「被災地では、震災後初の総選挙です」

 衆院解散後、ニュースではそのような弾んだ声を何度か聞いたような気がします。震災後の選挙だから、福島の人からの反応が気になるのだろうとすぐに思い当たったものの、そこに住む私から見れば、現地はマスコミの興奮をよそに醒めているといってもいい空気を感じます。それは、そのコメントに必ず繋がるのが、ひたすらに「原発問題」だからではないでしょうか。(福島県郡山市在住・安積咲)

○マスコミが伝え続けた「福島」とは違う

 私は福島県の郡山市、旧市街地に住んでいます。

 郡山市は、福島県の中でも商工業が盛んな土地です。会津やいわきと違って、歴史的観光地としては弱く、港がある訳でもないこの県の中心地は、古くは宿場町として栄えていた流通と交通のハブとしての機能を活かし、商業的に発展するしかなかったと言ってもいい場所でしょう。

 私の祖父は会津生まれですが、戦時中に東京で働き戦後に福島へ戻りました。そして店を始めるにあたって郡山を選んだのも、そういった便の良さを見ての事だったのかもしれません。

 都市として発展するためには、大型事業や工場誘致などが歓迎されるのは当然の事で、そういう土地で力を持っていた政治家がどのような政党の勢力であったかは、明記するまでもないと思います。高度成長期の郡山には、進取の気性に富んだ人材が多々おり、街の発展のためにありとあらゆる話を取り入れて来たと聞いています。その姿勢は商業経済に向けてだけではなく、都市であるからには文化な発展も必要と尽力していた人々もいて、それが今の「音楽都市」宣言へと繋がってきました。

 私が生まれた頃までの市の成長はめざましく、人口も増え、県内でも一番の都会だと言われていました。

 しかしそれもバブル崩壊後は勢いを落とし、震災以前の数年前から商業関係者の間では「不景気だない」が合言葉になっていました。私の個人的な印象では、ここ郡山市は、震災後の1年 余でメディアが取り上げ続けた「美しい自然にあふれた福島県」というイメージからは少し外れた、「近年では寂れてしまった地方都市」でしかありませんでした。

 特に目立った観光資源もない、街並みが美しい訳でもない、駅前の大型商業施設も閉鎖される……。そんな状況に、明るい材料は見当たらなかったと言ってもいいと思います。

 先の総選挙では、そんな鬱屈を一掃したいと願った人々が、既存政権への不満を爆発させ新たな世界を夢見た結果、現政権に勝利をもたらしたのかもしれません。

 とはいえ、状況が好転したかといえば全くそのような空気も感じられないままに、震災は起こりました。建造物倒壊などの被害はまだ少ない方で、津波とも無縁のこの場所ですが、福島第一原子力発電所の事故の影響は甚大でした。地形の特性上、県内でも空間線量が低いとは言えないこの場所に住み続けるかどうか、その重大な判断を委ねられた人は少なくなく、人口や人材流出も続き、経済的損失はなかなか埋まりそうにありません。私は市街地の人間ですが、車で10分も行けばそこはすぐに農地や山林です。農家の方々の苦悩も未だに続いています。

 それでも、ここは「住んで行ける場所」だと、私は思っています。今もここで暮らしている人たちは(中には避難先から戻った方々も)その判断を下した方々が少なくないと思います。もちろん、何の困難もない訳ではありません。他の土地で生きていくよりも、人によっては抱える苦悩が増えた事は否定しません。その上で、ここで暮らして行く事への良さを選んだ人々がいます。

 生活のためには経済的安定が不可欠です。雇用問題も当然含まれますし、お子様をお持ちであれば教育や医療保障も。原発問題を軽視している住人は一人もいないと思いますが、そこに政治家が選挙演説にやってきて「まずは廃炉を」「原発のない未来を」とばかり叫んでも、現実感が感じられないというのが私の印象です。

 今回は特に原発問題ですが、その時々に話題のある一つの問題にばかり言及し、それさえ払拭すれば万事解決、といった論調で語るなら同じ事です。

 未来は、確かに重要です。

 未来を想定し夢を語る事が、政治家として間違っているとは思いません。

 けれども、私も含め、あの震災当時ここに住んでいた人間なら感じた事があると思うのです。遠い未来より先に、明日へつながる道が閉ざされるかもしれないと感じた恐怖を。

○ あの時、誰が助けてくれたのか

 先にも触れましたが郡山は流通と交通の便の良さが利点の地でした。それが、震災後に全くとは言えないまでも途絶えました。商店の棚からは乳製品などが消え、スーパーには人が並びました。何より燃料の供給が途絶えたので、自家用車なしでの移動が困難な地方都市の住民は、その供給の再開を何より心待ちにしていました。

 当時、メディアは放射能問題ばかりを煽っていましたが、それ以前に交通や流通が途絶えるという事は、生活そのものの存続を困難にさせてしまう事でした。

 そんな時に、誰がここに住む人間を助けてくれたか。それは名指しで書かなくとも、住んでいる人間なら分かっている事でしょう。

 私は個人的に、美しい未来というものを高々と掲げる政治家や政党を信用していません。それは政党の名前に関係なく。

 未来は、ほんの1分1秒先であっても未来です。

 今日の先の明日、明日の先の明後日、そうやって繋がれてゆくものが未来です。

 まず明日の生活に手を差し伸べてくれないような人の語る「未来」に、誰が共感するでしょうか。

 郡山市は上記のように目に見えた被害は少ないものの、震災からの復興は遠いままです。その傷を癒す事が第一だと思う人もまだいるところに、遠い先の夢物語ばかりをしたところで、白々しく映るだけだと思います。

 もしもこの地で政治家としての支持を得たいのであれば、震災後に住民が一体何に困っていたのか、何を求めていたのか、どんな気持ちでいたのか、それをできるだけ広く聞いて、理解する事がまず、理想を語るより前にすべき事ではないでしょうか。ここに住む人間を単に「被災地の住民」という名前で括り、彼らの思い描く姿に沿った意見ばかりを述べる。そんな方々が少なくなく、だからこそ、そんな候補者には冷たい視線しか投げかけられない人も多いのだと思います。

 そしてそれは、この選挙に立候補する人たちだけではなく、被災地を取り扱うメディアや、関心を持つ人々にも同じ事が言えると思います。

 ここが福島県であっても、原発問題だけにこだわらず、現地の状況にどれだけ触れているか。どれだけ多くの現地の声を広く拾おうとしてくれているか。真剣な人の思いは伝わりますし、ただパフォーマンスしたいだけの人はそれなりの評価を受けると思います。

 全ての人がそうだと断言はできませんが、田舎の人間は特に人の縁を大事にします。立派なお題目を唱えてこの地へやってきた人達が、現地の人をないがしろにしたり、馬鹿にしたような態度を取ったりすれば、私たちはそれをずっと忘れません。わだかまり続けます。その代わり受けた恩は忘れません。

 どれだけ誠実に現地に対応してくれたかどうか、それを見極めたいと思っている人は、私だけではないと思います。

 また住んでいる私も、それを他人事で語ってはいけないのです。己の明日だけではなく、より多くの人の明日に目を向けなければ、偏った希望をただわがままに口にするだけの無責任な人間になってしまいます。

 一見華やかな主張に踊らされ、現状打破への分かりやすい欲求に走った先が先の選挙の結果だとすれば、その愚かさを反省した上で、自分たちで自分たちの行き先を選ぶ努力をしなければならないと思います。

 未来は明日の先にあるもので、明日は誰にでもやってくる可能性があるものです。そのそれぞれの明日をどうするかは、個々の責任で決まってきます。「未来」とは誰かが美しく形作り、手渡してくれるものではありません。あくまで自分たちの生活の地続きにあるものです。

 毎日の平凡な生活、というものがどれだけ大切であるかを、被災地に住む人間は知っていると思います。特に目立った事はなくとも、平凡な明日を滞りなく過ごせるような、努力と感謝を一人ひとりが忘れないようにする事。もしかしたらそれが、少しは良い未来へ繋がるのかもしれないと思っています。

 現状でそれぞれの地域の候補者にこれという希望を持てず、投票への意欲が低下している有権者も少なくないと思いますが、それでも各々が明日の責任を果たさなければ、未来はありません。

 全ての世界を一変させるような魔法は政治には存在しない。だからこそ、その第一歩に少しでも近づくような選択をできるように。そんな気持ちを持って、投票の日を迎えられたらいい。

 「そんでおめさんら、おれげに何してくれんだい?」(※)

  ――その問いかけの一歩は、投票日に始まると思っています。


(※)福島(郡山)訛りで「それであなたたちは、私たちのために何をしてくれるのですか?」の意味。



<筆者紹介> 安積咲(あさか・さく) 福島県郡山市在住、自営業。38歳。震災後、ツイッターで筆名「安積咲@福島県産」(@asakasaku) として、発信を続ける。