◆報知新聞社後援 プロボクシング トリプル世界戦 ▽WBA世界ミドル級王者決定戦 暫定王者・アッサン・エンダム―同級2位・村田諒太(20日、東京・有明コロシアム)

 ボクシング12年ロンドン五輪ミドル級金メダリストでWBA同級2位・村田諒太の同級王座決定戦(報知新聞社後援)は、ゴングまであと5日となった。

 村田は奈良・伏見中時代にボクシングと出会った。小学6年時に両親が離婚。心は荒れ、中学1年で髪を金色に染めたりもした。上級生に目を付けられ、ケンカを繰り返す日々。担任教諭だった北出忠徳(52)は「弱い者をいじめる子ではなく、私が仲裁したケンカは彼1人対複数が多かった。どこか、くすぶっているようだった」。見かねた北出が、旧知の奈良市内のボクシング教室を勧めると、村田も「行ってみる」とうなずいた。

 だが、すぐに挫折した。村田は「走るのがキツいから辞めた。練習前に500メートル5本、800メートル2本を走らされ、ついていけなかった」。転機は中2の時。「先輩とケンカになり、殴って髪の毛をつかんで抑えた。僕の勝ち。でも翌日『村田が負けた』とうわさになり、こいつらとやり合ってもしょうがないと思った。リング上で強いのを証明するのはかっこいい。これだな、とおぼろげに思った」。中3になる春、自宅から通える進光ジム(大阪市)の門をたたいた。

 同ジムのトレーナーだった渋谷清(49)=現KSボクシングスクール代表=は振り返る。「彼は1人でジムに来た。ボクシングがやりたいんです、と」。もう挫折することはなかった。初夏。練習に通い続ける村田の熱心さとパンチ力を買っていた渋谷は、4回戦のプロ選手同士のスパーリングで欠員が出た際、「やってみるか?」と村田をリングに上げた。「彼は笑いながらへッドギアとグラブを着けていた。危ない状況になったら即、ストップしようと思っていたが…」

 1ラウンド、開始1分ほど。当時ライト級(61・2キロ以下)ほどだった村田が、スーパーライト級(63・5キロ以下)のプロ相手に、右ストレートを顔面にさく裂させた。プロ選手はリング中央からロープまで吹っ飛ばされてダウン。渋谷がスパーを止めたのは、ふらふらになったプロを見てのことだった。衝撃のKO劇にジム内は静まり返った。当時の進光ジムで村田にアドバイスを送った元日本スーパーライト級王者・桑田弘(51)は「彼は人間性がファイター。根っから殴り合うのが好き」と素質を見抜いていた。

 その秋。桑田の母校・南京都高(現京都広学館高)ボクシング部に出げいこした際も、中3の村田はスパーで高2部員を右ストレートで吹っ飛ばした。のちに恩師となる同部監督(当時)の武元前川(故人)は「うちの高校へ来い」と誘った。村田のボクシング人生が本格的に始まった。(敬称略、特別取材班)