冬はしんしんと雪が降り積もり、全国有数の豪雪地帯といわれる秋田県横手市。長い冬を生き延びるために欠かせなかったのが、保存食である。雪深い気候のおかげで清らかな水と肥沃(ひよく)な土壌に恵まれ、夏の間には作物がよく育ち、米にはあまり困らない豊かな地域でもある。豊富に実った米は麹にし、それを使ったさまざまな発酵食品がつくられた。

横手市増田町に蔵を構える大正7年創業の麹屋〈羽場こうじ店〉。そこに生まれた鈴木百合子さんは「増田の町並み」と呼ばれ、観光名所にもなっている伝統的建造物群保存地区に〈羽場こうじ茶屋くらを〉を開いた。この地域で脈々と受け継がれてきた、麹を中心とした発酵料理を楽しめる食堂である。「家族のために日々のご飯をつくってきた、この土地のお母さんたちは本当にすばらしい」と熱心に語る鈴木さんに、横手の発酵食文化の魅力について話を伺った。

麹は当たり前の日常、無意識に食べていた

麹屋の娘として生まれた鈴木さん。子どもの頃から麹を使った発酵料理をよく食べていたが「あまりに当たり前過ぎて、当時はまったく意識していなかった」という。

「うちは両親共々現場で仕事をしていて、製造を手伝うスタッフもたくさんいたので、みんなの食事をつくるのはおばあちゃんの仕事でした。子どもたちもおばあちゃんがつくったご飯を食べて育ちました。私の記憶が正しければ、台所の流しの下に、たぶん塩麹の入ったかめが置いてあって、とにかくなんでもそれを引っ張り出して使っていた。発酵を特に意識したわけではなく、なんとなくおいしくなるからって使っていたんだと思います」

家には醤油がなく、普段使うのは“みそたまり”だった。今思えばぜいたくだけれど、当時は醤油に憧れていたそうだ。冬になるとこたつの中には甘酒が入っていた。誰かの家に遊びに行くと、おやつに甘酒が出てくるのも昔は当たり前だったという。麹は鈴木さんの日々の生活の中に溶け込む、見慣れた風景だった。

毎日体にいいものを食べて育っていたせいか、子どもの頃の鈴木さんは絵に描いたような健康優良児だったという。そして夢中だったのはスキー。学生時代はオリンピック選手を目指すほど、本気で打ち込んでいた。しかし高校2年生のときに大きなけがをしてしまい、やむなくスキー人生を終えることとなった。

社会人になると、実家を離れてスポーツ用品会社に勤め、スポーツ選手のためにより良い商品を開発する仕事に奔走した。第一線で活躍する選手たちの話を聞くことは、元スポーツ選手だった鈴木さんにとってこの上なく楽しく、やりがいのある仕事だった。しかし仕事に没頭するあまり、体のことは二の次に、食もおろそかになっていた。次第にじわじわと体に無理がたたり、あるとき著しく体調を崩して、起き上がれないほどになってしまった。すでに結婚して子どももいた鈴木さんは、このままずっと病気だったらどうしようと精神的にも参ってしまったそうだ。

「身の回りのこともできず、ご飯も食べられず、生きていくのがしんどくなっていました。夫の提案で、家族みんなで秋田へ帰ることを決めました」

秋田の実家に戻った鈴木さんは、母親にご飯をつくってもらいながら、しばらくは体調不良のままぼんやりと過ごしていたそう。あるとき朝食にみそ汁を飲むと、体の中がパーッと熱くなり、五臓六腑(ろっぷ)に染み渡っていくのを感じたという。今の自分の体は空っぽで、何か食べなければ元気になれるわけがない、とそのときハッと目が覚めたそうだ。そこからはどうにか頑張ってなんでも残さず食べるようにした。家の食事に注目してみると、麹がふんだんに使われていることに気づいた。

「みそ汁はもちろんだし、野菜も肉や魚も、麹や味噌を使った料理ばかりでした。そうか、これが私の体をつくっていたんだ、って。すっかり忘れていました。しかも私はたまたま麹屋に生まれたけれど、どこかの家のお母さんも、家族の健康を願って、ご飯をつくる材料にうちの麹を使ってくれているんだよなぁと思ったらありがたい気持ちに。もしや、うちの商売はみんなの健康をつくっているのではって考えたら、こんなにいい仕事はないんじゃないかと思って。両親が誇らしく、まぶしく見えました」

鈴木さんはそれまで食べることにはまったく興味がなく、麹がどんな風に役立っているのかも全然知らなかったそうだ。しかし、この時以来、麹を中心としたこの土地の食のすばらしさをもっと学び、伝えたいと強く思うようになった。

横手の食文化を伝えるべく、店をオープン

2010年に秋田へ戻り、2011年に東日本大震災が発生。2012年頃から塩麹ブームが始まり、麹が注目されてきた2013年「この地域の食文化を伝える店をやろう」と鈴木さんは決心する。

「自分ではまったく料理もできないのに、よくもまあそんなすごいこと決めちゃったねって思います。未知のチャレンジでした」

増田町は内蔵のある古い街並みがまだまだ残っており、地域貢献のために実家で持っていた古い酒蔵の建物があった。何も使われていない状態だった酒蔵を、必要なところだけリノベーションし、〈羽場こうじ茶屋くらを〉をオープンした。最初の頃はプロの料理人を雇っていたが、冬になると次第に客足が途絶えてしまい、お金は底を突き、店は回らなくなっていた。

「そうしたら地域のお母さんたちが、ゆりちゃんげっそりしてるけど大丈夫?って、色々つくってきてくれるんです。お漬け物つくったから食べてみてとか、これつくり過ぎちゃったからどうぞ、とかね。それがみんなめちゃくちゃおいしいの。そうだ、私が食べさせたいものはこれだよ、と思って。店のコンセプトがそれまでブレブレだったんですね。寿司とか蕎麦とか出していたんです。そこでもう一度原点に返ってかじを切り直し、秋田のお母さんたちがつくるものを食べてもらう店に変えました。それが一番おいしいと思ったから」

現在の店は、20代から80代までの幅広い年代のスタッフがいる。中心となるのは長年台所を預かってきた地元のお母さんたちだ。彼女たちが主につくってきたのは、その時手に入る旬の素材を使い、麹や味噌で漬けた発酵食。誰よりも麹を使いこなしているベテランである。今でこそ、発酵は体に良いとブームにもなっているが、そもそも横手では昔から暮らしのなかで行っていることだった。発酵と意気込むこともなく、ただそこにあったから、という自然な理由である。

昔から米がよくとれる地域だったため、余った米は麹にして、調味料としてさまざまな料理に使っていた。農家が自分たちで育てた米を麹屋に持っていくと麹と交換してくれる、という文化もあった。横手の味噌はほかのところより麹が大豆の約3倍使われているという、ぜいたくな甘い味噌だ。

「昔の文献を見たら、隣の県が飢餓で苦しんでいるときも、秋田では食用米のほかに加工できる米を持っていて『年間で食用以外に一斗(約15kg)の米を消費していた』という記録がありました。そのぐらい、この地域は米が豊富だったんです。雪はものすごく降るんですけど、そのおかげで土が肥えて農作物は豊か。災害も少ない地域なんです」

麹(発酵)を今の食卓に。
未来の郷土料理をつくる

鈴木さんはメモを片手にスタッフのお母さんたちから、今も日々料理を学んでいる。例えばなすは6月下旬から晩秋までとれるが、同じなすでも出始めと盛り、終わりの頃で下準備も漬け方も変わってくる。季節に沿った料理は年に一度しか経験できない。バリエーションが多過ぎて、スタッフの数だけテクニックも違ったりするのだ。

「自分の人生のなかでも、ここ10年がものすごく濃く感じます。今が一番、学びが大きい。秋田のお母さんたちって、本当にすごいんですよ。彼女たちの頭の中に入っている多様で限りないノウハウを、この店にすべて惜しみなく注ぎ込んで欲しいと思って。これは本当にすばらしい財産。みんなやさしいので、色々教えてくれるのはとてもありがたいです」

家族においしいと言われながら、日々たんたんとつくられてきた名もなき漬け物や麹の料理。それが長い間受け継がれていくと、いつか振り返った時に「あれ?これは発酵文化では?」となるのではないか、と鈴木さんは言う。店には20代の若いスタッフもいて、彼らは何も知らない分、麹をベースに思いがけない斬新な料理が生まれることもあるそうだが、そういうものも月日が経てば、未来の郷土料理になるかもしれない。鈴木さんは、若い世代の発想もすべてくみ取り、新旧織り交ぜてメニューに反映させている。お母さんたちの料理を若い世代へ伝えるつなぎ役も担っている。

「だから店の料理は郷土料理というより、日々の暮らしが生きた料理なんです。メニューづくりにはスタッフみんなの意見を聞いて、昔からつくられている伝統的な料理ももちろん大切にしていますが、今の食卓に合う料理、お腹を空かした中高生が喜んで食べるような料理でも、この土地らしさがあるなら取り入れています。大切なのは意味のある発酵の仕方、麹の使われ方で、それを現代のごはんに残せばいい。麹を上手に生かせるのだったら、現代の食べ方にもどんどん利用したらいいと思っています」

〈羽場こうじ茶屋くらを〉では、秋田で長く麹が使われてきた意味、発酵の意味を丁寧に伝え、それを今の食卓に生かすにはどうしたらいいかみんなで考える、そういう場所にしたいと思っている。

最後に、鈴木さんに〈羽場こうじ店〉の麹室へ連れて行ってもらった。実は鈴木さんは麹屋の蔵人1年生。昨年より、実家の麹づくりを手伝うようになったそう。

「両親もそろそろ引退なので、今まで麹仕事をしてきた主人と一緒に、私もやらないといけないなと思っています。マニュアルもなく、感覚的な部分もあるので、まだまだ分からないことだらけですが」

麹室の中はミストサウナのように蒸気に包まれ、どこか心地よい蒸し暑さ。小さな木製の麹蓋がびっしりと積み上げられ、中には白いきれいな麹が入っていた。米粒一つ一つが薄いベールをまとったようで、中までしっかり麹菌を食い込ませる「総破精(そうはぜ)タイプ」の麹だ。かじるとほっくりとしたクリのような深いコクのある甘み。秋田のお母さんたちの芯の強さとやさしい温もりを感じさせるような麹だった。

日々の食卓に息づく発酵文化はこの地域の貴重な財産。少しずつ進化を遂げながら、これからもずっと長く続いてほしいと鈴木さんは願っている。

羽場こうじ茶屋くらを
鈴木百合子(すずきゆりこ)さん
秋田県横手市増田町出身。1973年、大正7年創業〈羽場こうじ店〉の次女として生まれる。競技スキーの名門県立花輪高等学校に進学。その後、県外で仕事に従事するも内分泌系の病気を患い、自身の転地療養として2010年、横手へ帰郷。旬の食材を用いた母の料理で復活した経験から、「食」の大切さ伝える店〈羽場こうじ茶屋くらを〉を2013年開店。麹のチカラを活かした素直な地元の家庭料理こそ、現代の私たちに必要な食であることに気がつき、平均年齢65歳の地域のお母さんと共に、秋田に根づく麹をふんだんに使った四季折々の料理を食事という「体験」で伝えている。

羽場こうじ茶屋くらを
羽場こうじ店