2007年2月に首都圏から居を四国地区に移し13年目。「さすらいの四国探題」の異名を背に四国球界でのホットな話題や、文化的お話、さらに風光明媚な写真なども交え、四国の「今」をお伝えしている寺下友徳氏のコラム「四国発」。しばらくお休みを頂いておりましたが、また今回から再開いたします。

 第55回は特別編。9月21日・横浜ÐeNAベイスターズとの直接対決を3対2で制し、5年ぶり37回目のリーグ優勝を成し遂げた読売ジャイアンツの優勝スコアを叩き出した「救世主」増田 大輝内野手(小松島高・徳島インディゴソックス出身)について本邦初公開の秘話を記します。

「あの電話」から始まった増田 大輝の上昇ロード

小松島時代の増田 大輝

 あれは6年前、2013年のちょうどこの時期だったと思います。私の携帯電話に突然、普段かかってこない電話番号から電話がかかってきました。
 電話の主は当時、徳島インディゴソックスの代表を務めていた坂口 裕昭氏(現:四国アイランドリーグplus理事長)。第一声はこうでした。「寺下さん、増田 大輝って知っています?」

 知らないはずはありません。小松島時代は身体能力抜群の遊撃手。最終学年は主将とリリーバー、そして最後の夏はエースとして大車輪の活躍をした男。2年時の徳島大会決勝戦では鳴門の執念に、最後は準決勝で徳島商の前に屈しましたが、常に強気の中にも優しさを兼ね備えるナイスガイでした。

 しかし、なんで増田のことを突然?確か彼は近畿大に進学したはず。「いや、実は彼は近大を辞めていて、ウチに入りたいという話があるんです」そう、要は「大工の棟梁から増田の紹介があって、最初に寺下さんに聞いてみようと思った」身分紹介だったのです。

 ということで私は先に書いたことをそのまま述べ、そして当然知っている四国アイランドリーグplusの簡単ではない環境も掛け合わせながら最後にこう言いました。
 「やれると思います」

 2年後の2015年ドラフト会議、増田 大輝は読売ジャイアンツから育成1位指名を受け、徳島インディゴソックスを巣立っていったのです。

「努力なきものに幸運は訪れない」に勇気をもらった夜

ドラフト指名を受けた時の増田 大輝

 もちろん、彼の現在があるのは2年間の徳島インディゴソックスでの生活で決して野球に対して妥協を許さず、増田 大輝自身の努力が一番なのは間違いありません。

 実は今年のはじめ徳島県藍住町の「インディゴコンディショニングハウス」で自主トレーニングに励んでいた増田選手と数年ぶりに会う機会がありましたが、その身体は瞬発性を保ちつつ筋肉の鎧をまとったよう。さらに一昨年の支配下選手登録から昨年の二軍定位置獲得。そして今年の右打ち、ユーティリティー性を見れば巨人に入って自分の持ち味をさらに高めてきたことが容易に理解できるパフォーマンスでした。

 また、読売ジャイアンツコーチ・スタッフ、家族のサポートはもちろんのこと、彼の徳島インディゴソックス入団を決めた坂口氏、入団1年目に甘いメンタルを全て排除した島田 直也監督(現:横浜DeNAベイスターズフロント)、1年目は野手コーチ・2年目は監督として彼の技術を押し上げた中島 輝士(元日本ハムファイターズなど)の存在。さらに増田を見出した読売ジャイアンツ・渡辺 政仁スカウトの眼力も忘れてはならない点。そして何よりも地元で声援を送ってくれたファンの皆さんがあったからこそ、彼は今の地位を築けたといっていいでしょう。

 「努力は必ず報われる」とは限りませんが「努力なきものに幸運は訪れない」ことは確か。「あの日」から3年、延長10回表に決勝タイムリーを放ち、徳島インディゴソックス時代におなじみのセカンドから歓喜の輪に加わっていった増田 大輝が、私も含め多くの人たちの心を動かす素晴らしい野球人になったことを本当にうれしく思います。

(文・寺下 友徳)