(2006年 8月18日 初出)

英国当局が未遂で摘発した旅客機爆破計画は、あのまま実行されていれば「未曾有の被害」を出していたと言われ、飛行機テロの恐怖を新たに思い起こさせまし た。発表によると、逮捕された容疑者たちはイスラム系の名前をもつ英国青年。彼らの知り合い・友人たちは連日、英メディアに対して、「何かの間違いだ」 「そんなことをする奴じゃない」と訴えています。その一方で、英国の階級社会・移民社会のあつれきが要因のひとつだと指摘する声も上がっています。当局発 表が本当なのだとして、英国生まれの彼らがなぜ英国を敵視するのか。コラム「ジダンの涙」でフランスにおけるイスラム系移民の哀しみを書いた中東調査会の大野元裕さんが今度は、英国におけるイスラム系移民の、世代を隔てる複雑な思いを描きます。(gooニュース)


「旅客機爆破計画:英国の若い二世たちに何が起きたのか?」 寄稿・大野元裕

ロンドンの旅客機爆破計画が露呈した。この計画が実行されれば、少なくとも数千名の命が失われることとなったであろう。戦争とは違うテロの怖さは、前線か ら遠い場所において非戦闘員が犠牲となり、防御や予見が困難な点にある。この意味で今回の計画はテロの典型的な恐怖を兼ね備えていた。

これまで長らく「テロのデパート」の観すら呈しているイラクを見ると、テロを実行し、支援する理由が社会に存在していることがわかる。社会的・政治的対 立や排除、 抑圧、貧困などを背景に、武装組織がイスラームをちらつかせながら忍び寄り、人材をリクルートしてきたのだ。さらに、これらの武装組織やリクルートされた 人々が活動しやすいよう、環境を提供する共同体がある。武器も入手しやすい。こういう条件がテロを後押ししてきた。

昨年7月の地下 鉄・バス同時爆破テロ以降だけでも、英国当局は3件のテロ計画を未然に防ぎ、20件に及ぶ捜査を行ってきたという。英国はもはや、過激なイスラームのテロ 組織が深く浸透する国家となったのだろうか。テロ組織の人材リクルートやテロ活動を可能にする背景や理由は、英国の場合、イラクにおけるそれほど表面に現 れていないようだが、それでも存在するようである。

今回のテロでは、聖戦の基地組織(Munazzamat al-Qaidat al-Jihad、以降、慣例に従い「アル=カーイダ」と呼ぶ)の関与が指摘されている。アル=カーイダは、2001年のニューヨークにおける同時多発 テロ以降、英国をしばしば名指しし、米国に次ぐ「悪者」として非難してきた。イラク、イラン、アフガニスタン、パレスチナ、レバノン等で見られた国際的な 「不正義」に、英国が加担してきたと印象付ける素地は確かに存在した。

それだけではない。テロ組織がリクルートの対象にしやすい移民社会の不満も背景にあるようだ。昨年7月の地下鉄・バス同時爆破テロの際には、北部リーズ出 身者が多く犯行グループに含まれていた。経済的な底辺に属する移民の有色人種社会と白人社会がたびたび衝突してきた町だ。この町の出身者が過激なイスラー ム組織に触発され、パキスタンを訪問し、アル=カーイダの洗礼を受けたとされている。

アル=カーイダは昨年来、大規模な戦線であったイラク並びにアフガニスタンから、戦場を他の国に拡大することを目指しているとされる。新たな戦線を開く 国に潜入したカギとなる人物は、平和的手段でセル(細胞)と呼ばれる組織を形成・拡大するのが一般的な手法のようだ。そうやって各国に張り巡らされた拠点 が、アル=カーイダの名前の通り、「聖戦の基地」に発展するのである。

このセル作りに大きな役割を果たすのが、移民社会の抱える不 満であろう。英国社会から排除されたと感じる不満に、宗教を装った魅力的な教えが応え、若者を洗脳するようである。このセルに所属する人々の多くは過去に 前科がなく、一般市民だ。それだけに、彼らの所属するセルが休眠状態にある限り、つまり犯罪に手を染めようとしない限り、公安の網にかかることは難しいは ずだ。また、英国に複数存在するであろうセルは、互いに相手を知らないはずで、それゆえに、目的を共有する複数セルを一網打尽にするための接点や情報を得 にくい。

今回の事件は、ある意味で昨年の地下鉄テロよりも深刻かもしれない。地下鉄テロの犯行グループと異なり、今回の容疑者たちは決して貧しい層に属する者ば かりではないからだ。加えて、ロンドンのウォルサムストウ地区、ロンドン北西のハイウィコームやバーミンガムなどは、必ずしも移民が目立つ典型的な地区で はない。今回の未遂事件は、「普通の移民社会」にまでテロ組織が浸透していることを示しているのではないだろうか。  また、拘束された者の多くは20代で、17歳の若者まで含まれている。彼らの多くは、過激なイスラームの影響力があるパキスタンを祖父母の祖国とする、 移民二世もしくは三世だ。彼らは生まれながらの英国民ながら、階級社会の下層に置かれ、排除された感情を抱いてきたのかもしれない。また、自分たちの国の 政府が、自分と同じ宗教の国を蹂躙しているではないかと、違和感を抱き続けてきたのかもしれない。このような若者の敏感な心につけこむのがテロ組織であろ う。

アフリカやアジア出身の移民一世の多くは、自国の政情不安や貧困から逃れ、安住の地とよりよい経済環境を求めた者たちである。 一世たちは、新たな居住地を選択し、そこで安定を希求してきた。つまり、一世にとっては、移住先の国を不安定化させるインセンティヴなどないのである。他 方で、二世や三世たちは、父たちが祖国に抱く複雑な思いはさほど共有していないものの、自分たちは生まれながらの英国民なのに不当に扱われているという感 覚は強い。このような背景も、アル=カーイダのような組織に利用される理由の一つかもしれない。

しかしながら、英国に存在する 150万人の移民社会が潜在的なテロ予備軍であると考えることは危険である。また、イスラームがテロを教える宗教で、文明社会と対峙していると考えること もまた、あさはかである。移民社会は本来、安定を希求している。そして、広く受け入れられた宗教はどれも殺戮を容認しない。偏見に基づく無知こそが、テロ を生み出す背景に貢献している。  日本においては、このような形のテロを育む社会的環境はないと思う。思いながらも、「イスラームは怖い宗教ですね」、「宗教戦争は理解できない」とステ レオ・タイプで語る人たちの存在に、将来の日本の危うさを感じずにはいられない。



<筆者紹介>大野元裕(おおの・もとひろ)

(財)中東調査会上席研究員。NHKニュースなど各メディアで中東情勢について解説。現場経験と知識に基づいた、分かりやすい解説・コメントに定評がある。

<大野さんのこれまでのgooコラム>
・「元大統領は銃殺を希望する」 (2006年7月29日)
・「ジダンの涙」  (2006年7月13日)

<関連リンク>
「広場─MAIDAN」(大野元裕さんのHP)
Wewomuiteblog (大野元裕さんのブログ)