◆広島4―1巨人(13日・マツダスタジアム)

 巨人・阿部が史上49人目の2000安打を達成した。王手をかけて迎えた広島戦、3打席無安打で迎えた9回1死からの第4打席。今村から鮮やかなライナーで右前に運び、プロ17年目で金字塔を打ち立てた。巨人の生え抜き選手としては、80年の柴田勲以来37年ぶり5人目の大台到達だ。阿部番記者だった水井基博キャップが秘話を明かす。

 実は、阿部慎之助はイップスだった。

 こんな話、信じられるだろうか…。

 強肩も売りにした男が、精神的な原因により、キャッチボールですら普通にできない時期があったのだ。「今でも、完全に治ったとは思ってない」とも言う。

 「プロに入って2、3年目だったと思うなあ」―。

 2月の春季キャンプ中だった。ブルペンでイップスは発症した。巨人軍の正捕手となった慎之助は、その時、先輩投手の球を受けていた。「何球目だったかなあ」。返球するために腕を振り、球を放した瞬間、マウンド上の左腕は三塁側に体勢を崩し、ボールから目をそらした。

 「危ない! 当たる!」

 運良くも、ぎりぎり顔の横を通過した。ドスン! すぐ後ろの壁に直撃した。「当たらなくて良かったんだけど、でも、壁に当たった光景、音とかがトラウマになっちゃったんだ…」

 ボールを投げるのが怖くなった。腕を振る途中に、体が拒否反応を示すようになった。一種の精神的な病だった。とんでもない方向に球が抜けたり、逆に引っかかったり…。捕手としては致命傷で「短い距離が苦手になる。だから、ピッチャーへの返球が一番嫌だった」と振り返る。現に、イップスが原因で現役を引退した選手は数多くいる。

 いろんな人に話を聞いた。特に“病気”を克服した選手の助言は効果的だった。

 「慎之助は自分でイップスであることを認めているから大丈夫。治らない選手は認めないんだ。『俺はイップスじゃない』ってね。逃げたら絶対にダメ」

 治療方法は人それぞれだが、横から、下から、いろんな投げ方を試すなどした。「引き出しを多くすること。いつ症状が出るか分からない。でも、投球のバリエーションを増やすことで対応できることが分かった」

 今まで、たくさんのけがをした。今でも満身創痍(そうい)だ。だが、イップスは何よりも深刻だった。「普通に投げられるまでに10年はかかった」ようだ。

 逃げ出したいとは思わなかったのか。即答した。

 「野球が好きだもん。負けられないでしょ」(2008、09、11〜13年・阿部番)