◆南東北総体(6日・福島明成高)

 重量挙げ105キロ級で、沢登健太郎(日川3年)がトータル295キロ(スナッチ130、ジャーク165)で初優勝を飾った。名プロレスラーで同校OBの故・ジャンボ鶴田さんが愛した「人生はチャレンジだ」が、幼少からの座右の銘。スナッチでは大会記録(132キロ)更新へ果敢に挑戦するなど信念を貫き、選抜大会(3月)に続く金メダルを獲得した。次なる目標は10月の国体(愛媛)での高校3冠だ。

 初優勝を確信した沢登が両拳を握りしめ、ありったけの声でほえた。ジャーク3本目、165キロを難なく成功させた。2位にトータル12キロの大差をつける圧勝劇。会場は大拍手に包まれたが、主役の胸の内は複雑なまま。「ずっと日本一を目指してきたので気合が入っていた。好結果はうれしいけど、(競技最初の)スナッチで悔しさが残った」と喜びと反省が交錯した。

 自己ベスト135キロを持つ沢登は、スナッチ2、3本目に大会記録(132キロ)更新を目指して、133キロに挑戦。だが、バランスを崩して連続で失敗した。「まだまだ努力が足りないということ。もっと上を目指してチャレンジして練習を積まないと」。3月の選抜大会に続く全国タイトルにも満足感はなかった。

 幼少の頃から心に刻む座右の銘がある。人生はチャレンジだ―。地元出身の名プロレスラー、故・ジャンボ鶴田さんの墓石に刻まれた言葉。山梨市の実家前に、その英雄が眠る慶徳寺がある。「僕はジャンボ鶴田さんの小、中、高の後輩。物心ついた時には周囲の方から『心身ともに強かった人』と教えられた。五輪にも出て尊敬しています」。通学途中、必ず墓石前を通ることもあり、「小1から毎日、手を合わせた。あの言葉とともに僕は成長してきたんだと思います」と続けた。

 将来の夢に、五輪の金メダルを掲げる18歳は、休まず突き進む。次なる目標は国体(10月)での高校3冠。昨年のリオ五輪重量挙げ日本代表に、同校OBの中山陽介(笛吹市役所)が選ばれたことも発奮材料だ。「3年後の東京五輪には間に合わないかもしれないけど、いずれ世界にはチャレンジする」。一歩ずつ、名リフターへの階段を上っていく。(小沼 春彦)

 ◆ジャンボ鶴田さんの足跡 1951年3月25日に東山梨郡(現山梨市)で生まれた。本名・鶴田友美。日川高ではバスケットボール部に所属し、中大でレスリングを始めた。72年ミュンヘン五輪にアマレス日本代表として出場。同年10月に全日本プロレスに入団した。84年、ニック・ボックウインクルを破り、日本人として初のAWA世界ヘビー級王座を奪取。96年からは慶大、中大、桐蔭学園横浜大で非常勤講師を務めた。2000年5月、フィリピンで急死(享年49)した。

 ◆沢登 健太郎(さわのぼり・けんたろう)1999年4月28日、山梨市生まれ。18歳。牧丘第二小、笛川中ではバスケットボール部に所属。日川高進学後に重量挙げを本格的に始めた。トータルの自己ベストは302キロ。181センチ、103キロ。家族は両親と姉、祖父母。