◆報知新聞社後援 プロボクシング「ワールドプレミアムボクシング」▽WBC世界バンタム級(53・5キロ以下)タイトルマッチ12回戦 山中慎介―ルイス・ネリ(15日・島津アリーナ京都)

 WBC世界バンタム級王者・山中慎介(34)=帝拳=の、日本記録に並ぶ13度目の防衛戦まであと6日に迫った。スポーツ報知では日本ボクシング史に刻む山中の連載「V13へ 神撃」を15日の試合当日まで掲載。初回は、ファイティング原田こと原田政彦氏(74)=元日本プロボクシング協会会長=。1965年に日本人で初めてバンタム級の世界タイトルを奪取し、日本初の2階級制覇を達成したレジェンドは、「山中は日本ボクシング界が生んだ最高傑作」と語る。

 バンタム級の歴代日本人世界王者をさかのぼると、原点にたどりつくのがファイティング原田氏だ。52年前に「黄金のバンタム」と呼ばれた無敵王者、エデル・ジョフレ(ブラジル)に15回の激闘の末に判定勝ちし、歴史の扉をこじ開けた。

 認定団体が1つしかなく世界王者が全階級で11人しかいなかった時代に日本人初の2階級制覇。「前日計量、12回戦」の現代より過酷な「当日計量、15回戦」で、グラブも現在の8オンスより軽くて生地の薄い6オンスの時代だった。半世紀を経て山中が新たな時代を作る瞬間が迫る。原田氏は「団体が1つしかなかった時代から4団体(注)に増えて、いろんな時代背景の中でたくさんの世界王者が生まれた。誰がいいとか比較するのは難しい。けど、間違いなく言えるのは山中は日本ボクシング界が生んだ最高傑作だということだ」と評価する。

 「最高傑作」たる理由は明快だ。「ボクサーってのは相手が強いヤツほど燃えてくるもんでさ。この年(74歳)になっても山中の試合を見ると血が騒ぐんだよ。僕のボクサーとしての本能を呼び起こすんだな。俺が現役だったら、と」

 1団体11階級だった時代に原田氏が切り開き、山中へと至るバンタム級の系譜。延べ10人の日本人が頂点に立ち、防衛の積算回数は8人でこれまで計44度。そのうち、10度の長谷川穂積氏、12度の山中の2人だけで半分を占める。「僕が4度だから12度はやはりすごいこと。過去何十年と倒し倒されの歴史があって、ベルトが行き着いた先が山中の腰だ。強いヤツ同士で奪い合う、それがベルトの価値を高めるんだ」。原田氏が絶賛する山中の極意は「一番はワンツーだが、その後の3、4発目にある」と指摘。「神の左」と呼ばれる左ストレートでKOにつなげるまでに昇華させたワンツーだけでなく「その後の右フックなどのコンビネーションがこの数試合から良くなってきた」と分析する。

 山中には共感を覚えるものがある。キーワードは「東京五輪」。原田氏は64年東京の翌年にバンタム級の世界王座を獲得。桜井孝雄が日本初となる金メダルをバンタム級で獲得し「ライバル心が芽生えた」という。伊豆・下田合宿では後の男子マラソン銅メダル獲得の円谷幸吉とすれ違い「俺も目立ちたい、なにくそやってやるって、気持ちになった」と原田氏。「振り返ってみれば時代も後押ししてくれたと思う。すごい記録とか歴史が動く時って、何か時代の大きなうねりがあるもんだ。そういう意味では20年東京という存在がそうなのかも知れないね」

 山中のV13戦は、1人の元ボクサーとして見届ける。「神様が若返らせてくれたら、山中の14度目の防衛戦に俺が挑みたいね。スタミナとスピード、手数と足で前にガンガン出て勝負するんだ。もちろん、俺が勝つんだけどね(笑い)」(特別取材班)

 ◆ファイティング原田 本名・原田政彦。1943年4月5日、東京都生まれ。74歳。60年にデビュー。62年10月10日、蔵前国技館で王者ポーン・キングピッチ(タイ)に11回KO勝ちし史上最年少の世界フライ級王者に。バンタム級に転向後の65年、王者ジョフレ(ブラジル)に判定勝ちで日本人初の2階級制覇。69年にフェザー級王者ジョニー・ファメション(豪州)から3度ダウン奪うも露骨な地元判定に敗れ、70年に再挑戦したが連敗し引退。56勝(23KO)7敗。

 【注】世界王座認定団体の原点は国際ボクシング協会(NBA)で、1962年にWBAに改称した後、分派を重ねて現在は4団体(WBA、WBC、IBF、WBO)が主要。各団体17階級の世界王座があり、スーパー、正規、暫定と複雑化し、延べ70人以上の世界王者が存在する。山中をバンタム級の世界王者として認定するWBCは世界最大で、160以上の国と地域が加盟。WBA、IBFに約80、WBOに25前後の国・地域が加盟し、日本はいずれも名を連ねている。