お正月のテレビ番組で元プロ野球選手を相手に堂々たるピッチングを披露した大津瀬田ボーイズの山田陽翔。最速142キロのストレートを投げる逸材で、1年生時にカル・リプケン12歳以下世界少年野球大会、3年生時に世界少年野球大会にそれぞれ日本代表として出場した実績を持つ。

 名実ともにスーパー中学生の名をほしいままにした山田は高校でも超高校級の活躍が期待されている。今回は全国を代表する中学球児となった彼の魅力に迫ってみた。

野球が大好きで自主練習に積極的に取り組む

山田陽翔(大津瀬田ボーイズ)

 出身は滋賀県栗東市。父の斉さんは東邦高校野球部OB、兄は大阪桐蔭で活躍し、4月から日体大への入学が予定されている優太だ。幼い頃に父と兄が公園でキャッチボールをしているのを見て野球に興味を持つようになり、小学1年生から治田西スポーツ少年団で野球を始めた。1学年上には近江のエースである島瀧悠真がいたそうだ。

 小学生時代のポジションは投手ではなく、捕手だった。しかし、膝の状態が思わしくなく、「座っているのがしんどかった」という理由で中学から投手に転向。チームは「兄を超えたいと思ったので入りました」と優太も所属していた大津瀬田ボーイズを選んだ。

 中学生になってボールが軟球から硬球に変わる中で、「(マウンドからホームまでの)距離が変わったので、いかに速く投げるかということを考えていました。まずは肩を強くしないといけないので、遠投や握力を鍛えていました」とはじめに肩の強さに磨きをかけることにした。

 大津瀬田ボーイズは土日祝日しか活動しないため、平日は自主練習となる。いかに自分で練習するかを求められる中で、「振り込んだり走りこんだりして土日以上に体を使うようにしていました」と話すように日頃からの努力を惜しまなかった。斉さんによると練習熱心なあまり、リビングで汗だくになりながらトレーニングしていたこともあるそうだ。

 この野球に対する情熱が山田の一番の武器かもしれない。大津瀬田ボーイズの山尾茂監督は山田について「野球が本当に好きな野球小僧」と話していたが、グラウンドの姿を見ていても非常にイキイキとしているのが伝わってくる。他の選手のプレーを見ながら楽しそうに声をかける姿は野球小僧そのものだった。この姿勢を忘れなければ上手くいかない時があっても挫けずに立ち向かっていけることだろう。

チームを引っ張り、注目を浴びても一番練習する

投球中の山田陽翔(大津瀬田ボーイズ)

 また、投手出身の山尾監督から柔軟体操の重要さを説かれてからは毎日欠かさずに取り組んだ。それにより、「球のスピードやノビ、スピードを意識できるようになりました」とボールの質が向上。2年生の秋には139キロが出るようになっていた。

 最上級生となってからは主将に就任。
「やるからには勝ちたいので、自分だけではなく、周りにも声をかけて、勝つように意識していました」と自覚も芽生え、精力的にチームを引っ張った。
 山尾監督は「彼がチームを引っ張ってくれて、それで周りのレベルも上がっていきました。今の3年生は彼を中心としたようなチームでした」と山田のリーダーとしての資質を認めている。

 性格的には非常に明るく、ムードメーカー的存在だ。能力面、人間性を踏まえても彼がチームの中心になるのは必然的なことだった。高校でもプレー、言動の両面でチームを引っ張っていく存在となることだろう。

 誰もが認めるチームの顔となった山田は昨年3月に大阪で行われた「ニューバランスチャレンジ」のスピードガンコンテスト(その時の記事がコチラ)で出場選手最速となる139キロを記録して脚光を浴びた。

「あのような注目される中で自分の持っている力を出せたので、凄く成長できたと思います」とさらなる飛躍のきっかけとなったようだ。

 3年生になると周囲の視線も熱くなったが、「注目される方がアドレナリンがいっぱい出て、いい刺激をもらえます」と重圧に感じることなく、本来のパフォーマンスを発揮した。かといって天狗になるわけでもなく、「一番多く練習している子だと思います」と山尾監督が話すようにひたむきに努力を続けていた。

 山田の代は全国に繋がる大会で思うような結果を残せなかったが、ローカル大会で4つの優勝を成し遂げている。その中でも「『勝ちに行くぞ』と言った試合で優勝できたので、凄く雰囲気が良かったです」という4月の大阪阪南大会が最も印象に残っているそうだ。

 今回はここまで!次回の後編では話題になったテレビ出演、二刀流への思いを語ってもらいました。後編もお楽しみ!

(記事=馬場 遼)


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