右ひじ手術で試合登板は10試合以下 ケガを乗り越えた苦労人が大学準硬式の全国大会へ

創価大・茂見 勇輝投手(3年=関西創価)

<関東地区準硬式全日本大会予選会:創価大4-1関東学院大>

 9月より愛知県で開催される清瀬杯第54回全日本大学選抜準硬式野球大会への出場権をかけて、創価大(新関東連盟)と関東学院大(神奈川連盟)が対戦し、創価大が関東学院大を下して、清瀬杯への出場権をつかんだ。

 負ければ全国大会への道が閉ざされるなか、背番号10の主将が右腕を最後まで振り続けた。
 創価大の主将にしてエースの茂見勇輝投手(3年=関西創価)が9回完投。最後のアウトを取った瞬間、右腕を高々と突き上げて喜びをあらわにした。

 球速は120キロ後半がほとんど。決して突出したスピードではないが、ツーシーム主体の小さく動かす球種を主体に、時折交ぜる110キロ台のスライダー、スプリットと落ち幅の違う2つの変化球も使って、関東学院大打線に1点しか与えなかった。

 粘り強い投球で主将、エースとしての責務を全うしたが、この勝利には茂見にとって大きな意味があった。

 中学時代は軟式出身だったが、高校から硬式野球の世界へ。同級生と切磋琢磨してきたが、「身体が強くなかったので、1年生の秋に突然来ました」という右ひじの痛みに襲われる。

 診断結果は疲労骨折。けがを治すため、ボルトを入れる手術を11月に敢行し、翌年の2月にボルトを抜いた。当時の手術跡は今も残っているが、深刻だったのは手術後だった。

 リハビリ生活を送るも、なかなか状態が改善されず、投球練習は全くできない。練習は走り込みでの下半身強化とノックのサポート。そして打撃練習ではマシンに球を入れるなど、選手として過ごした時間はほとんどなかった。

 治ることを信じてチームをサポートし続け、3年生春にようやく練習試合に復帰したものの、1年以上のブランクは大きく、最後の夏もベンチ外。公式戦登板なし、練習試合も10試合登板したか否かほどで、満足できる高校野球生活ではなかった。

 つらかった3年間の経験、さらに医者からも「野球はやめておきましょう」と野球と離れることを勧められていた。両親からも引退を勧められていたこともあり、「高校で野球から離れよう」と野球界から引退することも心に決めていた。しかし、準硬式野球を見学する機会があり、実際にグラウンドに行くと、関西創価時代の先輩たちの生き生きした姿を見て、再び火が付いた。

 悩み抜いた末に、公式戦のマウンドに上がるために、準硬式野球の世界を選んだ。
 ただ、球が変わって肘の負担が減ったとはいえ、両親を説得して入部している以上、もう二度とケガはできない。投球フォームも肘に負担がかからない投げ方を模索し、体へのケアも入念に取り組むようになった。さらにチームからの許可をもらい、投球するのは週1、2回で他はサポート。連投もしないという条件を理解してもらい、現在も右腕を振り抜いている。

 「条件を言ってもやらせてもらいたかったんですが、指導者がおらず、選手たちだけだからこそ、できたことだと思います」

 自身の野球人生で初となる全国の舞台をつかんだことに「嬉しいです」と改めて喜びをかみしめているようだった。そんな茂見は清瀬杯に向けて、「活躍した姿をなかなか見せられなかったので、清瀬杯でいいプレーを見せたいと思います」と結果を残すことを誓った。

 高校時代を3年間ケガで終わってしまったが、現在は向き合いながら大好きな野球を継続している。同じくケガで苦しんでいるであろう高校球児たちに「大学で一緒に輝こうよと言いたいです」とメッセージをもらったが、茂見だからこそ言葉の重さは、他とは違うように感じられた。

 9月から愛知県で清瀬杯大会は開催されるが、全国の舞台で快投を見せ、ケガで高校時代に挫折しても大学準硬式には活躍できる場所がある。両親への恩返しとともに伝えることができることを楽しみにしたい。

(記事=編集部)