○ 客との距離を埋める


『スター・トレック』の製作会社バッドロボットのプロデューサー、ブライアン・バーク氏も昨年12月の来日時にgooニュースの取材に対して、「自分たちが『スター・トレック』をやるからには、ファンにも愛されて、かつスター・トレックを何も知らない人たちにも愛される、そういう映画を作ろうとした」と語った。また今年3月の来日時にも、「『スター・トレック』を観たことがない人は大勢いる。そういう人でも誰でも参加できる、そういう映画にしたつもりです」と強調。バーク氏の盟友、エイブラムス監督も昨年12月から今年5月の公開まで、「前作を観ておく必要さえない。それでも楽しめるはず」とことあるごとに何度も何度も繰り返していた。もともとファンではない観客にも観てもらう。それが今作の関係者が一様に掲げる、大事な目標なのだ。

では前作はなぜ日本で振るわなかったか。たとえば前作はアメリカ公開からわずか2週間後に日本公開された。それも理由のひとつではないかと星野さんは見ている。公開まで作品情報を明かさない監督の有名な秘密主義もあり、宣伝を日本向けにいわゆる「ローカライズ」することができなかったのではないかと。

ローカリゼーションとはたとえば昨年夏に大ヒットした『アベンジャーズ』(ウォルト・ディズニー・スタジオ配給)がその好例だ。日本公開がアメリカ公開から3カ月遅れ、待ちわびるファンの溜め息や批判がツイッターなどソーシャルメディアに渦巻いた。宣伝ポスターに使った「日本よ、これが映画だ」というコピーもまた、映画通や映画ファンからは失笑され批判された。けれども吹替版も用意したところ、観客の45%が吹替版を観た。いわゆる従来の洋画ファンの行動ではない。けれどもそういう「距離を埋める」施策を重ねた結果、アメコミ・ヒーローものの『アベンジャーズ』は日本で興行収入36億円を達成したのだ。

距離を埋めるためのこういう「ローカリゼーション」作業には時間がかかる。すると公開が遅れる。ファンからは批判される。お笑い芸人やアイドルを使った話題づくりイベントなども、作品のファンや映画ファンからは批判される。けれども、批判も含めて話題にしていくことが大事なのだと星野さんは明言する。

「1人でも多くの人に映画を楽しんでいただくのが大事。日本と距離がある作品は仕掛けがたくさん必要です。それには時間が必要。日本と距離がある作品を日本でヒットさせるには、観る人との距離を埋めるための仕掛けを、お客様目線で提供しなくてはならない。映画は、知られないことにはどうしようもないです。知られていない、話題になっていないというのが、一番悲しい」と星野さんは言う。

その星野さんが今年正月から宣伝を手がけたのは、デンゼル・ワシントン主演の『フライト』。やはりポスターから何から宣伝素材をすべて日本向けに作り直した。米国以外の海外市場では日本がトップの成績を挙げたのは、その結果だと思っている。

そして『スター・トレック イントゥ・ダークネス』だ。イギリス公開は5月上旬、アメリカ公開は5月半ばだった。そこから3カ月以上遅れた8月23日が日本の公開日だ(当初は9月のシルバーウィーク公開を予定していた)。日本だけ公開が遅いという批判はもちろんある。『スター・トレック』ファンや出演者のファンの間では、かなりある。しかしそこにはそれぞれの国の事情がある。英米で5月前半に公開されたのは、その時期に最大ターゲット層の大学生が夏休みに入るからだ。しかし日本では『オブリビオン』や同じパラマウント作品『G.I.ジョー』とのバッティングを避けるためにも、ゴールデンウィ―ク明けの公開は見送られた。理想を言えば夏休みが始まる7月に公開したかったところだが、その時期だと『モンスターズ・ユニバーシティ』やジブリ作品『風立ちぬ』と競合する。8月上旬では、注目のSF怪獣大作『パシフィック・リム』やブラッド・ピット主演のパニック超大作『ワールド・ウォーZ』とぶつかる。それも避けたかった。そうやって競合作品との兼ね合いをみながら、この映画を売るために最適な時期を探した挙句、8月下旬の公開時期が決まったのだ。

ローカリゼーションのための時間も必要だった。たとえばポスターひとつとっても、北米では、俳優ではなくエンタープライズ号をフィーチャーしたグラフィックがメインポスターとなった。どの俳優よりもエンタープライズ号こそが認知度の高い大スターだという位置づけだろう。50年近くかけて『スター・トレック』が大衆文化の一部と定着してきたアメリカでは、それは正しい判断かもしれない。けれどもアメリカ国外でそれをやったのでは、固定ファン以外の観客を遠ざけてしまいかねない。なのでイギリスでも日本でも、謎めいた悪役を中心に据えたグラフィックをメインポスターに選んだ。

星野さんの「ヒットの鉄則」に従うなら、キャラクターに興味をもってもらわなくてはならないからだ。アメリカではエンタープライズ号も観客の興味をひく重要なキャラクターとして大勢に訴えかけるかもしれないが、国外では違う。日本では違う。むしろフィーチャーすべきは、正体不明の謎めいた悪役、初登場のジョン・ハリソンだ。演じるは、BBCドラマ『シャーロック』などで、すでに日本を含む世界各国に熱心なファンを獲得しているイギリス俳優ベネディクト・カンバーバッチだ。星野さんは早くからそう確信した。

「監督がカンバーバッチを起用してくれたことは、世界各国の宣伝マンにとって非常にありがたいこと」と星野さんは言う。「人気はあるし、ともかく本当に素晴らしいので。この人を絶対にブレークさせたいと思えるので」。

○ 日本では「愛」

そのカンバーバッチが演じるのは、謎めいた冷徹な悪役。対峙するヒーローが、悩める熱血漢のキャプテン・カーク。キャプテンに文句を言いつつ支えるのが、冷静で頑固な副長のスポック。この3人のキャラクターを公開までに日本でいかに浸透させるか、いかに興味をもってもらうかがカギだ。星野さんはそう言う。

「宣伝というのは自分自身を洗脳していく作業」でもあると星野さんは言う。作品の「ここが面白い」というポイントを見つけて、それを一番良い形で最大限に伸ばして、どういう言葉で語ったら最も面白く聞こえるか――。そこを考えるのが、モノを売るための宣伝という行為だと。

『スター・トレック イントゥ・ダークネス』のもっとも面白い部分を最大限にわかりやすく表現する言葉。それは「愛」だと、星野さんは思った。3人のメインキャラクターを揺さぶり、物語を動かすのは「愛」だと。家族への愛。仲間への愛。そこで日本での宣伝は「愛」をキーワードにすると決めた。

世界公開される映画のキャッチコピーは各国の宣伝担当がそれぞれに選ぶ。アメリカやイギリスでは「Earth will fall(地球は墜ちる)」が選ばれた。しかし日本では「人類最大の弱点は愛だ」になった。これは作中の台詞をかなり意訳・超訳したものだ。けれども「愛」という単語は、日本で映画を売るには非常に効果的なのだ。観客テストをすれば、「愛」という単語の入ったコピーは男性にも効果的だった。そうやって本社や映画製作陣を説得した。「日本が本当に大好きなんだ」と繰り返すエイブラムス監督たちも「日本人向けには派手なアクションだけではダメ、感動的な何かがないとダメだ」と同意し、日本向けに特別な予告編を用意してくれた。「Is there anything you would not do for your family?」という台詞が、日本向けの予告編にだけ入っていたのだ。意味としては「家族のためならどんなことでもするだろう?」。直訳すれば「家族のためにやらないことなどあるか?」。それを星野さんは「人類最大の弱点は愛だ」に超訳させ、宣伝コピーとして最大限に活用したのだった。

日本人向けに作られたキャッチコピーが整い、監督と俳優2人が全世界に先駆けて昨年暮れに来日した。全ては、監督が「大好きだ」と言う日本でヒットさせるためだ。来日した監督と俳優たちにはマスコミ50社以上の取材を受けてもらい、関連する記事が次から次へと露出するようセッティングした。特に「謎めいた悪役」としてフィーチャーしたいカンバーバッチについては、彼を表紙にした雑誌が次々とコンビニに並ぶよう仕掛けた。日本の芸能人を起用して「距離を埋める」作業も抜かりない。女性クルー、ウフーラの吹替には栗山千明をキャスティング。また作中に流れる曲は日本のアーティストが手がけるものを挿入してさらに話題を作った。

『スター・トレック』だけでなく『スター・ウォーズ』の新作も手がけることになったエイブラムス監督については、テレビのプロフィール番組で取り上げるよう準備が進んでいる。公開約1カ月前の7月15日にはカンバーバッチが再来日し、16日からファンイベントや複数の舞台挨拶に出席。複数のテレビ番組への露出も仕掛ける。7月下旬からは映画CMのテレビスポットを強力に展開し、全国大都市部での屋外広告なども掲示。雑誌まるごとの『スター・トレック』特集も計画されている。そして8月半ばには、監督やエンタープライズ号のクルーを演じる俳優たちが複数来日し、プレミア上映イベントが開かれ、そしていよいよ公開日を迎えるのだ。

5月上旬から各国で次々と公開されてきた『スター・トレック イントゥ・ダークネス』。ハリウッド・リポーター誌によると、6月16日までの興収は世界全体で4億1200万ドル(前作は3億8560万ドル)。そのうち海外57市場での興収は2億170万ドル。2009年の前作の6割増だ。ほとんど全ての外国市場で前作を大きく上回っており、「パラマウントが大々的にしかけた海外マーケティング作戦が奏功した」と同誌は書いている。

この数字にはまだ、日本は入っていない。

モノを売るという行為は、どういうものか。星野さんに抽象的な質問をしてみた。しばし考えた後、「風を起こすこと」という返事が返ってきた。「ギャップを作ること」だと。「ギャップを作ると風が起きて水が流れる。ものが動く。発見がある。いつもと違う何かを」。モノを売るとは「非日常を作り出すこと。それはすごく楽しいです」と。

『スター・トレック イントゥ・ダークネス』は8月23日に日本公開される。日本でも風は起きるか。



gooニュースでは「モノを売る」「ヒットを作る」舞台の裏側の人たちの話を今後も紹介していく予定です。