画像右から3人目が左山桃子選手


サンフレッチェ広島レジーナ、左山桃子パンとベーグルとチームの勝利と我がままのススメと広島の夢と…(2)


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第1回から続く…

…なので、スバリ、左山選手には(ひろスポ!から)聞いてみた。「レジーナに来てまだ1年…、で2月19日にはお誕生日を迎えます。30歳の誓いを年明けされましたか?」

左山 そうですね、私の中でも、ただ単にやるだけっていうのじゃなくて、もっともっと引っ張っていける選手にならないといけないなと感じましたし、チームのために、しっかり勝利に貢献できる選手になれるように頑張りたいと思います。

チームの中では年下の選手から「ももさん」と呼ばれ、親しまれている。でも「もっともっと引っ張っていける選手にならないといけない」と誓いを立てた。

 

 

左山桃子、1992年生まれ。広島がアジア大会開催を2年後に控え“燃えまくっていた頃”にそのメイン会場からさほど遠くない大規模振興住宅地で育った。

「常に外で誰かしらと遊んで、ドッジボールしたり、ケイドロ(※1)したり活発に遊んでいました。小1から小5までキックベースボール(※2)をずっとして、それからサッカーに夢中になりました」(左山)

※1ケイドロ…鬼ごっこの一種で刑事と泥棒に分かれて遊ぶ
※2キックベースボール…コートほかルールは野球と似ている。投手が転がしたボールをバッターの代わりにキッカーがホームベース付近で蹴って安打などを狙う

兄ふたりもサッカー人生を歩み、その名は早くから知られていた。当時のことをよく知る関係者は「ももちゃんは小・中学生の時スーパースターだった、必ず“プロ”になれる」と言い切っていた。当時から身長が高く秀でた動きを見せるFWだった。

静岡産業大学(磐田ボニータ)2年まで点取り屋。その後、ボランチやDFを経験して、アルビレックス新潟レディースではDFに活躍の場を移した。

 

ゼロからスタートしたサンフレッチェ広島レジーナはポジション争いもゼロからのスタート。しかし、コンディションを万全にするまで時間がかかり、WEリーグ開幕戦もベンチには入ったが出番はなかった。

2021年9月18日の第2節、ホーム開幕戦もベンチスタート。小・中学校時代の仲間たちや指導者ほか関係者がたくさん広島広域公園第一球技場にやって来た。中村伸監督の配慮があったのだろうか。後半40分、スタンドからの拍手とともに途中出場した。

残念ながら小学生時代に所属していた藤ノ木JFCは数年前に解散した。振興住宅地は子どもたちの成長を見送り、やがて成熟する。

 

 

生まれ育った空の下にホームスタジアムを構えるサンフレッチェ広島レジーナで、なでしこリーグなどで実戦を重ね、ユニバーシアード競技大会ほか国際大会で修羅場を潜ってきた経験を活かしその力を存分に発揮すれば、この先どんな風景に出会うことができるか…

WEリーグ第4節以降と皇后杯2試合はすべてフル出場で、最終ラインを懸命に守り、前線にパスを送り続ける。リーグ戦出場数はやがてトータルで200試合を超えることになる。

※サンフレッチェ広島レジーナ、左山桃子パンとベーグルとチームの勝利と我がままのススメと広島の夢と…(3)に続く