(2006年 7月13日 初出)

あのジダンが、なぜ? なぜ決勝戦という大事な場面で頭突きを? レッドカードを受けてでも、絶対に譲れない何があったのか。本人がついにテレビで語った 言葉は、「母や姉を傷つけるひどい言葉を繰り返され、耐えきれなかった」というもの。「ひどい言葉」の具体的な中身については、黙して語らなかった。引退 を目前にした最後のW杯の、しかも決勝戦という、これ以上ないというほど重要な局面で、ジダンを突き動かしたものは何か。「スポーツ」という切り口だけで は分かりにくいこの疑問について、大野元裕さん(中東調査会上席研究員)から解説を寄稿いただきました。イスラム情勢についてわかりやすく的確な解説・コ メントで定評のある大野さんは、「北アフリカ移民の星」ジダンが抱える哀しみを探り当てます。


「ジダンの涙」 寄稿・大野元裕

ドイツで開催されていたサッカーのW杯決勝戦で、フランス代表のジダンが、イタリア代表のマテラッツィに頭突きを与えた事件が波紋を投げかけている。「不 名誉な」一撃ゆえに、ジダンのMVP剥奪の話まで出ているようだ。ジダンが肯定したところによれば、マテラッツィはジダンを「テロリスト」呼ばわりし、母 親を「売春婦」と挑発したらしい。

この記事を読んで、昨年9月にパリ郊外で発生した移民たちによる暴動と12日間に亘る夜間外出禁止令を思い出した。暴力行為と暴動、それぞれにフランスが抱える社会的背景が大きく影を落としたのではあるまいか。

フランスは、人口の10%にして拡大し続けるムスリム人口を抱える。しかし、フランスの大規模な移民受け入れの歴史は短く、第二次世界大戦以降のことだ。 政府は排除すら辞さない「一つのフランス」政策を敷き、暴動の標的となったサルコジ内相は、フランス国民になじめない者たちは出て行けと公然と発言し、移 民たちの反発を招いた。複数の文化の存在を否定し、移民たちのアイデンティティに疑問を投げかけたのだった。

そういえば、公立校におけるスカーフを禁止して問題を招いたのもフランスだった。移民たち、特に第一世代には、貧しさや政治的問題に嫌気がさして祖国を後 にした者たちが多い。彼らは安定と生活のために母国を捨てた者たちであり、移住先の不安定など望むはずもない。しかしながら、移住先が彼らに安寧を与える ことはなかった。彼らは、フランスになじむために、「公的分野」では可能な限りフランス人たらんとしてきたに違いない。しかしながら、「私的分野」では信 教の自由と自らの文化に誇りを持ってきた。スカーフ着用問題については、長い間の排除・差別に加えて、「私的分野」を公的機関から拒否されたことに問題の 根があったと考えるべきだろう。

ジダンはアルジェリア移民の二世で、貧しい家庭の出身、つまり、フランスで最も低い層にみなされている 北アフリカ移民の子である。にもかかわらずジダンは、フランスの至宝となり、それゆえ「北アフリカ移民の星」となった。かつて大統領選挙戦の際に、ジダン は「移民差別の廃絶」を訴えたが、それは、彼が経験してきた屈辱や複雑な思いに対する悲鳴であったのだろうし、移民と「フランス」を結びつける役割を担う ことを表明したのかもしれない。

ジダンの暴力行為は、スポーツマンとして許されるべきものではない。その一方で、彼を育んできたフラン ス社会、あるいは心の奥底に刻み込まれた傷跡は、小さなものではないはずだ。「誰が悪いか」という犯人探し以上に、ジダンがジダンである理由が、彼の狂気 を呼び起こしてしまったのかもしれない。

イスラーム教世界は「母系社会」であり、母親に対する侮蔑は大きな屈辱となる。またフランス社 会を生き延びてきたジダンにとって、「テロリスト」という言葉がいかに重たいかを想像することは難しくない。ジダンの行った行為は批判されてしかるべきだ が、ジダンの涙は理解できるような気がする。

FIFAがジダンをMVPに選出したことについては議論もあろうが、極端なネーション=ステートの擁護者であったドイツにおいて、彼の行為にもかかわらず、共通の言語であるサッカーが評価されたことは、皮肉だった。

スポーツマン・ジダンはMVPを汚したかもしれないが、移民の子ジダンにとっては、MVPを剥奪されても、彼の言葉通り、「悔いはない」のかもしれない。


<筆者紹介>大野元裕(おおの・もとひろ)
(財)中東調査会上席研究員。NHKニュースなど各メディアで中東情勢について解説。現場経験と知識に基づいた、分かりやすい解説・コメントに定評がある。

<関連リンク>
「広場─MAIDAN」(大野元裕さんのHP)
Wewomuiteblog (大野元裕さんのブログ)