最速147㎞/hを投げる本格派左腕として、ドラフト候補に挙げられている丹生の玉村 昇悟。主将・エースとして臨んだ最後の夏はセンバツ出場校の啓新、甲子園通算12度出場の強豪・福井工大福井を破って決勝進出。敦賀気比に敗れて甲子園出場とはならなかったが、2009年の敦賀気比・山田 修義(オリックス)が保持していた大会通算49奪三振を超える52奪三振をマークした。今回は地元の公立校からプロ注目の投手へと成長した過程を追っていく。

「卒業したらプロに」入学前に監督に語っていた

インタビューを受ける玉村昇悟(丹生)

  福井県越前町で生まれ育った玉村は3歳年上の兄がプレーしていた影響で、小学4年生の時に野球を始めた。最初は右でも左でも投げていたというが、グラブを購入する時に「左の方が投げやすかった」という理由で左利きのグラブを購入。こうして「左投げ・玉村 昇悟」が誕生した。

 ちなみに字を書くことやお箸を持つこと、バドミントンなど、野球以外は全て右利き。左の方が投げやすいのかは本人もよくわからないそうだ。

 野球を始めた当初から投手をやっていたが、意外にも「最初はあまり好きじゃなった」と話す。その理由からは「目立つから」だという。あまり目立つことの好きではない性格の玉村は「恥ずかしかったので、別の目立たないところが良かった」と思っていたそうだ。それでも「良い球が投げられるようになるにつれて、抑えられたりするので、楽しくなってきました」と徐々に投手の魅力を感じられるようになっていた。

 中学では越前町立宮崎中の軟式野球部に所属。公式戦で打ち込まれることは少なかったが、同地区に敦賀気比の投手として甲子園に出場した黒田 悠斗を擁する鯖江市立中央中に敗れ続け、地区大会を勝ち上がることができなかった。

 高校は家から車で15分と近く、兄も通っていた丹生に進学を決めた。中学時代に同地区で戦ったライバルたちが進むと聞いていたことも決めての一つになったという。

 余談だが、入試の面接で面接官を務めていた春木竜一監督の前で、「3年生の頃には全国の選手と張り合えるようになって、卒業したらプロに行きたい」と宣言していたそうだ。だが、当の本人は覚えていなかったようで、取材の前日にその時のエピソードを教えてもらったという。それにしても3年後に有言実行したと言っても差し支えないほどの活躍を見せたのだから立派なものだ。

休みながらじっくりやれたからこそ成長できた

玉村昇悟(丹生)

 丹生では1年春からベンチ入りしたが、入学してすぐの頃は「全然、通用しなかったですね」と振り返る。現在の身長と体重が177㎝75㎏なのに対して、当時は175㎝64㎏。球速も120㎞/h台後半と体つきも投げているボールも今とは程遠いもので、今のような活躍は想像できていなかったという。

 丹生は甲子園に出場したことのない全国的には無名の高校だ。だが、強豪校ではなかったからこそ順調に伸びることができたと玉村は感じている。

「私立に行くと、争いが激しくなって怪我とかしていたと思うので、高校でじっくりできたのが良かったです。ちょっと痛いところがあったら痛いと言って休ませてもらっていました」

 玉村の代は選手10人と決して多いわけではない。人数が多いチームに比べて、競争は激しくなかったが、それがかえって玉村にはプラスに作用していた。メンバー入りするために無理をすることなく、マイペースで実力を伸ばすことができていたのだ。部員の多いチームに行っていたら、自分の体の状態を顧みずに練習をしていたかもしれないと話す。

「今だったら我慢できると思うんですけど、入ったときはあまり自立してなかったので、他人に合わせて練習してしまっていたと思います」

 このようなノビノビとした環境で1年秋からエースとなり、すくすくと成長した。そして、3年の春に「キャッチボールをしていて、距離が離れてもボールが落ちないようになりました」と自らの投球に手応えを感じられるようになる。その理由の一つに体幹の強化が挙げられる。逆立ちやバランスボールを使ったトレーニングを積むことで体幹を強化。それにより、ノビのあるボールを投げられるようになっていた。

 春木監督もYouTubeなどを駆使して玉村に合ったトレーニング提案し、二人で吟味してきた。また、上半身の力に頼らず、下半身の出力を出せるようなフォームの改善にも着手。もちろん、フォームをいじることでバランスを崩すことへの怖さはあった。だが、春木監督はその最中で玉村の凄さを実感する。

「彼の一番凄いところはどれだけいじってもコントロールが乱れない。指先の感覚は天性です。プロに行ってコントロールで苦労することはないと思います」

 投手にとって指先の感覚は大事な要素の一つである。玉村はリリースの意識について、「ボールの離れる位置が前の方が良いので、気にしているのはそこだけですね」と語る。フォームを変えても自分の大事にしているところを見失わなかったことで、投球を崩すことはなかったそうだ。

 前編はここまで。後編では最後の夏についてやプロに入った時の目標を語ってもらいました。後編もお楽しみに。

(取材=馬場 遼)