画像は日本初のサッカー国際マッチ…ドイツ人捕虜たちと”広島代表”らの記念写真(「ふるさと似島」編集責任者・浜本義幸氏所蔵)

 

サンフレッチェ広島は5月28日、クラブ公式HPで「広島サッカーの歴史」ページを公開したことを発表した。

「広島サッカーの歴史」ページは、公益財団法人広島県サッカー協会が2010年に発行した「栄光の足跡 広島サッカー85年史」の内容を、同協会の承認を得て要約・抜粋するなどコンパクトにまとめたもの。

 広島は今年の8月6日で被爆75年を迎えるが、被爆の惨禍から立ち上がった人々に勇気や希望を与えたサッカーをはじめとする広島スポーツに改めて焦点を当てたかっこう。

サッカー王国広島の歴史はコロナ禍により変則開催となったサッカー天皇杯の歴史とも重なる。

予期せぬパンデミックにより世界中が混乱する中、広島の人々やサッカーを愛する人々へ向けてのメッセージにもなる。

なお、ひろスポ!ではこれまで、広島スポーツ100年取材班によって同様の記事をアップし続けている。

 

 サンフレッチェ広島 仙田信吾代表取締役社長の話

Jリーグ再開の光が見えてきました。このタイミングで、これまで準備を進めてきた「広島サッカーの歴史」を 当クラブホームページに掲載できることに、大きなご縁を感じています。 

広島のサッカーは、第一次世界大戦のドイツ軍捕虜収容所が似島にあったことで、広島高等師範学校とのサッカーの交流が始まり、当時においては極めて珍しい本格的国際親善試合開催につながっています。

ドイツ式のサッカーを身につけた広島チームは、戦前から無敵を誇りました。 

そして、原爆の惨禍からわずか2年後、広島高等師範学校付属中学が 全国蹴球大会で優勝するという奇跡の勇気の記録が生まれます。校舎は倒壊、校庭は芋畑になっていたのを整地し直し、ボールはたった一個しかなかった中での再起でした。ただし、広島のチームだけが、左右両足でボールを操れました。ここからサッカー王国広島の怒涛の進撃が始まります。

その延長線上に、東洋工業サッカー部の前人未到の4連覇が生まれ、マツダが母体になってサンフレッチェ広島が生まれます。広島サッカーの歴史は、自ら希望となって、復興を支え続けた歴史でもありました。

 コロナ禍を克服しようとする広島の人たちにとって、この歴史を今一度ご覧いただくことが、何事か、勇気を与える、お役に立てるものになることを希望します。


※ひろスポ!の同様の記事内では、似島の画像など詳細も掲載してあります。