2020年度を代表する剛腕・高橋 宏斗。184センチの長身から投げ込む速球は最速148キロ。ツーシーム、チェンジアップ、スライダー、カーブを武器に東海大会、明治神宮大会優勝を果たし、大きく評価を上げた。

 そんな高橋の歩みを振り返るととおもに、さらに投手としてレベルアップするために課題を追った。まずは剛腕投手になるまでのルーツから。

かつてのチームメイトも驚く4年間の成長

印出太一とともに映る高橋宏斗

 緩やかに投手としてのスケールを大きくしてきた。
 小学校2年生の時から野球をはじめ、主に二塁手、遊撃手としてプレーし、小学校6年にはドラゴンズジュニアに選ばれるなど、才能は光っていたが、まだ剛腕投手の片りんは見えていない。

 そのドラゴンズジュニアにはのちにチームメイトとなる印出 太一がいた。印出は高橋について「やんちゃな奴だと思いましたね。今と比べると体が小さく、投手をやるイメージはなかったです」と振り返る。

 一方、高橋は印出たちについて「印出もそうですけど、ほかの選手は僕に比べて体が大きい印象しかなかったです」
 印出は5番を打っていたが、高橋は守備力を評価されて、2番ショート。ここまでは剛腕投手になるイメージは沸かない。

 転機となったのは中学2年だ。当時、豊田シニアに所属していた高橋は、チーム事情のため、投手へコンバートとなる。投手には147キロ右腕・藤井 翔(東海大菅生)がいた。藤井がエースで、高橋は控え投手の立場だった。

 「藤井はストレートは速いですし、変化球も切れる。そして足も速く、身体能力は凄いものを持った選手でした。あいつに負けたくないと思ったのも今の成長の原動力なのかなと思います」



1年生の秋の大会での高橋宏斗

 だが、高橋も体の成長によって球速も速くなる。中学3年夏にして最速134キロに到達。そして豊田シニアの指導者から中京大中京の進学を勧められ、名門の門をたたくことになった。

 高校入学にした高橋はさらに身長が伸び、180センチ台に到達。トレーニングを重ね、1年夏には140キロに達する。この成長に驚いていたのは、中日ジュニア以来の再来となった印出だ。

 高橋について「かなり大きくなっていましたし、受けてみたら、誰よりも速くて、僕らの学年にはエースになるだろうなと感じていました。実際にその通りになりましたし、さすがだなと思いましたね」

 そして1年夏にはベンチ入り。さらなるステップアップへ向けて、高橋は学生コーチから指導を受けた。
 「投手の基本についてはこの方から多くのことを学び、投球フォーム、間合いの取り方を学びました」

 1年秋になると、さらに恵まれた素質が引き出されて、最速146キロまでレベルアップ。この時、一塁を守っていた印出も「横から見た感じですけど、さらに凄くなっていると実感しました」

 こうして小学6年生時、中日ジュニアで2番ショートだった高橋はわずか4年間で146キロの大型右腕へ変貌したのだ。

2年夏の負けがさらに成長させるきっかけに

神宮大会でも千賀滉大のように実践していた三塁側を見た高橋宏斗

 2年生になると、常時140キロ中盤の速球、スライダを武器に投げられる剛腕へ成長。中心投手へ成長し、夏から正捕手になった印出ともに甲子園を目指した。しかし夏の愛知大会準決勝で誉戦で先発した高橋は7回途中まで5失点。後半に打たれ勝ち越しを許し、甲子園出場を流した。

「自分が投げて負けているので、この負けは絶対に生かさないといけないと思いました」

 もう一度、高橋は自身の投球フォームを見直す。投げ終わったときに一塁側に倒れる癖があった。高橋はこの要因について、「ずっと本塁方向を見ていて、身体が本塁方向に倒れてしまっていました」

 そこで取り組んだのが千賀 滉大のように三塁方向を見るようにした。
 「やはりピッチングにおいてバランスが一番重要だと思います。自分の課題は投げ終わった時のバランスがバラバラだったところがありましたので、それを直すことをはじめ、さらにボールの質、変化球をもう一度見直すことを重点的に置いて行いました」

 この負けが自分を見つめなおし、高橋をさらに成長させるきっかけになったのだ。

 前編はここまで。後編では秋季大会から神宮大会、秋の日本一への軌跡。そして最終学年の目標も語ってもらった。後編もお楽しみ!(後編を読む)

(取材=河嶋 宗一)

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