阿部が幼少期から憧れたのが、阪神・掛布雅之2軍監督(62)だった。習志野高では、阿部の父・東司さんとクリーンアップを組んだミスタータイガースが、2000安打を祝してスペシャルな「慎之助論」を展開する。

 掛布が4番・遊撃、東司さんが5番・捕手として甲子園を目指したのが、44年前の1973年だった。

 「阿部の父は、やんちゃなタイプで性格的にもイケイケドンドン。慎之助は父親譲りの熱いモノを受け継ぎながらも、物静かな部分もあるから、キャッチャーとして成功することができたんじゃないかな」

 73年夏は2年連続の甲子園出場はかなわなかった。掛布はドラフト6位で阪神入りし、3年目には打率3割2分5厘、27本塁打。慎之助と初めて出会ったときは、ミスタータイガースとしての地位を確立していた。

 「小学生か中学生だったかで初めて会った。かわいい子だった」

 慎之助は掛布に憧れて左打ちになり、夢の道しるべとなったのも掛布だ。中学卒業後、進路相談に乗った。安田学園高では強肩強打の捕手として、プロも注目する存在に。東司さんに再び進路を相談された掛布は、大学進学をアドバイスした。

 「『息子は、お前のように高校からプロに入りたいと言っている』と言っていた。でも、私は進学を勧めた。当時のドラフトには逆指名制度があったし、将来のことを考えると、大学の4年間はマイナスになることはないと思ったから。ただ、まさかここまで打てるとは思っていなかった」

 巨人の生え抜き選手では、柴田勲以来の2000安打到達だ。

 「阪神も鳥谷の2000安打が目前となってきたが、阪神と巨人は長くプレーする難しさがある。私や田淵さんも途中で…。私たち自身にも責任があるが、名門なゆえに長くやることが難しい面がある。阪神、巨人での生え抜き2000安打は到達した者しか分からない苦労があると思う。記録達成のときに『通過点』という言葉がよく使われるが、鳥谷にしても、阿部にしても単なる『通過点』ではない。大きな勲章としてかみしめ、今後の野球人生を歩んでほしい」