014年にイングランドの南海岸に位置するサウザンプトンへ向かうためにザルツブルクを離れる直前、マネにはスパルタク・モスクワから巨額のオファーがあった。信じられないほど高い金額が提示されたが、サッカーに対する飽くなき向上心とともにセネガルを飛び出してきたスピードスターは、振り向かなかった。彼にとっては、クロップ率いられて魅力的なサッカーを見せていたボルシア・ドルトムントに加入することが、大金以上に魅力的だったのだ。

「僕はとても興奮していた。信じられなかった。クロップ監督が僕に会いたがっているなんて。あんなに素晴らしい人のチームに僕が役に立てるだなんて。ドルトムントの試合はいつも見ていたんだ」と、マネは当時を振り返る。結局、ザルツブルクが難しい条件を提示したことで交渉は難航し、ドルトムントとの契約は結ばれなかった。だが、クロップとの関係の基礎は築かれ、クロップはマネの成長のチェックを続けた。

夏の移籍市場で49歳のクロップは、チームが必要とする爆発的なスピードでゴールを量産する選手はどこにいるのか、しっかりと把握していた。

「あの時(ドルトムントへの移籍交渉が決まらなかったとき)は物事がスムーズに進まなくてイライラしたけど、でもそれが人生さ。簡単に行くことなんて何もない」と、マネは言う。

「とにかく一生懸命努力しつづけるだけだと自分に言い聞かせた。自分を鼓舞していれば、きっと何か大きなことが起こるって。僕はそれをやり遂げた。サウサンプトンへ行って、そこでいいプレーをして、もう一度クロップ監督に声をかけてもらったんだ」

「サッカー界で最も優れた監督の1人と一緒にサッカーができるなんて、本当に幸運だよ。運命だったんだ。今、毎日監督の指導を受けることができて、とても幸せだよ」
 

■困難を乗り越え、夢に近づく

リヴァプールの選手として初めての出場したエミレーツ・スタジアムでの試合でゴールをあげたマネは、両腕を開いてクロップを指さすと、監督に向かって走り、背中に飛び乗った。そのゴールパフォーマンスはマネが長年待ち望んでいたものだった。その瞬間のために彼は今まで多くの犠牲を払ってきたが、それが現実になった瞬間、これまで何度も乗り越えてきた困難な時期は報われた。

「僕は若く、自分の慣れ親しんだ場所を離れるのはすごく難しいことだった」と、マネは自分のこれまでの歩みを振り返り、親しかった人たちとの別れを語った。家族が恋しくてたまらなかった。お母さんや姉妹たちと過ごした日々が恋しかった。でも、サッカー選手になることが僕の夢だったし、つらい日々があったからこそ、ここまで来られたと思っている」

「僕が今まで切磋琢磨してきた多くの若い選手たちは、中にはとてもうまい選手もいたけど、僕のようにプロになる機会を得られなかった。成功するには困難を乗り越えるのが大事なのだと知った。いま、僕はここにいる。何の後悔もないし、夢を実現できた」

今マネは、リヴァプールの中心部に位置する家に住み、練習場のあるメルウッドまでナビを使わずに行けるほど、新しい環境に慣れている。そんなマネは新しいチームや自分への期待、そして今後の目標を滑らかな口調で話してくれた。アンフィールドでの彼のスタートはチームにとって効果的だった。フィリペ・コウチーニョ、ロベルト・フィルミーノとともにスリートップを形成するマネは、このブラジル人の同僚デュオとともに展開するその魅惑的な攻撃で、常に相手の脅威になり続けている。

「サッカー選手にとって大事ことは、考えすぎないことだよ。特に、リヴァプールのようなビッグクラブに移籍してきたときは、余計なことを考えると、心が乱れてしまうんだ」と、マネは説明する。「僕の頭の中にあるのは、僕は自分を必要としてくれたチームに来たということ、自分をよく知ってくれている監督の下に来たということ、そして一生懸命プレーしてチームと監督を助けるために来たということだ」

■人の話を聞き、学び、成長する

「僕はこういったことに集中している。将来何が起こってどうなるかは、良いことも悪いこともすべて考えていないよ。心をオープンにして、何が起こってもいいように準備する。優れた選手たちが集まり、みんながチームのために助け合いながらプレーする、そんなチームの一員になれて幸せだ。本当に素晴らしいチームメイトを持ち、みんなが同じ目標に共有していれば、自分ものびのびプレーできるんだ」

マネは、まだサッカーを学んでいる段階にあった15歳のとき、ストリートで砂埃にまみれながらボールを追いかけていたころからどれだけ自分が成長したか振り返った時のことを今でも覚えている。

「子どものころは、サッカーのことをすべてわかっていたような気になってしまうことがある」と、マネは言う。「自分の考える正しいやり方でプレーしようとしてしまうんだ。だけど、アカデミーにいたころから今現在まで、僕は本当にたくさんのスタイルや戦術に触れ、どうすればより完璧な選手になれるか、学んできた。たくさんのコーチやチームメイトの助けを借りてね」

「僕は人の話を聞いて、プレーを見て、サッカーについて学ぶのが好きだ。僕はまだ若くて、成長過程にある。いつでもさらにうまくなりたいと思っている。毎日が、一生懸命プレーして、成功に近づくチャンスなんだ」マネにとって、まだスタートにすぎない。しかしこの順調なスタートは、リヴァプールにとってはいいニュースだが、彼を止めなければならない対戦相手にとっては頭の痛い話だろう。

取材・文=メリッサ・レディ/Melissa Reddy