今年のドラフト会議が近づいてきた。ドラフトにはさまざなドラマがつきものだ。ここでは、ドラフト会議で一番最後に名前を読み上げられた選手、つまり、プロ野球選手になれる人間と、なれない人間の境目にいる「ドラフト最下位指名」された選手に焦点を当ててみたい。最下位で指名された人物は、いったいどんな野球人生を送っているのか。今回は、史上最強のドラフト最下位・福浦和也(ロッテ)の野球人生を辿る。以下は、野球専門誌『野球太郎No.006 −2013ドラフト直前大特集号』より、同誌ライター・村瀬秀信氏の記事を抜粋した。(野球太郎寄稿)

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9月9日、QVCマリンフィールド。埼玉西武ライオンズ対千葉ロッテマリーンズの一戦は「埼玉VS千葉 ライバルシリーズ」と銘打つ県の威信を掛けた戦いの最終戦。
 2対2の同点で迎えた7回裏、千葉ロッテの攻撃は1死二塁。この勝ち越しの好機に代打・福浦和也が告げられると、ライトスタンドはこの日一番の大歓声に沸き返った。

福浦は埼玉西武・岡本洋介の外角高めに浮いたストレートを逆らわずに流すと、打球はライナーでレフト前に落ちる決勝タイムリー。
 今季から始まった、この埼玉VS千葉のライバルシリーズは“千葉の誇り”と謳われる福浦の現役通算1870本目の安打で幕を下ろすこととなった。
「9月9日だったから打てたのかな」
 試合後にそう言って笑った背番号「9」。かつて“幕張のケン・グリフィーJr.”と呼ばれ、現在も“幕張の安打製造機”など、数々の異名を持ち、マリーンズの魂ともいえる大選手となった福浦は、かつて背番号「70」を背負う投手であり、ドラフト最下位指名選手であった。

◎「コーチかよ!」と野次られる背番号

「僕は自分がプロに入れるとは思っていませんでしたからね。3年生の時の夏の千葉県予選も3回戦で野田北に負けていましたし……今思えば、僕が指名されたことも、その前年に地元に球団が移転してきたということが大きかったんじゃないかと思いますよね」

福浦

殊勲打を放った翌日のQVCマリンフィールド。首位楽天との決戦を前に、福浦は20年前のドラフト会議をそう思い起こした。
 1993年。プロ野球界に谷沢健一(元中日)、掛布雅之(元阪神)など左の強打者を輩出してきた名門・習志野高校の4番でエースを務めていた福浦の下には、前年に川崎から千葉へ移転してきたロッテ球団のスカウトが、度々挨拶に訪れていた。
「でも、指名を確約してくれるような選手じゃなかったですし、僕も『もしかしたらプロに行けるかも……』ぐらいの感じでしたからね。夏の大会に負けた後も、野球のない生活をエンジョイしていましたし(笑)」

11月20日。新高輪プリンスホテルで行われた第29回ドラフト会議は、この年から大学生・社会人に限り逆指名権が認められるルール改正が適用されることで、これまでとは違った緊張感を漂わせていた。
 すでにこの日までに目玉候補だった関東学院大の河原隆一は横浜、青山学院大の小久保裕紀は福岡ダイエー、三菱重工横浜の石井貴は西武、NTT四国の山部太はヤクルトをそれぞれ逆指名。ドラフトの根本を揺るがすこの逆指名制度の導入により、ドラフト制定後、初めて重複がない年となった。その反面、中日の1位指名、豊田大谷の平田洋に高校生で1億円の契約金を出すなど、上位指名者の契約金は高騰し、各球団の財政を逼迫。有望選手には下交渉での争奪戦が激化した。
 そんな中、千葉ロッテは、“恋人”とまで言われていた神奈川大の渡辺秀一をドラフト直前で福岡ダイエーに奪われ、NTT東北の左腕・加藤高康に1位指名を変更。

そんな新人選手の状況とはまったく無縁だったのが、千葉ロッテのドラフト7位。全体の最下位となる64番目で指名された習志野高校の左腕投手・福浦だった。
「指名された時は、学校で練習していました。最下位ですから、もうだいぶ遅い時間で、グラウンドで『ロッテに指名された』と聞きました。そりゃ嬉しかったですよ。指名されればどこであろうと行くつもりでしたけど、やっぱりロッテは地元の球団でしたからね」

93年、マリーンズがドラフトで指名した新人選手は1位加藤高康(NTT東北)、2位には「千葉が好きだからロッテに行きたいです」と高校生ながらロッテを逆指名していた、拓大紅陵の立川隆史。3位に大塚明(別府羽室台)、4位中山雅行(熊谷組)、5位諸積兼司(日立製作所)、6位小野晋吾(御殿場西)、そして7位の福浦和也と、今になって振り返れば、ドラフト史上稀に見る下位指名の当たり年となった。