本誌巻頭エッセイ、寿木けいさんの「ひんぴんさんになりたくて」。ひんぴんさんとは、「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」=教養や美しさなどの外側と、飾らない本質が見事に調和した、その人のありのままを指す​、​という言葉から、寿木さんが生み出した人物像。日々の生活の中で、彼女が出逢った、ひんぴんさんたちの物語。

「特定の誰かを傷つけたわけじゃないのに、騒ぎすぎじゃない?」
これは、牛丼チェーンの元常務による「右も左も分からない生娘を薬漬け」 発言と、その後の一連の騒動を受けての、女友達の感想だ。
渋谷の和食店のカウンターでおいしそうに日本酒を飲む彼女に、
「いや、私は傷ついたよ」
私は迷わずこう答えた。
二十年以上前、大学進学を機に上京した私は、右も左も分からない十八歳の女の子だった。 池袋で迷子になったこともある。知らない男性に声をかけられたし、電車でも、路上でも、痴漢に遭った。そうやって、東京をはじめた。
あれからずいぶん年月が経ってるんだから、さすがにもう傷つかないはずだというひとがいたら、それは違う。
私は、当時の自分が暴力的な表現で辱められたことに傷ついたし、これまで生きてきた姿が、金儲け主義のもとで消費されていくことに腹が立った。十八歳の自分は、通り過ぎて遠くへ消えたのではなく、今もちゃんと生きている。
こういう話題は、センチメンタルになりがちだけれど、この感情をみごとに表現してくれたひとがいる。

三月の終わりに、キョンキョンの四十周年コンサートに出かけた。会場は中野サンプラザ。アルバムを聴き込んで楽しみにしていた、とっておきの夜だった。
キョンキョン。小泉今日子さん。十六歳でデビューして以来、多才で、おしゃれで、群れてなくて、いつだって活躍を仰ぎ見る憧れのひと。
ヒット曲が続いて盛り上がったあと、息をととのえながら、彼女がこんな風にMCをはじめた。
「みんな、時間って、縦に並んでいるって思うでしょう? 過去は自分の後ろにあって、未来は前にあって」
一体どんな話がはじまるんだろう。どこに連れて行かれるんだろう。
「でもね」
キョンキョンはひと呼吸置いてから、
「私は横だと思う」
と言った。
十代の私も、七十の私も、となりに並んでる。挑戦するのはいつだって怖いけど、でも、今の自分が一歩前に進むことで、あの頃の私も未来の私も、せーのって、一緒に進んでるって気がする─── 一字一句正確かどうかは自信がないけれど、こんな流れだった。
会場の熱量が一点に集中し、すっと静かになった。リアルでしか味わえない、あの興奮。みんな、一文字たりともこぼさないように、全身に帆を張っていた。そして、一直線に並んでぴょんと前に出る、たくさんのキョンキョンを想像したはずだ。こういう瞬間に立ち会う自由のために、私は毎日を乗り切っている。
今日の選択が明日に影響を与えることは、よく理解できる。でも、過去だって、現在と未来と同じように、大切に慈しんで育てることができるのだ。キョンキョンのように、目を凝らして、歩き続けることを諦めなければ。

冒頭の女友達にも、キョンキョンの発明を共有したいと思った。
カウンターに並んだ夜、
「いや、私は傷ついたよ」
に続けて、私はこう切り出した。
うまく伝えきれるか分からないけど、話したいことがあって。この前、キョンキョンのコンサートに行ってきたんだ。そこでね───
友人の視線の強さが変わるのが、となりにいて分かった。
終わりまで聞いてから、彼女はこんな話をしてくれた。
中学受験に失敗した十二歳のときの気持ちを、三十年経っても忘れていないこと。「どうせまた失敗する」という恐れを抱えながら、仕事も、恋愛も、ずっと、なんとかこなしてきたこと。
そしてこうも言った。
「さっきは誰も傷つけてないなんて言ってごめん。そうだよね、傷つくんだよ」
たとえ一方の意見への否定から会話がはじまったとしても、互いに胸の内を持ち寄り、新しい対話へと深めていける友人を得たことは、私の幸運のひとつだ。
その夜は、カウンターにもうひとり、十二歳の彼女が加わった。十八歳の私も、もちろん、座っている。過去に報いてやることは、きっとできる。私たちは生涯をかけて、そう生きられるように取り組んでいくのだと思う。

イラスト・agoera